「幸せになる勇気」を読みました

 

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今週のお題「読書の秋」

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

「幸せになる勇気」は「嫌われる勇気」の続編です。「嫌われる勇気」は先日読んだばかりです。

 

「嫌われる勇気」だけでも完結した内容ではありましたが、「幸せになる勇気」では、より具体的・実践的な内容が書かれています。

 

印象に残ったフレーズは以下の3つ。 

 
・「わたしであること」に価値を置く
・利己心を追求した先に、「他者貢献」がある
・ 自立とは、「自己中心性からの脱却」
 

 

これらについて、私の思うところを書いてみます。

 

「わたしであること」に価値を置く

つまり、
「わたし」の価値は、自分で決定する
ということですね。

 

人間は往々にして、他者からの評価を気にしてしまいがちです。しかし、他者からの評価は自分でコントロール可能なものでしょうか? 私はできないと考えています。

 

私に対していろいろな評価を下してくる他人はたくさんいます。しかし、それらの評価は、単にその評価者の価値観を反映したものでしかなくて、私の価値とは何の関係もありません。

 

利己心を追求した先に、「他者貢献」がある

例えば私は完全に自分の趣味でブログを書いています。別に誰かのために書いているわけではなく、自分のためにブログを書いているのです。

 

私のブログを読んでくださった方から、「ためになった」というような感想を頂くことがあります。でもそれはその人のためになることを書いてやろうという利他心で書いたわけではなく、私の利己心で書いたものが結果として相手のためになったということです。

 

逆に私自身、他の方々のブログを読んで「ためになった」「勉強になった」などと思う時がたくさんあります。

 

自分の好きなこと、得意なことを追求することが他者への貢献に繋がる。そして、そこから得られる「貢献感」により幸せを感じることができるーーというわけですね。

 

自立とは、「自己中心性からの脱却」

「なぜお前はもっと自己主張しないのか」といったようなことを人から言われたことがあるのですが、そう言ってきた人を観察してみると、弱さや不機嫌さを振りかざして他人をコントロールしようとしていることがわかりました。

 

当の本人は、「しっかり自己主張していて自立している」つもりのようでしたが、弱さや不機嫌さを振りかざして他人をコントロールするような態度は「依存」に他なりません。

 

依存状態に陥っている人は自分中心で物事を考えがちです。自分は「世界の中心」ではなく「世界の一部」であるという意識こそが「自立」なのです。

 

雑感

やはり、過去の偉人がまとめ上げた思想を知ることは面白いなぁと思います。アドラー心理学には仏教と通ずるような考え方も一部あったりして、アプローチは違えど行き着く先は似たところに行ったりするものだなぁ、などと思ったりもしました。

 

アドラーとも仏教とも関係ないですが、最後にマーク・トウェインの名言を引用させて頂こうかと思います。

 

Whenever you find yourself on the side of the majority, it is time to reform (or pause and reflect).

自分が多数派にまわったと知ったら、それは行いを改めるか、一息入れて反省する時だ。

 

 「多数派は常に間違っている」と紹介されることもある名言ですね。

 

生きていると、周囲の人たちに翻弄され、気力を失ってしまうこともあります。しかし、生き方に関して言えば、別に「多数派が正義」ではないのですよね。マイノリティーでいいじゃないですか。自分の道を自分のペースで進んでまいりましょう。

 

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII