数多くの挫折感と戦友の屍をなんとか諦めずに乗り越えてきた。
望んだことでありガチの教授選に勝ってのことなので嬉しいといえば嬉しい。赴任先の大学のレベルも環境も待遇も文句ない。
でも、ある時に偉くなる努力から逃げてはいけない、さもなくば研究をすることさえできなくなると気付き、それほど面白くない研究でもポジション取りにつながるならとやってきた。
自分の中の研究に対する気持ちを抑えて、仕事として研究をしてきた。
でも、もう自分の気持ちに嘘をついて研究テーマを選ぶ必要はなくなる。
今のような世間の評価という名の受け狙いの研究方針は止めるべきだ。
いつまでも大学受験を語る東大生のようなことはしてはいけない。
ではポジション取りやnatureやノーベル賞といった外的評価に影響を受けない本当に価値がある研究とは何か?
そして、心から面白いと思うものへと走る心を取り戻さないといけない。
面白いことをするだけでなく、面白いと思うことさえトレーニングを必要とする。
この十年は自分の気持ちに嘘をついて、面白いと思うスキルが鈍ってしまった。
幸いに比較的早く教授になれたので、心はまた希望に満ちている。
とりあえずアカハラはすんなよ 殺すぞ
アオハルします
教授はやっちゃ駄目
アオカンはやっちゃ駄目
一度日和った人間が、また自分の感覚を取り戻すのは無理。 10年もやってりゃ打算が体に染みついとるわ。
他人の足引っ張るしか能がないのか
足を引っ張るつもりはないが、そういう欲を持つと後が辛いぞ、と。 お前が思っているような純粋さには戻れないと覚悟してこれからの生活を考えたほうがいい。
おめでと 学生にはやさしくしてあげてね
そうね たしかに 難しいわな お前の専門が何かに依存するけど 簡単な数学の問題を解くところから始めてみたら?
中学~大学の数学の難問とやらに取り組んでみたけど 面白かった 自然現象は微分や積分でモデル化されるということを強く意識 しながら数学の教科書や自分の専門の論文を見てるけど ...