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ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

ゆとり世代のミニマリスト。ミニマリストネタを基本につぶやく雑記ブログです。

人に迷惑をかけない事に固執して何をしたいのか分からなくなる問題について

どうもたんたんです。

 

最近気持ちが行き詰まったら近所を散歩するようになりました。

 

小さい頃から見慣れた景色ですけど、行く果てもなくのんびり歩くような時間も案外大事かなと最近感じるようになりました。

 

という事で今回の記事はその散歩の時に思った、《他人に迷惑をかけない生き方》固執する事な弊害みたいな事をTwitterで呟いた事を中心に書いていきたいです。

 

そもそも僕は人が大事にしている事って一種の宗教だと思っている節があります。

 

宗教って聞くとなんか聞こえは悪そうだけど、どの人も何かにすがらないと生きていけない部分はあります。

 

僕の場合はミニマリスト的な考えや面倒くさがりみたいのも言っちゃえば生きていか上で大切にしている宗教です。

 

ちなみにこのブログだって言っちゃえば自分の宗教に他人を勧誘しているもんです。

 

でも基本的には自分の意見を書いて気持ちよくなりたいだけであり、自分の意見に影響をうけて信者になって欲しいとは思っています。

 

 

結構1か10で考える人が多いんだけど、それもあくまでその人の信仰している宗教を基準に考えているものだ。

 

そういったものにわざわざ従う必要はないと思っている。

 

結局自分の頭で考えて自分にあった宗教を確立して生きていったほうが明らかにコスパがいいような気がする。

 

人の宗教はあくまで人の宗教であり、それを信仰するかなんて自由なんだから、世の中に蔓延している、他人に迷惑をかけずに生きよう教だって無視していいと思う。

 

もちろん明らかに悪気があって他人に迷惑をかけるのはあまり良くないような気がするが、自分の生き方に一貫性を持っていればそういったケースは少なくなる。

 

 

自分の宗教を作っていくにあたって人の宗教や世間一般的に支持されているものをうまく取り入れていって自分の価値観を作ることが大切だ。

 

でもツイートしたように子供からすると親は絶対的な教祖様であり、教祖様の方向性みたいなものが結構人生左右されると思う。

 

僕の場合は結構身動きが出来ていたので、早い段階でいろんな宗教を行ったり来たり出来たことが大きい。

 

人の宗教に合わせるやり方は非常に楽で、効率が良いように思えるけど、逆に息苦しさや自分らしさの欠如を感じてしまって、不幸になるケースは多い。

 

 

人に迷惑をかけずに生きよう教は世の中うまく生きていきやすいかもしれないけど、それを守れなかった時の他人から認めたもらえずらくなってしまう。

 

それよりも僕個人としては他人の失敗や行動に対してもうすこし許せるようになる方がみんなもっと楽に生きていくことが出来そうだ。

 

自分と違った価値観を否定して切り捨てるのは、気持ちいいし楽だ。

 

だけどなんやかんで他人の価値観を認め、なんとか擦り合わせる努力をする事が世の中を心地よく、上手に生きていくコツのように思える。

 

何事も対立していては気分も悪いし、出来るだけお互いを認め合って仲良くやっていきたいと思う。

 

 

0か100でしか考えられない人は自分の居場所を限定してしまい、狭いコミュニティで消耗してしまう傾向がある。

 

それの何がいけないかということについては以前記事に書いたから読んで欲しいと思う。

 

そもそも他人の言動に対して干渉しすぎて、自分で他人を変えれるという間違った思い込みをしているだけだ。

 

人は他人を変えることは基本的にできない。

 

自分を変えないなら自分の頭で考えて行動するのみだ。

 

まぁそんなに他人に干渉できなくて悲観になるより、その人を楽しい方向に導いてあげるぐらいは出来る。

 

人にマイナスを与えるのではなくて楽しい事を提供したほうがいいのではないかと思うけど皆様はどうでしょうか?

 

 

何事も少ない価値観に依存してしまうと、自分のやりたい事や楽しい事が分からなくなったなんのために生きているかが分かりづらくなる。

 

自分の首を絞めている状況をまずは脱却して他人目線から自分目線で物事を捉えられるようになって頂きたい。

 

結局そっちの方が他人の為にもいいと思うし、優しい世界になるのではないかと思う。

 

というたんたんの宗教ですが、ぜひ参考になる部分だけ取り出して上手い事アレンジして工夫して人生をカスタマイズして欲しいと思う、