ライターの榎並紀行です。
東京は世界でも屈指の、多様な食文化が集まる街だと思う。和洋中にとどまらず、世界各国さまざまな地域の郷土食が味わえるレストランが点在し、たとえば地球の裏側の、聞いたこともない名前の料理だってお手軽に楽しめてしまう。
しかし、それにしたって意外なのが「パレスチナ料理」の専門店である。北区十条にある「Bisan(ビサン)」では、日本人にはあまり馴染みのない本場の中東・パレスチナ料理を提供しているのだ。
いったいどんなメニューがあるのだろうか?
▲十条駅から徒歩3~5分
なお、店名の「ビサン」とは、かつてパレスチナにあった地名。オーナーはパレスチナ出身のマンスール・スドゥキさん。鈴木さんみたいな名前だが、日本語で「正直」という意味らしい。ちなみに、マンスールは「正義」。
▲オーナーシェフのマンスール・スドゥキさん
パレスチナというと、僕ら日本人には想像もつかないほど「複雑な事情を抱えた地域」という認識がある。しかし、スドゥキさんの口から語られるパレスチナは、たとえば当地での子育てや恋愛事情など「普通」のことばかりだ。難しい話、ネガティブな話を自ら発することはない。戦地としてではなく「故郷の普通の一面」を知ってほしいという思いがあるからだ。
だから、僕も本稿では「スドゥキさんの作るパレスチナ料理が、ただただうまい」という話をしたいと思う。
11人兄弟の胃袋を満たした母の味
まずはこれだ。中東のチャーハンこと「マンサフ」である。
▲マンサフ1400円
コメ、タマネギ、ピーマン、挽肉とシンプルな具材を18種類のスパイスで炒めている。18種類も使っているのにへんなクセはなく、上品なスパイスの香りがほんのりと鼻に抜ける。どのスパイスがどうなってこういう味になるんだろう? トマトとヨーグルトソースの酸味もちょうどよく、見た目に反してさっぱりと食べられる。
▲今回は十条在住の知人らも誘ってみた。初めてのマンサフを「うまいうまい」とかきこむ知人と、それを見て爆笑する彼女さん
▲「またまた~おおげさな……、ほんまや!」
このマンサフ、スドゥキさんのお母さんがよく作ってくれたそうで、食材も味付けもそのまま再現しているという。本来、マンサフは結婚式や客人をもてなす際などに供されるハレの日の料理で、豪華な食材を用いることも多いとか。しかし、手軽に手に入るものを使うのがスドゥキ家流。料理上手なお母さんは、安い食材を駆使しておいしいものをお腹いっぱい食べさせてくれたそうだ。
「なんせ兄弟が11人いたので」とオーナー。じゅ、じゅういちにん!?
聞けばスドゥキさん、大家族の家計を支えるために13歳からイスラエルの養鶏場へ出稼ぎに出ていたという。なんとも頼もしい限りだが、とはいえそこは13歳。食べ盛りで母親の味が何より恋しい年齢である。少年は母に料理を教わり、自ら作る「おふくろの味」を励みに頑張っていたそう。それが「ビサン」の味のルーツなのだ。
▲「アラブの男は料理をしない」そうだが、スドゥキさんは寂しさを埋めるために母の味の作り方を覚えた。それが現在では仕事にまでなっているのだから素晴らしい
その後、20歳まで派遣会社で働いた話や、先に日本に住んでいたお兄さんを頼って来日した話などをふんふんと聞いていたら、「そうそう…」とスドゥキさんが言う。
「サッカーのナショナルチームの候補選手に選ばれたこともあるんですよ」
……「そうそう」に続くエピソードとしては強力すぎないかそれ。ついで、みたいに言うような話ではないから。もっと自慢していいやつだから。
ハンサムで料理がうまくてタフでやさしいだけの男かと思ったら、憧れの代表選手様でもあったんですか。そうですか。
おれも「そうそう、甲子園出たことあるんですよ」なんて、さらっと言ってみたいもんである(※出てません)
さて、料理である。次に出てきたのはこれだ。
▲4つの野菜の「ペーストの盛り合わせ」2000円
アラブでは最もポピュラーな料理のひとつだという「ホンムス(ひよこ豆のペースト)」をはじめ、「ムタッバラ(焼きナスのペースト)」、「バクドニスィーヤ(ナスと練りごまのペースト)」、「トルキシサラダ(トマト、玉ねぎなどのペースト)」がセットになっている。
▲これを、ナンみたいな食感の「ピタパン」につけて食べる
▲こっ、これは…
▲うまい!!
