今日の通勤時にラジオを聞いていると、こんなことを言っていました。
「今日は、パソコン記念日です」
パソコン記念日という、なんだかちょっと変わった「今日は何の日」に反応してしまいました。
私にとってはパソコンがないと日常生活に支障が出る、テレビは別に要らんがパソコン(とネット回線)は絶対に要るというほど、生活用品の一部となっています。
今はパソコンがなくても、スマホやタブレットでもほぼ用事が済みます。ブロガーもスマホ・タブレットから更新するする人もいるはず。
しかし、全体的にブロガーのパソコン所有率は高めだと勝手に思っています。私の中では100%だと思っています。その数字の根拠はありません。
特に文字メインのブログだと、スマホやタブレットだと入力が面倒くさくて仕方がない。私もかつて、iPadから更新を試みたことがありますが、途中で気が狂いそうになりやめました。数千文字をタブレットで入力する、それはブログ更新という名の拷問です。
私が初めてパソコンを買ったのは、今から17年前の2000年でした。当時はWindows98 SEで、インターネットもダイヤルアップ。当時流行ったチャットをやりすぎて電話代が18万円もかかり、顔が真っ青になったことは、今となっては私のお笑い黒歴史。
それから我が人生のパートナーと言ってもいいパソコン。記念日と銘打っている以上、はいそうですかとスルーするわけにはいきません。
ここで一首。
このパソコンが いいねと君が言ったから 9月28日は パソコン記念日
・・・字が余りすぎじゃね?
何故この日がパソコン記念日なのか
今からさかのぼること37年前の昭和54年(1979)の9月。あるパソコンが発売されました。
PC-8000シリーズと呼ばれる、NECのパソコンです。
NECとくればパソコン。実はNECはそれ以外にもいろんな事業をしているのですが、我々消費者にはNECすなわちパソコン。
その「NEC=パソコン」の記念すべき第一号が、このPC-8000シリーズでした。
希望小売価格は168,000円。当時の大卒の初任給が10万円ちょっとの時代なので、価格設定はかなり強気。
しかし、札束をいくら積んでも買えなかったコンピュータが、月給約2ヶ月分で買えるようになった。家にもコンピュータを置けるようになった。それだけでもかなり画期的だったに違いありません。
スペックは・・・当然ヘボいです。こんなヘボスペック、今や博物館でしか見ることができません。
メモリは16KB・・・ギガでもメガでもありません、KBです。ギガが当たり前の昨今、キロバイトなんてどこの古代王朝なのか。算数が大の苦手なので何倍なのかは省略しますが、2017年版Mac Bookのメモリが8GBの16KB。隔世の感があります。
ディスプレイの解像度も、160 × 100ドット デジタル8色。最新Mac Bookには、後ろに0を足してもまだ足りないという数字です。
特にビックリなのはサウンド。PC-8000はBEEP音のみ。つまり「ピー」とか「ブー」しか出ないということ。
まあ、当時はゲームをするわけでもないはずなので、FM音源なんて要らなかったでしょう。
「パソコン」という言葉を定着させたPC
今でこそみんな、個人で使用したり会社で使うコンピュータは「パソコン」と呼んでいます。
しかし、「パソコン」という言葉を商標に登録し広めたのは、このPC-8000シリーズがはじめてでした。PCも、Personal Computerの略として型番で使われていました。そういう意味では、パソコンという名前の日本初のパソコンという見方もできます。
では、それまでのコンピュータは、一体なんと呼ばれていたのか。
当時は、「マイクロコンピュータ」の略である「マイコン」という言葉が使われていました。「マイコン」は知っていたのですが、てっきり「マイコンピュータ」略してマイコンかと思っていました。
私が覚えているのは、PC-8000が発売された2年後に放送された「ザ・ハングマン」。
夜の9時から放送されていた徹底的な勧善懲悪ドラマで、ハングマンが影で悪さをする悪党どもにお仕置きを加える展開は、子供心に見ていて痛快でした。
そしてハングマンには、3~4話に一回くらいでしょうか、たまに瞳孔がガン開きするエロいシーンもありました。今見ると大したことはないのですが、当時の小学生には刺激十分興奮十二分。
今回はエロシーンあるかなあるかな!?と鼻の下を長くして見ていたのは、今となっては良き思い出。ハングマンは少年のエロマンスでもあったのです。
しかし、調べてみると、俺が知っている黒沢年男・植木等などが出てるハングマンは初代かと思ってたけど、実はパート2やったんやな。
その中のメンバーに、コンピュータを操る「デジコン」という名前の人がいました。名高達男(当時は名高達郎)さんの名演でした。
表向きは秋葉原のコンピュータ店の店長、裏の顔(ハングマン)は電子機器のスペシャリスト。電話盗聴・無線傍受は朝飯前という設定だったはずですが、まだパソコンという言葉が浸透していない時のこと、「デジコン」とも呼ばれていたのでしょうか。
もう一つ、「マイコン」は、我々おっさん世代なら知らないとは言わせない伝説の刑事ドラマ、『太陽にほえろ!』に出てきますね。
石原良純さん演じる、ニックネームが「マイコン」という人がいたことを覚えていますか?
