寄稿:A.Mさん 東京都30代(女性)
医療現場の労働環境は予想以上だった。
周りの人たちは皆苦しそうで、自分自身もそうだった。
でも最近ちょっとした事件があり、この現状を書いてみたくなった。
興味があったら読んでみてほしい。
新卒で入職した病院のこと
私は看護学校を卒業後、東京に上京した。
若いうちにスキルを身に付けたいと思い、新人教育が良いと噂の病院に就職した。
でもこの就職は間違いだった。
休みが週に1日。週休2日は稀だった。夜勤が深夜9回、準夜6回の計15回平均。日勤からの深夜勤コンボが月に何回もあった。
夜勤の仮眠は15分ほど横になれればいい方で、基本的にはほぼ取れなかった。
残業も恒常化しており、先輩方が帰らないから新人も帰れない。定時帰宅していた同期の子もいたが、罵倒を受けるようになり、震えながら泣いていたのを最後に休職した。
そんな異常な環境のせいなのか、職場の関係も最悪レベルだった。
プリセプター(指導員)が名ばかりなのはまだいい方で、質問すると露骨に嫌な顔をされ、聞かないと怒鳴られ、何をしても攻撃の的にされた。
病棟全体がそんな雰囲気だった。
新卒の子はみんな下を向き小さくなっていた。
でも誰かが悪いわけじゃない。
人をそうさせてしまう場所なんだと思った。
それでも一部の先輩は色々と気にかけてくれ、良くしてくれた。強い人だと思った。
そんな先輩の一人が妊娠した。なかなか子供ができず不妊治療をしていた。5年も頑張って身ごもった。
でも代わりの看護師がおらず、今まで通り頑張っていた。
妊娠して2か月後。先輩は流産した。夜勤後に出血があって緊急入院。その一週間後、胎児の心拍が停止していたらしい。先輩はそのまま辞めていった。さよならも言えなかった。
先輩は何を思ったのだろう?どんな絶望を味わったのだろう?誰を恨んだのだろう?
私は睡眠薬を飲み始めた。
逃げ出したかった。でも残る人達の苦労を考えると辞められなかった
入職して3年が経ったある肌寒い日の夜勤中。
私は激痛で立てなくなった。急性胃炎と診断され入院することになった。
そのまま辞めることになった。
初めての転職
私は無職になり、仕事を探した。
前回の反省を踏まえ、しっかりと情報を集めた。病院のホームページを隅々まで読み、ハローワークにも通い念入りにチェックした。
別に望みなんてない。普通の暮らしができればいい。
良さそうな病院が見つかった。
面接は、感じのよさそうな師長が色々と話をしてくれた。前職の3年間を評価してもらえたのもうれしかった。
入職した。
ちょうど4月の新卒シーズンと重なり、中途採用者も一緒にオリエンテーションを受けることになった。
新卒の子らは相変わらず小さくなっていたけど、右往左往していてかわいかった。何かと頼ってくれ先輩顔できた。
年の差はあったけど、仕事終わりにみんなでガストに行ったり、カラオケに行ったり、家飲みをしたり、学生時代を思い出した。
でも2週間後。職場に配属され一変した。
職場の外科病棟は、仕事量がとにかく膨大だった。
院内14の診療科から術前の患者さんが集まってくる。夕方前後のオペが多く、18時から22時が最も忙しく残業が日常的だった。8時に出勤して23時ごろ帰宅するような生活。昼食以外の休憩はない。夜勤は夜勤で、1人で20人近くの患者さんを見なければいけない。術後せん妄で暴れたり豹変する患者さんも多く、そのたびに数少ない看護師が付きっきりになった。仮眠は取れなかった。仮眠スペースすらなかった。16時間息つく間もなく働いた。
仕事は手探りだった。
脳梗塞の術後患者さんが運ばれてくることも多く、脳外経験のない看護師ばかりで、その対応でナースステーション全体がパニックになったこともあった。投薬する薬は見たこともなかった。何の説明もない。インシデントは頻繁に起こった。実際投薬ミスは何度もありそのたびに血の気が引いた。でも誰も助けてくれないし、助ける余裕もなかった。新規の患者さんが来ると汗が出て、指が痺れるようになった。担当にならないよう祈った。
大きな病院には看護師が何百人もいた。知らない人が沢山いた。私はその中の小さな小さなほんの一部分でしかなかった。私は誰も知らないし、誰も私を知らない。沢山の人がいたけど、一人ぼっちで働いているような感覚だった。必死に頑張ったところで何かが良くなるわけでもない。ただ地獄のような日常がただ続くだけだった。
