山猫日記

国際政治学者、三浦瑠麗のブログです

総理大臣による解散は課題設定の権力

アジェンダセッティングの戦い

総理が衆議院の解散を表明しました。解散の噂が濃厚になり始めた10日ほど前から永田町は選挙モードでしたが、今はもうサーっと人が引いている感じです。28日にいったん国会に集まった後は、文字通り全国に散っていくことになります。今般の解散を受けて、メディアが設定しているのは解散に大義があるか否かということ。「いつから、そんなに大義に関心が出てきた?」のという皮肉は置いておいて、私は少し異なる見方をしています。

常々申し上げてきたことだけれど、政治の最大の権力はアジェンダ(=課題)を設定すること。一番重要なのは、問いへの答えではなくて、問いそのものなのです。民主国家においては、いったん問いが設定されると、一定の落としどころが探られるもの。

ただ、既存の政治やメディアの中からはどうしても出てきにくい課題というものがあります。例えば、政治に携わる者のほとんどが中高年男性である日本において、子育てに関する問題は、長らく家庭内の問題として処理され、政治課題になりにくかった。同様に、安全保障問題については「臭いものにはフタ」とばかりに忌避する傾向があり、国防について正面から取り上げる気運に乏しかった時代もありました。

総理の解散権の政治的な意味あいは、国民に対して提案する権限を認めるということ。時の政権が進めたい政策があれば、国民の信を仰ぐことができるのです。その時々において注目される政治テーマは、与野党の力関係やメディアの傾向によって決まってくるのだけれど、総理にはいったんそれをリセットする権力を付与する。それが、日本の民主主義のルールであり、慣習なわけです。

解散権の乱用を云々する人々は、民主政治のダイナミズムに対する理解がどこか欠けているのでしょう。党利党略だと主張する人々には、そりゃそうだよねとしか言いようがない気がします。

解散を表明する会見において、総理が設定したアジェンダは経済政策と安全保障政策。経済政策では、アベノミクスの次なる焦点として少子高齢化問題に正面から取り組むこと。10%への消費増税分の使途を幼児教育の無償化など全世代型の社会保障費に充てること。その上で、労働人口が減少する局面で経済成長を維持するために生産性を高めること。そのためには、新しい分野への民間投資を促すことが重要であると。

安全保障政策は、北朝鮮危機に的確に対応すること。米国との共同歩調を明確にし、今は北に圧力をかける局面であると。当然、日本自身の危機対応能力を高めるため、ミサイル防衛をはじめとする兵器体系も整備し、防衛費は増額基調で推移させるということもあるでしょう。

それに対して、野党はモリ・カケ問題から逃げていると訴えています。つまり、これは課題設定をめぐる戦いなわけです。国民自身が、経済政策や安全保障政策をめぐる課題が重要なのか、スキャンダルや政治的体質をめぐる課題が重要なのか、選択できるわけです。前者が重要となれば与党が勝ち、後者が重要となれば野党が勝つわけです。極めて単純なことです。

自民党自民党たらしめているもの

とは言え、今般の解散には自民党自民党たる所以を見た気がします。国際的な比較の視点を持つと、自民党は実にユニークな政党です。自由な選挙制度の下で、60年にわたってほぼ一貫して政権を担う一党優位体制を確立してきました。日本政治の伝統の中には、統治者(=お上)とそれ以外を分けて捉える伝統があるし、野党が無理筋な安保観を持ち続けてきたという構造要因もあるでしょう。ただ、自民党という集団の融通無碍というか、無節操さには際立ったものがあります。

政党間の競争で追い詰められる度、自民党は左右にウイングを広げて、対立する政党の課題を奪って来ました。安保で国民の支持が離れたと思えば、低姿勢を貫いて国民経済の充実に集中する。環境や福祉などの左側のテーマが過熱しそうだと思うと、いち早く取り入れる。高齢化社会の本質を見抜いて、分配に配慮する。公共事業をバラまいてきたのも、高齢者福祉の膨張を放置してきたのもそれ故です。結果として、家父長主義風味の保守イデオロギーと、バラマキ型の大きな政府を組み合わせた、何とも日本の風土にあった政党を作り上げたのでした。

総理の会見は、良い意味でも悪い意味でも自民党の面目躍如でした。経済政策にやたらと「革命」の言葉が登場するのはご愛敬として、人づくり革命において幼児教育の無償化を前面に出すのは、民進党や維新の看板政策を意識してのことでしょう。

北朝鮮危機が前面に出る選挙戦とならざるを得ないことは、野党共闘に影響するでしょう。一強の政権のスキャンダルを追及している場面で民共含め野党が協力することと、安全保障上の危機が迫る中で共産党と協力することはまったく意味合いが違います。北朝鮮からの挑発を受ける中、与党は愛国心カードを切ってくるでしょう。前原民進党がこれにどう答えるか。

「政争は水際まで」というのは民主国家において非常に重要な原則。安全保障の文脈でも、共産党と組んで政権批判に終始するようであれば、国民は決して忘れないでしょう。政権を担当する機会は、不可逆的に遠のくのではないでしょうか。

