前回の part1 ではタルコフスキーの映像論を中心にご紹介した。今回の part2 では主に芸術論に関する内容をご紹介しようと思っている。タルコフスキーは彼の著書『映像のポエジア』のなかでこう述べている。「芸術は本質的に貴族的であり、観客に及ぼす影響は当然選択的である。」芸術が観客に及ぼす効果は芸術作品に触れる人々の心の奥底の体験と結びついているからである。
芸術家は彼の生きている時代と世界を完全に認識することで、自分と現実との関係を意義づけたり表現したりできない人々の声となるべきであるという。それが芸術家の責任だというのである。芸術家であろうとなかろうと、人が社会や時代から逃れたり、生まれた時代や空間から<自由>になることなどできない。誰も、どんな芸術家も彼らを取り巻く現実や、自然の産物以外の何ものでもありえない。そして、芸術家は自分の天分に仕えることを通して民衆に仕えるという自分の使命に束縛されているという。芸術家はこの意味で自由ではない。完全な真摯さと誠実さが、人々にたいする責任の自覚と合わさった時はじめて、芸術家は自分の創造的宿命というべきものの実現を保証されるのであると。
「彼が望むものを口で言うのはいつもむずかしかった。ですから彼の望むものを実際に探す必要がありました。登場人物だけでなく、彼が描写した風景を見付けるために、タルコフスキ―はスヴェン(『サクリファイス』の撮影監督/筆者)と一緒にあちこちスウェーデンを旅してまわりました。彼が望む風景だと写真で納得しても、実際行ってみると駄目だということもよくありました。彼にしか分からない不思議な感覚があって、それで彼は判断しているようでした。私はアレクサンデル(『サクリファイス』の主人公/筆者)の夢の場面の撮影で、不思議な事件が起こったのを憶えています。たくさんの人々があちこちから狂ったように走り回るカタストロフィの夢です。手前のほうに車が一台ひっくりかえっています。人類の招いた恐ろしい災厄というべき光景です。スクリプトではあの場面には橋がありましたから、皆で毎日毎朝あちこちの橋のある場所を探して歩きました。タルコフスキーはあれもだめ、これもだめというばかりでした。
ところがある朝、彼はやって来るなり『絶好の場所を見つけたぞ。』と言いました。『災厄に打ってつけの場所だ。』そこには橋はなかった。ストックホルムの真ん中の小さく狭い通りでした。地下道になるトンネルが向うにあって、階段がある。『こここそカタストロフィに真にふさわしい場所だ。ここで撮影しよう。』で、カメラを手前に据えて、トンネルの方へ向けて撮影することになりました。六か月後、いいですか、六か月後に銃撃事件が起きました。私たちの首相ウーロフ・パルメが銃で暗殺されました。まさにそこで、アンドレイが選んだカメラの位置から十メートルと離れない場所で、暗殺されたのです。暗殺者は向うの階段を駆け上がって逃げました。それで私はアンドレイに聞いたのです。『アンドレイ、なんて不思議なんだ。神秘的と言ってもいい。』『いや、それは違うよ。しごく当然のことなのだ。カタストロフィの起こりやすい場所というものがあるのだ。』と彼は答えました。全然仰々しい口調ではありませんでした。『神秘的なことじゃないか。』と聞くと『いや、ごくごく当然のことなんだ。』と当たり前のように答えました。
今回もアンドレイ・タルコフスキーの監督作品である『ノスタルジア』や『サクリファイス』に出演した俳優として有名なエルランド・ヨセフソンのインタヴューを交えることにしたいと思っている。このヨセフソンのインタヴュー(1989年頃のようだ)の記事はそれを翻訳した佐藤公俊(さとう きみとし)さんにいただいたものである。