誰かが辞め、また新しい誰かが入ってくる。感情なんてものはない。そんな日常。怖かった。
2度目の転職
私はまた無職になった。
仕事を探した。看護の求人を見ると、昔を思い出し指が震えた。
看護以外の面接を受けた。
でも内定が出ず、半年間無職だった。
介護施設で働くことになった。
看護師として。
とはいっても看護はほとんどなかった。服薬管理とバイタル、たん吸引、入浴の可否判断くらい。急変時は併設の病院からドクターを呼ぶだけだった。拍子抜けするくらい看護が無かった。やっていけるかもと思った。
でも結果的に、この転職は大失敗だった。
ベテラン看護師の中に溶け込めなかった。
介護施設の看護師はほぼ40代と50代。10年以上働いているベテランばかり。グループが完成していて、そこに入っていけなかった。
入浴介助の担当を任された。
入浴中は看護師1名が付くルール。仕事は入浴中の見守りがメイン。見ているだけ。でも介護職員は汗だくで介助している。超高回転の流れ作業。冷たい目で見られる。嫌みを言う人もいた。舌打ちする人もいた。大声で罵倒する人もいた。脅迫する人もいた。手伝いたくても「看護師さんは」と避けられた。昼から夕方まで約4時間。
これを毎日担当した。
代わってくれる人はいなかった。
オンコール当番があった。
週1回担当という話は入職前に聞いていた。
でも実際は週三回だった。若いという理由で。
電話は結構鳴った。深夜に鳴ることが多かった。施設に行く頻度も高かった。お酒を飲めなくなり、外出もできなくなり、化粧を落としたり、お風呂に入る時間も気を遣うようになった。24時間ずっと仕事をしているような感覚だった。
10か月目。
退職することになった。
色々と良くしてくれた施設長さんには大変申し訳ないことをした。
3度目の無職
私はまた無職になった。
1日ボーっと過ごした。
仕事を探そうともしなかった。
看護関係の本は全て捨てた。
看護学校の大切な思い出も捨てた。
家から出ることがほとんどなくなった。
それでも貯金はどんどん減っていった。
母への仕送りができなくなった。
でも何もしなかった。
何もできなかった。
3度目の転職
無職になって1年ほどだった頃。
私はまた動き出した。
ハローワーク、求人誌、転職サイト、再就職フェア、病院見学など、色んなところから情報を集めた。
その甲斐もあってか転職サイトで人の良いエージェントさんに出会い、面倒を見てもらえた。
今の職場も忙しい。
看護の仕事に楽な職場なんてない。
看護師は離職率が高い。
今の職場も毎年のように人が辞め、新しい人が入ってくる。
でも以前の職場と決定的に違うのは、困っていたら誰かが助けてくれるし、困っていなくても誰かが声をかけてくれること。
冗談を言ったり、軽口を叩いたり、ナースステーションの隅に男性アイドルのきわどいグラビアを貼てみたり、それを見てワイワイやってみたり。
私は誰かが困っていたら助けられるようになったし、困っていなくても声をかけられるようになった。
看護師7年目。
仕事が好きだと思えた。
なぜ仕事が辛いのか?
「守られていないから」だと思った。
誰にも頼れず、誰も助けてくれず、誰もが無関心。
こういった場所は本当に辛い。
でも誰かが守ってくれる場所なら、多少の辛い仕事でも苦にならない。
そういった環境なら人は優しくなれる。
他人を気にかけ、手を差し伸べられる。
もちろん本当に強い人は、どんな場所でも優しくなれるのだと思う。先輩達のように。
けど私は典型的な弱い人間で、強くはない。環境に左右されてしまう。
日本の病院のほとんどは人手不足。
誰かを気にする余裕もなく、一人ぼっちで孤独で恐怖で、多くの看護師が「辞めたい」って悩むんだと思う。
看護師の流産は多い。
大きな病院だと流産の話は毎年聞く。異常だと思う。
でももっと異常なのは、それを異常だと思わない今の医療業界だと思う。
最近、流産した先輩から電話がかかってきた。何年かぶりに聞いた先輩の声は優しかった。
子供が産まれたらしい。
泣いた。
私が大きな何かを変えられるなんて思っていない。
だけどもし身近な誰かが苦しんでいたら、一緒に悩んであげられる人間であり続けたい。
私にも新しい家族ができ、改めてそう誓った。