政策の魂は細部に宿る

もちろん、政策の魂は細部に宿りますから、「人づくり革命」においては本当に子育て世代の自由と福祉を増進する政策になるのか、単に、教育利権を太らせるものとなるのかには注目が必要です。

幼児教育を無償化するのであれば、国民が公共サービスを受ける際の平等性の観点からも、幼児教育の義務化まで踏み込むべきではないでしょうか。待機児童解消の目標をズルズルと後退させたり、各自治体に任せるのではなく、国の責任としてすべての児童に優良な幼児教育を受ける権利を保障する。もちろん、担い手が公的な幼稚園や保育園である必要はなく、国は品質管理に集中して多様な民間からの参入を一層促すべきです。

生産性革命においては、ロボット・IoT・人工知能などの先端技術への民間投資を促す政策を進めると言います。鍵は、「民間投資」という点です。日本経済の生産性が低迷している要因の一つに、生産性改善のための投資が圧倒的に不足している点があります。これは、IT革命が進んでいた90年代に、バブル処理に追われて攻めの投資ができなかったことが影響しています。しかも、携帯電話や再生可能エネルギーなどの将来の経済を作る分野で、ガラパゴスな技術や規制に拘ってグローバルな競争に置いていかました。

世界経済は凄まじい転換期にあります。20年後には、自動車も銀行もないかもしれない、そのくらい変化の激しい時代です。だからこそ、次代を担う技術戦略や投資戦略をお役人さんが決めることだけは避けなければいけません。官僚機構は、イノベーションの花を咲かせるための環境整備と、国際的なルール作りで戦って来いということ。政府は政府にしかできないことをやるべきで、ベンチャーキャピタリストの真似事はする必要はないのです。

経済政策を打ち出す際に、財源の話を持ち出すのも野党を牽制するためでしょう。消費増税分を社会保障の充実に使うことで、財政は悪化します。総理自身が、2020年までにプライマリーバランスを黒字化する目標を放棄したわけですから、この点については政府与党内にも一定の緊張関係があるのでしょう。

安全保障政策においても注文はあります。国連での制裁はじめ、これまで中途半端であった「圧力」を高めることには意義があります。ただ、それだけで北朝鮮の行動を変えることができると考えるのはあまりにナイーブに過ぎるでしょう。目の前の危機に対してやれることは、圧力を強めて日米同盟の結束を確実にすること。そこまでは政権のやっていることに反対のしようはありませんが、そこから先の手も打たないといけません。それは、北朝鮮の核保有国化という現実と向き合って、対話も圧力も格上げすること。その中身までの論戦を期待したいところです。

すべての道は改憲に通じる

冒頭、総理の解散判断はアジェンダセッティングの権力を行使するものだと申し上げました。表面的には、経済政策と安全保障政策において、政権が目指す方向性への信任を得るということです。ただ、これには裏があると思っています。政権の裏アジェンダ改憲だろうと考えられるからです。それは、第一次政権当時から安倍総理がやりたかったこと。安倍晋三という政治家の、長期政権にむけた執念の核心にあるものでしょう。

モリ・カケ問題が長引いたことで、永田町の改憲気運は随分と萎んでいました。官邸の中にさえ、政権維持に集中するためには、改憲の可能性を示唆する2/3の議席は邪魔だと思っている者もあったと聞きます。

総理周辺にとって最も苛立たしかったのは、きっと公明党の姿勢だったでしょう。衆議院選挙が迫る中で改憲の発議は難しいであるとか、年限を切って改憲論議をすることは適切でないとか、公明党は明らかに引け腰になっていました。今般の解散における総理周辺の本音は、9条を中心に据えた改憲方針を明示した上で2/3を更新することではないでしょか。本年5月に表明された自衛隊明記の加憲案は、そもそも公明党に配慮してリベラルに歩み寄った穏健なもの。その改憲案からすら逃げるとは何事かということを突きつけるつもりなのでしょう。

もう一つ重要なのが小池新党。小池新党に対して、総理が融和的な姿勢を示しているのも、小池知事が改憲支持の立場を明確にしたことと無縁ではないでしょう。小池氏が立ち上げた「希望の党」は、これまでも存在してきた「改革スタイル」の政党の伝統を引き継ぐ存在です。それは、「輝け憲法!」という護憲アイデンティティーから世界を見ている層でもなく、さりとて、自民党的な利権政治・村社会政治にはついていけない人々にとって一定の受け皿となるでしょう。今般の選挙において重要なのは、それが自民党の票を食って実現するのか、野党票を減らす方向に行くのかということです。

野党は、総理の課題設定に乗った上で、国民により受け入れられる政策体系を練り上げるか。それとも、モリ・カケ問題こそが今議論されるべき課題である旨を訴えるか。はたまた、政権の裏アジェンダを読み取って、護憲の一点で共闘する55年体制的政治に回帰するか。解散を通じて、政権与党は課題設定の主導権を取り戻したことだけは確かでしょう。

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