私が20数年前アメリカに行った時、アメリカでは忍者ブームで、特にショー・コスギ(日本人)の忍者映画が大人気だった。
当時のアメリカの子供たちは日本に忍者がいると思っているようだった。
言うまでもなく、今現在、日本でちょんまげを結っている人はまずいないし、お歯黒をしている人はまずいない。
和服を着て生活している人はほとんどいないし、ほとんどの人が洋服を着て生活している。
洋服というのは要するに西洋、ヨーロッパ起源の服である。
和食もだんだん食べなくなってきている。味噌汁とか納豆、漬物を食べることができない日本人も増えているという。
和室・畳のない洋風の家も増えている。
しかしそれでも「日本人」なのである。
日本語の中に、近代以降、数多くの外来語(おもに西洋から)が入り、今ではカタカナの外来語がなくては日本語が成り立たないほどになっている。
最近では、国際化の時代なので英語ができないといけない、ということで、小学校でも英語を教えることになった。
また、会社の公用語を英語にしようとする企業も出てきている。
このままでは、100年後ぐらいには日本語が消滅している・・・かもしれない。
アイヌについても、今、茅ぶきのチセ(家)に暮らしている人はもちろんいないし、アイヌ料理を日常的に食べている人はほとんどいないし、家でカムイノミ(神への儀式)をやる人も非常に少ない。
アイヌ式の結婚式や葬式はめったに行われない。
家には仏壇や神棚があり、大部分のアイヌの生活において、冠婚葬祭は一般の日本人と同じである。
ただ、先ほど書いたように、和人も和服を着て生活をしているわけでないし、ちょんまげを結っているわけでもない。
昔ながらの生活をしていないからもう民族としては消滅したと断定してしまうのはあまりにも乱暴ではないだろうか。
では、和人がどれだけ伝統文化を保持しているだろうか。
日本人がみんな俳句や短歌をやっているわけではないし、尺八や三味線を演奏できるわけではない。
生け花や茶道の心得がある人はごく一部だろう。
テレビ以外で能や歌舞伎を一度も見たことない人も多いだろうし、それぞれの内容や特徴をきちんと説明できる日本人がどれだけいるだろうか。
かえって、日本文化に関心を持って勉強して日本にやってきた外国人留学生の方が日本人より日本文化について詳しかったりするのが現状である。
今では外国人の合気道や能の師範などもいるのである。
民芸販売や古式舞踊公演を中心に、観光客にアイヌ文化を紹介する場として有名な観光地、阿寒湖のアイヌコタンには全国から観光客がやってくるが、今でもアイヌが昔ながらの生活をしていると勘違いしている人もいるようである。
とある人は、そういう観光客に対して、「あら。お客さん、ちょんまげと刀はどうされましたか?」と問いかけるのだそうである。
とはいえ、和人の文化はまだまだそれなりには残っている。
いくら西洋化が進んだとはいえ、やはり米を食べ、味噌汁や納豆、つけもの、うどん・そば、もちなど、日本の伝統料理はまだまだ和人の生活の中で生きた形で残っている。
短歌なり俳句をやる人もまだまだいるし、盆栽や茶道などもやる人もそれなりにいる。
日本各地で、いろいろな地域の祭りが現在も残っている。
お正月も節句も七五三も七夕も日本の文化である。
アイヌについては、かなりの部分伝統文化が衰退しているのが現実だ。
ただ、その中には、アイヌ民族自身が自ら選択した部分も含まれているだろうし、迫害の歴史の中でそうならざるを得なかった部分もある。
たとえば、アイヌが儀式の中で使うトゥキやタカイサラなどの漆器は和人由来のものと思われる。
http://www.hmh.pref.hokkaido.jp/jouten/theme2/tuki.htm
儀式で使うシントコ(行器=ほかい)も和人から手に入れたものである。
http://www.ainu-museum.or.jp/nyumon/gireigu/ioype.html#sintoko
実際、アイヌと和人が交易する中で、アイヌは自分たちの生産した干し鮭やコンブ、毛皮、鳥の羽などを輸出し、それと引き換えにこれらの漆器を手に入れたのである。
食事で使うイタンキ(お碗)もアイヌ自身が作ることはあまりなかったようである。
おそらく、これらの木器が普及する前の時代は土器を使っていたのではないかと思われる。
これは和人と接触する中で、土器に比べて割れにくく軽い木器のほうが便利なので、和人から交易で手に入れようになり、自分たちで土器を作らなくなったのではないかと思われる。
人間は、便利なもの、魅力的に思うものをよそから手に入れて手に入れるのは当然のことである。
和人の大多数が洋服を着て暮らしているのは、別に西洋人に強制されたからではなく、西洋人に接触する中で、洋服が便利なので、次第に和服をあまり着なくなったということになろう。
ちょんまげも西洋人に禁止されたのではなく、日本人が自らやめたのである。
(ただし西洋列強からの圧力が日本人の西洋化に拍車をかけた面があることは否定できないだろう。)
仏教は、インド起源の仏教であるが、もともとのインドの仏教は現在の日本の仏教とは相当違うものである。
それが中国に伝わり、さらに百済(くだら。現在の朝鮮・韓国のもとになった王国)から日本に伝わった。
お経は要するに漢文、昔の中国の文章語であるが、その多くは、もともとインドの言葉で書かれた経典を漢訳したものである。
漢字も文字通り、もちろん日本にもともとあった文字ではない。
すでに書いたように日本語の中には膨大な数の漢語が入り込んでいる。
これらは昔の日本人が、これはよかれと思って外国から受け入れた外来文化である。
アイヌ語の中にも日本語からの外来語が多数入っているが、これも当然のことである。
特に樺太アイヌ語などの場合、ニブフ語やウィルタ語、ロシア語から移入された言葉があることが分かっている。
文化は変わるものであるし、人から人、国から国に伝わるものである。
アイヌ文化も孤立したものではなく、近隣民族との接触の中で、さまざまな影響を受け、さまざまな文物を手に入れた。
アイヌに関しては、北海道アイヌの場合やはり和人との接触が多かったので和文化の影響が強く、樺太アイヌの場合は、近隣のニブフやウィルタ、大陸の諸民族、ロシア人などからの影響が強かったようである。
ということで、アイヌ民族は、ほかの民族の文化同様変容しているし、外来文化を影響を受けているのは当たり前のことなのである。
アイヌの文化は和人など、ほかの文化と混交しているので独自の民族ではないということはできないのである。