タルコフスキーは、ロシアの小説家ゴーゴリのこの言葉を引用する。「私の仕事は生きたイメージで語ることであり、議論することではありません。私は人生について解釈するのではなく、人生を人の面前に呈示しなければならないのです。」そして、彼はこう言う、「‥‥芸術家がホールに座っている観客よりも、本を手にしている読者よりも、平土間に座っている芝居好きよりも知的であると誰が言えるだろう。ただ詩人は、イメージによって思考するのであり、観客と違って自分の世界観をこれらのイメージを使って表現できるのである」と。芸術は何よりも人間の情緒に訴える。いい映画や絵画を見たり、音楽を聞いたりするとき、それが我々をいわば武装解除し、魅惑するのは、そもそも、理念や理想それ自体のためではない。偉大な芸術作品の理念はつねに両義的でふたつの顔を持っている。それは(トーマス・マンが言うように)人生そのものと同じように多次元的であり、不定のものであるのだ。それゆえ作家は、彼の作品が彼自身が考えているような意味で受け取られるというようなことを期待はできない。芸術家は人々が世界を芸術家の目で覗きこみ、彼の感覚や疑惑、思想に浸ることができるように、自分の世界像を呈示するだけなのであると。
彼は芸術の貴族性を認める一方で観客に対する信頼を表明している。観客は、芸術に対する要求において、芸術作品の普及に携わっている人々がしばしば考えるよりもはるかに多様であり、魅力的であり、思いがけないものを持っていると確信しているという。芸術家の示す世界観は、例えどんなに複雑で高尚であっても、数は多くないにしてもその作品に見合った数の観客の反応を呼び起こせると考えている。
そして、ロシアの哲学者であり、作家のゲルツェンの言葉を引用する。「芸術と観客の相互関係のなかには、往路と復路が存在する。自分自身に忠実であり、その場限りの考え方にとらわれることのない時、芸術家は観客の知覚の水準を絶えず高め、向上させながら、観客の知覚の水準を決定していくのである。そしてまた、社会的意識の成長が、こんどは逆に社会的エネルギーを蓄え、新しい芸術家の誕生に寄与するのだ。」タルコフスキーが芸術と社会の関係を発展的に捉えていることは注目していい。芸術家と作品、そして観客は、分離不可能な統一体であり、同じ循環器系によって結びついている有機体であると言うのである。
美の基準、それは自分にとって理想を実現しようという意志を意味する、しかし、その美の基準という芸術の最も重要な基準がほとんど完全に失われてしまったと嘆いている。ここら辺りは初期ロマン派の嘆きに通じるところがある”世界をロマン化する” part1 中井章子 『ノヴァーリスと自然神秘思想』。どんな時代でも真理と真実の探求が認められる。この真実がどれほど過酷なものであるとしても、真実は民族の健全化に貢献するものなのである。意図的に宣伝されている理想ではなくて、真に道徳的な理想を表現できるのは、その時代の偉大な真実だけだと力説している。そして、精神性の欠如した芸術は、それ固有の悲劇を抱え込んでいる。芸術家の生きている時代に精神性が欠如しているということを認識するためにも、ある精神の高みに立つことが芸術家には要求される。そしてこう書いている。真の芸術家は不死に仕えている。そして、世界とその世界に住む人間を不朽のものにしようとするのである。特殊な目的のために普遍的な目的を軽視し、絶対的真理を追究しようとしない芸術家は、せいぜい一時的な寵児になれるだけだと。
「西欧に長く暮らすにつれて(タルコフスキーは、1984年事実上亡命している)、私には自由というものがいっそう奇妙で曖昧なものに思えてきた。麻薬を使う自由、人を殺す自由、リンチの自由。自由になるために必要なのは、自由であることだけだ。‥‥しかし、状況に屈したり、甘えたりせずに、自分の天命がどこにあるのか自分なりの仮説を立て、それに従わなければならない。このような自由は、きわめて豊かな精神的財産と、強い自己意識、自分自身に対する、ひいては他人に対する責任の自覚を要求する。」と書いている。そしてこう結論付ける。「‥‥現代の人々は、人間がいつの時代にも手にしていたあの自由を忘れてしまったのだ。つまり自分の生きている時代や社会にたいして、みずからを犠牲に捧げるという自由を。」