知人たちがうまさに驚愕している。そう、うまいのだ!
焼き立てアツアツのピタパンをちぎってつまんで、そこにペーストをとろ~っと流し込んで食す。それぞれの野菜の味、練りごまのコク、オリーブオイルのまろやかさ、それらを香ばしいピタパンが受け止めて……。これ、とんでもなくタイベですわ!(アラビア語で「おいしい」の意)
▲タイベといえばパレスチナ唯一のビール「タイベビール」1000円(写真はブラック。ほか、ゴールデンとアンバーがある)。現地から取り寄せるため、在庫が切れがちな希少品。個人的に黒ビールはやや苦手なのだが、これはまろやかでおいしかった!
▲ここらで肉いっとくか、ということで頼んだ「クフタ」1200円
クフタは「中東風ハンバーグ」。一般的に牛や羊を使うことが多いようだが、ここでは鶏肉を使っている。アーモンドと、やはり様々なスパイスを駆使している。スパイス系の料理って、もっと強烈に主張してくる印象なのだが、ビサンのそれはあくまでスパイスをアクセントとして使うにとどめている感じ。「おれがスパイスじゃい!!!」と高圧的なのではなく、「おいら、スパイスってんだ。よろしくな!」と、あくまでフレンドリーなのである。
ただ、「特に日本人の舌に合わせているわけではない」というので、もともとアラブ人と日本人の味覚は近しいのかもしれない。
▲先ほどの野菜のペーストをつけたり
▲ピタパンにはさんでみるなど、独自の食べ方を編み出すのも楽しい
▲ほんのり塩気のきいたヤギのチーズ800円
気分がよくなって、これも珍しい「パレスチナワイン(※)」を一本空けてしまった。
※原産国はイスラエル表記
▲パレスチナワインの「セント・ガブリエル」。レバノンとの国境に位置するキリスト教徒のアラブ人(パレスチナ人)の村で作られている
▲ハート型の栓抜き越しのカップル。悔しいのでぼかしてやった
▲このワインがまたね
▲うまいんだわ
みんなが口々に言う。「飲みやすい!」「ほんと、グイグイいけるわ!」
大してワイン通でもない我々は「飲みやすい=おいしい」と解釈してしまうところがあるのだが、これは本当に飲みやすくておいしかった。タンニンがどうとかはよく分からないのだが(控えめらしい)、スパイシーで柔らかで軽やかなのだ。
▲シメのごはんは「ムサカ」1400円
シメにまたコメいっときたいよね、という日本人的発想でオーダーしたのは「ムサカ」。
大盛りターメリックライスの上に、牛・鶏・ラム肉のミンチをナスとジャガイモで挟んで揚げ、トマトソースで煮込んだものがのっている。
コメとじゃがいも、チーズもたっぷりで、炭水化物とカロリーの権化みたいな料理だ。
▲大量のジャガイモを摂取できる
▲シメといいつつトルコアイスも頼んでしまう同僚。魅力的なメニューが多すぎるので、なかなか締まらないのだ
▲食後は水タバコ1500円にも挑戦。パレスチナでは「アルギーラ」というらしい。無知な我々は「これって合法だよね?」と一瞬ざわざわしてしまった(合法です)。ちなみに、非喫煙者でも「美味しかった」です
▲スドゥキさんが吸い方をレクチャーしてくれるのでビギナーでも安心。しかし、絵になるな
トルコアイスをビヨーンとのばしたり、水タバコをボコボコふかしたり、最後の最後まで楽しませてくれる店であった。
「十条はちょっと遠いよ!」という東京都外にお住まいの方にも、ぜひ訪れてもらいたい。いや、訪れるべき!! パレスチナの家庭料理なんてめったに味わえないし、中東に行くよりは近いので。
▲映画スターみたいなシェフがお待ちしております
紹介したお店
店名:パレスチナ料理店 Bisan(ビサン)
住所:東京都北区中十条2-21-1
TEL:03-5948-5711
営業時間:17:00~翌1:30
定休日:水曜
プロフィール
榎並紀行(やじろべえ)
1980年生まれ埼玉育ち。東京の「やじろべえ」という会社で編集者、ライターをしています。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴の持ち主ですが、英語は全く話せません。
> ツイッター: Twitter (@noriyukienami)
>ホームページ:やじろべえ