最近、感じることであるがスマートフォンゲームの課金(通称ガチャ)に対する擁護が増えたことである。
以前はコンシューマー機の方が良いなどと言う声が多かった感覚だ。
数年で世の中というのは変わるのだということだ。
消費社会でこんな感じなのだから、政治的な雰囲気などというものも変化していくのだろう。
怖いと思うのは、かつては批判的だった人間がすっかり嵌っていることだ。
自分の考えが変わっていることに気づかない。
財布の中のことだから問題はないが、戦争など人々の命が関係することでも簡単に変化するのではないかと思うと震え上がる。
スマホゲームはSNSが無ければここまで流行ることは無かっただろう。
SNSには、こんなキャラを○万円かけて引いたとかいう消費自慢がある。
これが人々の自己肯定につながるのだろうか。
フリマアプリの落札というのも、人々の承認欲求に応えているという話を聞く。
都内の小さな映画館の職員が「今の人間は映画に知っていることを求める 以前は知らないことを求めていた」と言っていた。
ただ、やはり容姿が悪いと人間は生きるのが苦しいというのは変わらないというのが実感だ。
ネット社会も現実と変わらなくなり、顔が悪いと肯定感を得にくくなっている気がしなくない。
容姿が醜くとも自己肯定やらを得られる仕組みやらコンテンツが必要なのではないかと感じている。
イノベーションのジレンマ