「ノスタルジアは彼の苦悩が反映している映画です。彼は52歳になるまで僅か7本の映画しか作らなかった(最後の作品『サクリファイス』を含めても八本しかない/筆者)。ソビエトで映画を作るにはひどく複雑な手続きが必要だったからです。「ストーカー」は殆ど完成までこぎつながら、もう一度撮り直しています。タルコフスキーは最初の形で作品を公開することは自分にはどうしても出来なかったと言っていました。それで私はこんな質問をあるロシア人にぶつけたことがあります。タルコフスキーのような偉大な映画作家がそれまで7本しか映画を創作していないというのは奇妙だったからです。私はこう言いました。『彼の映画にある政治的メッセージ、政治的からみとはいったい何なのですか。何故彼の映画は政治的に危険なのですか。クレムリンの思惑がどうしたこうしたといった複雑な事情があるのですか。一体何故アンドレイの映画は政治的論争を引き起こすのか。例えば「ストーカー」は政治的な論争を喚起するようなものは私には見えないんだが。』答えはこうでした。『そのとおり。全く何もない。政治的に問題になるものなど何もない。』『それじゃあ、何故彼の映画の上映が差し止められるんだ。』『御上はアンドレイの映画が嫌いなんだ。彼の映画には政治的な含みはなにもない。』ロシアでは大観衆がタルコフスキーの映画に集まるそうです。小さな町の映画館でも、彼の映画がかかると観客でごった返している。私の祖国のスウェーデンで考えられているイメージ、これはおそらく日本でもおなじでしょうが、タルコフスキーの映画は彼を愛する少数の観客が繰り返し繰り返し見るものだというイメージは、ソビエトではあてはまらない。大衆が彼の映画を愛し、映画館は込み合っている。」
タルコフスキーはこう言う。「そして、もし芸術家がなにかを作ることができたとするならば、それを人々が必要としているからこそだと、私は確信している。たとえその時点では、人々がそれを自覚していないにしても。それゆえ、勝利し、なにかを獲得するのは観客であり、芸術家はつねに何かを失い、敗北するのである。」彼はヴァン・ゴッホの言葉を引用する。「義務とは、なにか絶対的ものである」「どんな成功も、普通の労働する人々が自分の部屋や仕事場に私の石版画を掛けてくれること以上に、わたしを感動させることはない」「もし、表現したいことを明瞭に表現できていたら、厳密に言って、それで十分ではないだろうか?自分の思想を美しく表現できるなら、もちろん、それは耳に心地よいだろう。しかし、それ自体素晴らしい真実の美しさに、それがなにか付け加えるわけではない。」
そして、こう書いている。「映画監督の課題は、人生を再現すること、その動き、矛盾、傾向や戦いを再現することである。監督の義務は、彼が手に入れた真実の一滴たりとも――その真実が、たとえ誰かの気に入らないものだとしても――隠ぺいしないことだ。」「われわれが責任を負うのは結果にではなく、われわれの選択に対して、つまりわれわれの義務を遂行するのか、しないのかということに対してである。こうした視点が、自分の運命に責任を持つ義務を芸術家に課すのである。私個人の未来は、私を避けて通ることのない杯なのだ。したがってその杯は飲まねばならない。」と。
「でも二つだけ質問しようとしました。私にはとても突拍子もないことに思えたからです。‥‥『何故ドメニコにとって火のついた蝋燭を持って温泉を渡りきることが重要なのか?(part1 映像論にある『ノスタルジア』のあらすじを参照されたい)』彼はこう答えました。『僕の友達でね、こんな人がいる。彼は毎朝机に向かうと、いつもの本をこんなふうにきちんと置き直すんです。これが彼のやり方なんです。』その瞬間私は何もかもすっかり理解しました。合理性とか結果といった観点から事物を見るのではなく、人は自分自身の生の重要性の裏打ちとなる自分自身の魔力を自分で発見しなければならないと言うことです。」
