妄想力は無限大 別館

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子供を守る為なら親は残酷にもなる。命を奪うということ。毛虫だって生きている。



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ある昼下がり。

妻の叫び声が庭から聞こえる。

『キャー!気持ち悪いー!』

慌てて外に飛び出す。

『葉っぱが全部食べられてる!』

『なんだ、びっくりするじゃん。』

で終われば良かった。

 

犯人は毛虫。

おびただしい数の。

葉っぱという葉っぱは食べられ見るも無残になっている名前も知らない小さな木。

妻と思案した結果。駆除することに。

おびただしい数の毛虫を。

子供を守る為なら親は残酷にもなる

 

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つい先日まで青々としていた名前も知らない小さな木に毛虫が群がっている。

その数おおよそ50匹以上。

手作業・・・は無理だ。精神的に。

こういう時は殺虫剤が早い。

「自然に優しい」と謳い文句の書かれた殺虫スプレーを片手に撒く。

毛虫だって自然の一部なのに。

完全に偽善者的な言葉なのは分かってる。

毛虫に分かってくれとは言わない。

親は時として残酷にならなければならないのだ。

 

そこは我が子が帰って来て通る道。

毛虫に触れてかぶれようものならと心配をする。

すまぬ。罪は無いが駆除させてくれ。

スプレーを撒き数分後には地面に落ちて動かぬ毛虫達。

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落ちてくる度にホウキで履きゴミ袋へ。

『気持ち悪っ』と心の中で思いながら。

『命を大事に!』と子供達に伝えておきながら。

命を奪うという事

 

私は動植物の命を『もっと大事にして!』『粗末にしないで!』とは言えない人間である。

動物性脂なんて大好物だしサラダだってバリバリ食べる。

お刺身も。煮付けだと目玉から肝まで食べる。

命を頂くという事はとか偉そうに語れもしない。

ちょっと前に書いてるけど。

www.mousouryoku.com

感謝して頂くから許されたい感情は分かる。

では、命を奪って許されたい感情はどう表現すれば良いのか?

 

こういう時いつも思い出す。

『オケラだって~アメンボだって~みんなみんな生きているんだ。友達なんだ~。』

 

毛虫だって生きている。

成長すれば蛾になる。

害があるから害虫。

人間に害があるから害虫。

駆除対象だ。

不思議なもので同じく命を奪っているのに感謝して『頂きます』と食べれば許された気分になれて、ただ駆除して命を奪う時に思い当たる言葉が、感情が見つからない。

 

『ごめんね?』

『すまない』

『許して』

 

違う気しかしない。

害虫被害とかエゴとか因果とか人間対自然とか壮大な事を語りたいんじゃないんだ。

 

ただ私が許された気分になりたいだけなんだ。

身勝手な駆除活動を正当化する時にピタリと当てはまる言葉を私は知らないから。

最後に

 

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表現の仕方によってはこんなにも美しい毛虫の命を私は奪った。

子供に害があってはいけないからと。

親として時に残酷にならなければいけないが子供に『命とは?』と上手く説明出来る日が来ると良いなと身勝手に思ったある昼下がり。

 

それでは。