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Twitterで出回っている「頭のいい人」とかいう画像の違和感

古いネタですが、
Twitterで出回っているこのツイート

趣旨としては、
「りんごを見て、直情的に[りんご][赤い][おいしそう]と思うのが頭の悪い人で、
[キティちゃん][ニュートン][ビートルズ]というふうに連想できるのが頭のいい人。
この連想が早いく多いほどより頭がいい」

というもの。

頭が良い/悪いってそういうことじゃないと思うんですよね。

というか、そもそもこのツイート内に矛盾があって、
「連想が早いほど頭がいい」ならば、頭の良い人と悪い人の違いは連想の”数”だけのはずなのに、
ツイートでは連想の”内容”も違っています。

 

僕の見解ですが、頭の良い人というのはただただ回転が早かったりワーキングメモリが大きいだけで、
思考の内容に質的に優れているというわけではないと思っています。

 

じゃあこのツイート中で「頭の良い人」とされている人はなんなのかといえば、
「分析的な思考に慣れているだけのヤツ」だと思います。

思考の方法やフレームワークというのは後天的に獲得されるものです。
りんごを見て「赤い」「丸い」「果物」「植物」「リンゴ」「ringo」というふうに抽象するのはそういう思考のフレームワークに毒されているだけです。

 

分析的思考・論理的思考ができたって頭が悪ければどうしようもありません。
人に[頭がいい]/[頭が悪い]&[分析的思考ができる]/[分析的思考ができない] という属性があったとして、
賢く”見える”順番としては

  1. 頭が良くて分析的思考ができる
  2. 頭が悪くて分析的思考ができる
  3. 頭が良くて分析的思考ができない
  4. 頭が悪くて分析的思考ができない

となるので、分析的思考ができる人=賢いと思ってしまうんだろうなあと思いました。
実際は思考内容や方法と頭の良さは関係ないのにね。おしまい。

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