私はスニーカーにロッキーから記憶があるのではっきり覚えていますが、マイコンはかなり後期のキャストなので、見ていない、覚えていない人もいるかもしれません。
「マイコン」の名の通り、高級家電ながら徐々に一般に浸透しつつあったパソコンを武器に、事件を解決していく知的な刑事でした。
舞台の七曲署は、良い意味で男臭すぎるくらい男臭く、熱すぎるほど熱い男ばかりでした。マイコンは、そんな熱い場所に冷水を浴びせる雰囲気を醸し出す、良くも悪くも理系男子的現代っ子キャラでした。
もし今でも『太陽にほえろ!』があったらというIfですが、ニックネームは「IT」とか「クラウド」になってたかも・・・しれない。いや、もしかしてハッキング技術で犯人のPCに潜入する「ハッカー」か。もしかして、みんなガラケーしか持っていない七曲署の刑事の中で、一人涼しい顔でスマホをいじくる「アンドロイド」かも・・・なんだか、「こんな『太陽にほえろ!』の刑事のニックネームはイヤだ」のような展開になってきました。
「マイコン」が出演を開始したのが1984年です。パソコン自体はそろそろ専門家や金持ち家庭に現れるという頃ですが、「パソコン」という言葉はまだ浸透していなかったことが、これでわかります。もし広く受け入れられていたら、あだ名が「パソコン」になってたでしょう。
しかし、
「おい『パソコン』、事件だ!」
とドラマで言われても、なんだか緊迫感ゼロ。正直、ちょっとやめてほしいです。
PC-8000から始まった日本のパソコン史
パソコンも「昭和」の産業であるならば、PC-8000は立派な「昭和遺産」であり、考古学上の遺物でもあります。
その証拠に一台が国立科学博物館に保管され、科学史の重要な遺物として登録されています。
このパソコンが撒いた種は、何も「パソコン」という名前だけではありません。
PC-8000の正当な後継機のPC-88シリーズや、
「キューハチ」として数々のパソコンユーザーの記憶に残るPC-98シリーズなど、
80年代後半の第一次パソコン黄金期を支える名機が、PC-8000シリーズから巣立っていきました。
また、NEC、富士通、シャープという80年代パソコンメーカーの、「パソコン御三家」のリーダーとして、NECがパソコン界を牽引する初代PCでもありました。
私もかつて、PC98かX68000で『イース』とか『ソーサリアン』などをプレイするのが、中学生のささやかな夢でした。そりゃあ、敢えてどっちが欲しいと問われればペケロクだったけど、第二希望は間違いなくPC-98。パソコンで出ていたゲームはファミコンでもある程度は出てたけれど、そこを敢えてパソコンでやるのが、当時の小・中学生のステータスでした。
そして今、私がPC上でブログを書き、ネット回線で動画を見ているのも、すべて1979年のこの日がスタートだったと。
今日はパソコン記念日、いつも酷使してボロボロになっているマイパソコンに、お疲れさんの意味を込め一日くらい休憩でも与えようか。よって、パソコン記念日はパソコン休息日に決定!
・・・と意気込んで家に帰ってきたものの、そういうわけにもいきませんでした。パソコンと私は一心同体少女隊。ちょっとネタが古いか。