電車に乗っていると、正面の座席に親子連れが座った。
お父さんに抱っこされた小さな男の子は、まだ1歳になっていないように見える。きゃっきゃしながら辺りに手を出そうとして、その度にお母さんになだめられていて、夫婦お二人は周囲に気を使ってなかなか大変そうだった。
あー、つい数年前はうちもあんな感じだったよなあ、としみじみした。個人的には、他のご家族のお子さんが多少騒いでもなんということはないので、それ程頑張って頂かなくてもいいとは思うのだが、周囲のことも考えるとそうもいかないだろう。しんざき家もそうだ。
そんな中、全然大したことじゃないのだが、面白いことに気が付いた。
その男の子が、駅につく度に、大きく息をつくように「しーーーーーーっ」と言うのだ。で、その度に、「どうだ!」と言わんばかりにお父さんを見る。
お父さんは、「そうだね、しーーだね」と言って、静かにさせる仕草をする。男の子はきょとんとしている。
あー。そうだ、あったあった。私には、男の子が何をやっているか、何をやろうとしているか、その見当がついた。
彼は、駅について、ドアが開く時、閉まる時の、空気が漏れるような音を口で再現しようとしているのだ。しかも、その音は結構再現度が高かった。
なんで私にそれが分かったかというと、なんということはない、うちの長男も同じことをやっていたからだ。彼は随分長い間その仕草をしていて、私にもしばらくはその意味が分からなかった。もう少し大きくなって、長男がかたことで話せるようになった時、私は彼から初めて、その音の意味を聞いたのだ。
〇〇くんは、しーーってしてるのなんで?
あのね、どあ、してうの。
ドア、してるの。
そう聞いた時の新鮮な感動は、今でも忘れられない。
そうだったのか、この子はずっと、ただただシンプルに、自分に聞こえた音を自分で再現しようとしていたのか。周りの世界を、自分なりの解釈で表現しようとしていたのか。
正確にあの頃のことだったのかよく覚えていないのだが、私はその頃から、「こどもと言葉でコミュニケーションが出来る」というのがいかに凄いことなのか、いかに楽しいことなのかを学んでいった、と思う。自分に全くなかった視点に気付かせてくれる。自分に全くない感覚を提示してくれる。それは、まるで120度の視界が急に360度になるような、不思議で鮮烈な驚きだった。
だから私は、そのお父さんに話しかけることはしなかった。「ドアの音を真似してるのかも知れないですね」とも言わなかった。
いつかきっと、お父さんと男の子との間に、あの時の私と同じような鮮烈なコミュニケーションが成立しますように。
人間と人間との間の、不思議な意思疎通が親子間の絆に変性していきますように。
私はただただ、そう思ったのだ。
私が降りる駅がきた。ドアが開いた。
ドアの前に立った私のすぐ横で、男の子が再び、「しーーーーっ」と言った。