2017年5月24日、台湾では大法官会議において、同性愛者の結婚制限は違法だという判決を下りました。反対する人々も多くいましたが、同性婚を社会的に認めるに大きな一歩としてとらえられています。
今回は1970年代台湾のゲイのコミュニティを描いた小説、『孽子』(げっし)(1983)を紹介していきたいと思います。
『孽子』(げっし)は台湾では、有名な作品です。
作者白先勇の文学的な評価が非常に高く、1983年に出版され、1986年の映画化、2003年のドラマ化が反響を呼び、台湾においては、若者から年寄りまで知っている作品だと思います。
2003年のテレビドラマの宣伝写真。(蓮の花を持っているのは、「阿鳳」という伝説のキャラクターです。)
変な順番ですが、あらすじに入る前にまず小説の冒頭部分を読んでみましょう!
3ヶ月と10日前、異様に晴れたある朝、父は私を家から追い出した。陽射しはうちの路地を真っ白に照らし、私は素足で一生懸命に外に逃げ出した。路地口に着き、私は振り返って、後ろから追いかけた父を見た。彼の巨大な体はゆらゆら揺れ、片手で昔中国大陸で団長だった際に使った自衛銃を振り回し続けた。斑らの髪は立っているようにもみえ、血走った目が怒りの炎を発した。彼が、悲しみと、怒りに震えたしわがれた声で叫んだ:畜生!畜生!、と。
『孽子』1983(1992)、P.1
この冒頭部分で、読者を作品の世界観に引き込みます。
今、手元は中国語のバージョンしかないので、自分勝手に訳しました。
ちゃんとした訳文を見たい方はぜひ日本語の訳を参照してください
あらすじ
主人公は「李青」という男子高校生です。
彼は学校で同性間の「不適切な行為」により、退学処分となりました。
先ほど紹介した冒頭の部分は、その退学を知らせを受けた父親が彼を家から追い出したシーンです。父に追い出された後、李青は数多く男性の同性愛者が集まる「新公園」(現在の「228記念公園」)を放浪します。彼のような若者達は、各々の夢や希望を抱きながら「新公園」に集まった中高年男性に体を売り生きていました。
「新公園」に集まった同性愛者達は、青春な匂いを放す若者もいながら、体が弛んだ男性もいたり、歳をとっている元俳優の老人もいました。
『孽子』は、同性愛を中心に取り扱った小説ですが、「恋愛」や「性」についての描写にはあまり重みをおいておりません(これは「恋愛」や「性」の方は重要じゃないという意味ではなく、むしろ普通すぎて、強調する必要がなかったかもしれません…)。その代わりに、冒頭であるように、家族、特に「父」との関係を丁寧に描いていきます。
「孽子」とは?
辞書を調べているところ、タイトルの「孽子」は二つの意味があります。
一つ目は、妾が産んだ、あまり愛されていない子の意味で、もう一つ目は、親不孝の子どもを指しています。
親に愛されていない子と、親不孝な子、「愛」を発する主体と権力関係は、一見真逆な立場ですが、不思議に物語に合致しています。
また、父との関係以外、母、兄弟との関係、「新公園」のコミュニティ内とコミュニティ外の人との関係など、主人公のアイデンティティの転換や感情を着目し、非常に細かく描写しています。
物語の舞台、「新公園」という場所
「新公園」は現在「二二八記念公園」に改名し、交通の中枢である台北駅から徒歩10分ー15分ぐらいの距離です。地下鉄(MRT)台大病院駅の4番出口から出たらすぐそばにあります。
「新公園」は、1908年日本植民地時代の時に建てられた台湾最初のヨーロッパ風公園です。1935年で行われだ台湾博覧会の会場の一部でもあります。国立台湾博物館もその中にあります。
元々新公園と呼んでいましたが、1996年の際に、「二二八記念公園」に改名しました。
新公園境内には異なる時期で建てられた建物がありまして、非常に興味深いところでした。その歴史は今後改めて書きたいと思います。『孽子』の中では、「新公園」のことを「王国」と呼び、以下のように描写しました。
我々の王国では、黒夜しかなく、白昼はなかった。…………我々の国境の端っこに、幾重にも重なった熱帯の樹々が植えられ、ミドリサンゴ、パンノキ、そして年をとって葉っぱが落ちそうなヤシが何層も纏わりついていた。道路沿いで毎日頭を振り回した大王椰子が、まるで緊密な柵のように、我々の王国を隠し、外の世界と隔絶させていた。…………
『孽子』1983(1992)、P.2
本当に熱帯的で、湿気と重みを感じさせる文章です。
1950年代あたりから、新公園や台北駅近辺などはすでに男性同性愛者などの出会いの場として利用されました。日本でいうところの「ハッテン場」というものでしょうか?
