ツイッターやブログを読んでいると
「○○するなんて子どもみたい」
という批判?を目にすることがある。
それを見るたびに、私は過去の失恋を思いだす😂
「子どもだね」と笑う彼女
それは私が20代半ばの頃のこと。仲の良い女性がいた。
私は当時、ちょっと優しくされると、勘違いしてすぐに惚れちゃう病だったので、その女性を好きになるには、それほどの時間はかからなかった。
その彼女はよく、笑いながら私のことを、
「ミナオくんって、子どもだね。」
と評していた。
「子どもだね」に翻弄される私
どういう趣旨で「子どもだね」と私を評したのかは、もう20年近く前のことなので詳細には覚えてはいないのだけれども、私に落ち着きがなかったことや、すぐ感情を表出してしまう姿を見てのことだったのだろう。
私は、
「子どもだね(笑)」
と言われるたびに、
「大人にならなきゃ、彼女に好かれない。」
という気持ちになったのを、よく覚えている。
だからもう、彼女に会うときは毎回必死なわけですよ。落ち着きのある姿、感情も安定している姿、知性もある姿、努力をする姿、夢を見ずに現実に足をつけた姿、彼女が好きだからという理由で、好きでもない文学を読む姿……。
どの姿が彼女にとって「大人らしい」のかが明確にはわからないので、とにかく自分がこれぞと思う姿を演じて、彼女の前でカッコつけていた😅
自分の評価を完全に彼女(の曖昧な発言)に委ねてしまっていて、マズいパターンだなあ、と今なら思う。
避けられ、「重い」と言われる
で、私は彼女に対する想いが高じて、付き合ってほしいというお願いをした。
返答はイエスでもノーでもなかった。
「友達だと思っていたから、すぐに付き合うことは考えられない。でも、今よりも会う時間を増やして、もう少しお互いのことをわかり合おう。」
というようなことを言われたと思う。
当時は(今もだけど)単純だった私は、この言葉を額面通りに受け取っていた。
しかし、返答をもらってしばらくして、彼女との連絡が滞るようになった。実際に、その後二人で会えたのは、覚えている限り、1回しかなかったのではないか。
その後、彼女と二人で話をする機会を得たとき、大人げない感情的な私は、
「なぜ電話やメールに応答してくれなかったのか?」
と詰め寄った。
すると彼女は、
「ミナオくんが重かった。」
と答えた。
きっと正直な言葉だったのだろう。
でも、子どもっぽくて怒りっぽい私は
「それだったら、最初から俺の気を持たせるようなことを言うなよ💢」
と言い、怒りに任せてかなりひどいことを、彼女に言ってしまった。
当然、彼女とはそれっきりになった。
(こんな男と付き合わなくて正解よ、Aちゃん)
「子どもっぽい」のは悪いことか
「子どもっぽい」とか「大人っぽい」とか「重い」とか「重くない」とかはどうでもよくて、単に私のことが好きじゃなかった口実なんだろうな、と思う😅
好きじゃない理由なんて、後付けでなんとでも言えるのよね。
ただ「子どもっぽい」というのもTPOの問題であって、そんなに悪くはないかな、と今なら思う。
子どもって何事もストレートで感情的じゃない?怒るときは怒る。笑うときは笑う。遺恨も残さないしね。
その感情に「常識」というフタをして、みんな「大人」になるんじゃないかな。
そして「常識」というフタの下に押し込まれた感情は未解決の感情としてそこにとどまり続け、いつしか腐臭を放つまでに放置される。そして、何かの拍子に爆発をする。
「子どもっぽい」ということは、こういう感情を溜めず、常に心をフレッシュに生きるということでもあるように今は思う。
そもそもさ、生まれたての子どもは、感情を表出するようにプログラムされているわけですよ。だからそういうあり方が、人間としての本来と姿なのではないかと思うのね。
感情を理性で封じることは完全にはできない。
好きな女の前でくらい、子どものように振る舞えばいいじゃない?と、20年前の私にそう言ってあげたい気分。
それでダメになるような恋ならば、どうせ何をやってもダメなのよ。
まあ、当時の私なら、聞く耳を持たないだろうけどね😅