「ロシアの歴史と風土を考慮に入れると、こう言えます。ロシア正教の聖人というか宗教者の中には、人里離れた所でひっそりと生活を営み、たまさか人々と交渉を持つ宗教狂人がいました。現実に対する対応をこのような狂人に教わるために人々はわざわざ会いに行ったのです。彼等の神がかった言葉から日常生活に活かせる精神的真実を取り出したのでした。その伝統は姿を変えてソビエトにも残っていました。もし、政治体制に反対している人々が、思っていることを声高に言ったらどうなったでしょう。そうした、良識ある勇敢な人は、収容所に送られて薬漬けにされ、その精神は骨抜きにされたのです。その話は聞いたことがあるでしょう。だから逆説的ですが、真実を述べようと思えば、気がふれてしまえばよいのです。そうすれば哀れな狂人のたわごとになるでしょうし、身の危険もありません。人畜無害というわけです。ですから、真実を言うためには、かつては宗教的狂人の、昨今は精神病患者の口を通すことが必要だった。ロシアにはそんな伝統があるのです。こう考えればドメニコが恐ろしく馬鹿げていてもよいというタルコフスキーの言葉の背景がわかるのではないでしょうか?‥‥それはタルコフスキーが、ドメニコの演説に込められたメッセージを信じていないという意味ではありません。」(『ノスタルジア』は、イタリアでの撮影を前に他の作品と同様にソビエト当局から公式の許可を受けなければならなかった/筆者)
「私はロシア人のノスタルジアについての映画を撮りたいと思っていた。祖国を遠く離れているロシア人に起こる、われわれの民族に特有で、固有なあの精神状態について映画を撮りたいと思ったのである。私はこの仕事の中に、私が感じ、理解している意味において、ほとんど愛国的な義務とでも言っていいようなものを見ていた。‥‥『ノスタルジア』 を作っているとき、この映画のスクリーンをみたす息をつまらせるような望郷の念が、私の残された生涯の宿命になるとどうして予想できただろうか?」そして、タルコフスキーは『ノスタルジア』の核心部分を語る。
「ところで、この映画での私の基本的な課題とは、世界や自分とのあいだに深い不和を体験している人間、現実と望ましい調和とのあいだの均衡を見いだすことができない人間の内的状態、つまり祖国から離れているというばかりでなく、存在の全一性に対するグローバルな憂愁によって引き起こされるノスタルジアを体験している人間の内的状態を伝えることである。」と。
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また、別の所では「私の全ての映画で重要だと思われたのは、人と人を結びつける(純粋に肉体的なもの以外の)関係を打ち立てようとすることであった。」と述べている。「人々は、過去および未来と無数の糸で結ばれており、一人一人の人間が、自分の運命によって世界とのつながりを、まあ全人類的な道といってもいいが、そういうものとのつながりを実現しつつあるということを、語ってきたのである。‥‥人類を滅ぼすことができる戦争の脅威が現実的なものとなり、社会的貧困が大きな脅威を与え、人類の苦悩が大声で祈りをあげるこの世界で、必要不可欠なのは、お互いに結びあえるための道を探究することである。これは自分自身の未来を前にして人類の聖なる義務であり、個々人の責務でもある。」
ドメニコは映画のなかで自らの無欲を示すために焼身自殺を決意する。この行為によって人々が自分の最後の警告に耳を傾けてくれることを期待している。それが彼の義務だった。ゴルチャコフはドメニコの振る舞い、彼の内的な力に感動するが、自分は一貫性のない俗物であることに苦しめられる。彼を正当化するのは彼の死であり、それが彼の体験した苦悩を明らかにするとタルコフスキーは解説している。
しかし、ここには深い宗教的なテーマがないだろうか。ドメニコは犠牲を捧げることができた。一方で、ゴルチャコフにあるのはある種の諦めである。この諦めは、故郷への底なしの憧憬へとつながる。「水は諦めがその現象の下に横たわっている時に世界の中を流れることができる」と言う人(ルドルフ・シュタイナー)もいる。しかし、ゴルチャコフはドメニコとの約束を守ろうとする。最後に自らの意志を彼もまた捧げるのである。それを捧げることのできた存在は、その犠牲を捧げたものとひとつに結ばれる。