ただし、1970年代以前、「同性愛」という概念があまり知られなく、新聞においては「性的変態」、「人妖」(オカマ的なニュアンス)などで括りました。1970年代、「ゲイバー」のような交際場所がまだ盛んになってない時、新公園は男性同性愛者の間に、一つ有名な出会いの場でした。
他人との繋がりを求める際に、公園内で徘徊して、目つきや手つきなどを通して、相手を見出しました。
小説の中では、かなり独特な雰囲気を醸した新公園ですが、現在、ごく普通の公園の感じです。子ども達も園内で遊んだりして、栗鼠も鳩などの小動物も生息しています。本当に気軽に行ける場所なので、聖地巡礼(?)に興味のある方台北を訪ねる機会がありましたらぜひ(笑)。
1970年代の台湾に生きた若者たち
ここで非常に非常に大雑把に、台湾の歴史を振り返しましょう。
17世紀から、中国南部からの漢民族の移民が徐々に増加しました。
1895年、下関条約で台湾が日本の植民地になり、1945年までの50年間は日本の管下に入りました。戦後、中国国民党政府の管下に入り、中国国民党政府は台湾へ敗走することによって、中国各地から軍人や難民も数多く台湾に移住しました。
戦前から台湾に住んでいる人々(本省人)と戦後台湾に移住する人々(外省人)との間の軋轢は、長い間台湾の政治的問題になっています。
作者の白先勇の父、白崇禧は戦後から来た元将軍です。
彼は非常に有名で、国防部長(日本の防衛大臣に相当するポジション)を就任したこともあります。ちなみに、彼はムスリムだということも有名です!
生まれた環境にも関連し、白先勇のもう一つの有名な短編小説集『台北人』(1971)は、戦後、やむを得ず台湾に移住した外省人たちの心境を描いた物語の集大成となっています。
中国で家族、恋人を持ち、少年時代を過ごした彼らにとって、台湾での生活は窮屈で、常にどこかで喪失感を感じていました。
『孽子』の主人公の李青の父は、外省人の退役兵士で、いつも『三国志』を読んだり、軍人時代に配れられた銃の手入れをしていました。
中国こそ故郷の『台北人』世代(主人公の父など)と異なり、二代目の李青は台湾で成長し、中国のことについてあまり思い出がありませんでした。
主人公の李青のみならず、外省人の二代目の龍子も台湾(新公園)を帰る場所と認識しました。アメリカで10年間生活した彼は、最終的には、ここに戻ってきたのです。
また、主人公の友達、小玉、の父親は日本の華僑です。彼の父は、母の妊娠期間中に帰日しまして、それから音信不通になりました。小玉の願いは日本に行って父を探し出すことです。
『孽子』の登場人物たちは、『台北人』世代と違って、過去の思い出や栄光に浸ることはなく、いろいろ試しながら、1970年代の台湾で精一杯に生きています。
少し前提知識が必要なので、いきなり小説を読めるかどうかに自信のない方は、2003年のドラマ版を視聴した方が良いかもしれません。小説内容や設定は幾つか違う部分がありますが、あらすじや物語の設定は、わかりやすくなっています。
ドラマの中の一つ面白いところは、楊金海(上図、右から二番目)や老周などの年寄りのゲイの方は、原作と異なり、結婚していた(離婚や死別ですけど)設定です。結婚していましたので、娘も持っていまして、元奥さんや娘との関係も注目するポイントです。ドラマの中に、「正常」の世界から隔離した王国というよりも、むしろ主流の価値観からの凝視、そして理解しようとする目線が含まれているでしょう。
繰り返しになりますが、『孽子』は単なる禁忌された恋愛を謳ったものではなく、むしろ「新公園」にいる同性愛者のコミュニティの様子を描いた作品だと思います。作者の白先勇も、「『孽子』は同性愛者を描くもので、同性愛そのものではなかった。本の中にはあまり同性愛の描写がなく、登場人物は圧迫を受けた人間です。」と述べました。
同性結婚の容認が進んでいる一方、改めて『孽子』を読み返すのも良いかもしれません。
主な参考文献
國立中央大學 歷史研究所 修士論文: 孽子的印記—臺灣近代男性「同性戀」的浮現