タルコフスキーは書いている。「私をひきつける人間の弱さについて語る時、私の念頭にある弱さとは、個の外的拡張の欠如であり、他の人々および人生全体に対する攻撃性の欠如のことなのである。あるいは、他人を自分の確信、自分の意図の実現のために働かせ、役立たせるという願望の欠如なのである。一言でいって、私は物質的なルーチンワークに敵対しようとしている人間のエネルギーに引きつけられる。ここで、私のもっとも新しい構想の糸玉が巻かれるのである 。」
「『サクリファイス』の主人公も、またこの言葉の卑俗で月並みな意味での弱い人間である。‥‥世界の運命に対する、自分の共犯関係を感じながら、許容された<正常の>人間の行動の一線を踏み越えるのである。その際、彼は単に自分の使命の従順な遂行者である。彼は心の中でそのように感じている。彼は運命の主人ではなく、その下僕である。おそらく、だれにも気づかれ、理解されることのない、そのような個人の諸条件によって、世界の調和は保たれているのである。」
さて、タルコフスキーの他の作品、『僕の村は戦場だった』、『アンドレイ・ルブリョフ』、『惑星ソラリス』、『鏡』などに触れることが出来なかったけれど、ヨセフソンのインタヴューの中から『鏡』について少しだけご紹介しよう。
「タルコフスキーは『鏡』が自分にとって最良の作品、一番大切な作品だと言っていました。でも彼は『鏡』の編集を十九回もやり直しているのです。素材が多すぎて、理解できる形に出来なかったのです。そのため心を痛めていました。『鏡』は今世紀の偉大な傑作の一つだと私は思います。とても詩的な映画です。『鏡』を彼は愛していました。彼が深い感情を込めて何度も話題にしたのは、あの映画を除いてありません。非常に個人的で、彼自身と家族に関わるものだったのです。こう言っていました。『どんなに、何度編集してもこれで完成したと私は納得できたためしがない。選択材料は多すぎるし、言いたいことも多すぎる。』『アンドレイ・ルブリョフ』も傑作だと思いますが、彼は話したがりませんでした。多分共同で脚本を書いたコンチャロフスキーとの軋轢が原因でしょう。でも、何故話したがらなかったのか、正確な理由は知りません。」
タルコフスキーの映画には父アルセニーの詩が、時に登場する。プーシキンの詩も大好きだったようである。それで最後にアレクサンドル・プーシキンの詩をご紹介して終わりたい。
タルコフスキーはこう書いている。「ある詩のひとつでプーシキンは、自らの中に予言者の才能を感じる時に味わう苦悩について、予言者としての詩人という使命の重荷について書いている。‥‥一八二六年、次の詩を書いたペンを手にしていたのはアレクサンドル・プーシキンだけではなく、その背後に佇んでいた誰かでもあったのだと、私には思われる。」
暗い荒野をわたしはさまよい歩いた
すると六枚の翼をつけたセラフィムが
わかれ道でわたしのまえに現われた夢のようなかろやかな指で
セラフィムはわたしのひとみに触れた
驚いた鷲さながらに
予言のひとみが開かれたセラフィムはわたしの耳に触れた
するとざわめきや物音が
わたしの耳をみたした
わたしは耳にした 天のふるえを
天駆ける天使たちを
海の底を歩む爬虫類を
谷間の蔓が伸びるのを
そしてセラフィムはわたしの口もとに近づき
おしゃべりで狡猾な
わたしの罪深い舌を抜き
聡明な蛇の舌を
わたしの凍えた口に
血塗れの手で押しこんだ
そして彼はわたしの胸を剣で切り裂き
震える心臓をとりだすと
炎を上げて燃える炭火を
開いた胸に押しこんだ
死体のようにわたしは荒野に横たわっていた
神の声がわたしを呼んだ
「立て、予言者よ、目をあけ、耳をひらけ
わが意思にみたされよ
海をめぐり陸をめぐり
人の心をことばで焼きつくせ」