小林よしのりが民族としてのアイヌを認めないと主張する根拠の一つに、アイヌ文化が和人の文化などの影響を受けたもので混交している、というものがある。
(『わしズム』p46など)
しかし、アイヌに限らずに、文化が存在する限り、他者と混交するは当たり前のことなのである。
北海道アイヌの文化にはやはり和人の文化の影響は強いし、樺太や北千島のアイヌの文化はロシアの影響が強い。接触の多かった民族の影響を強く受けるのは当然のことである。
アイヌ語の中に日本語からの外来語が多数入っていることはアイヌ語を学べばすぐ分かることである。
いわゆる日本文化というものもそうではないか。
仏教・茶道・書道などなど、日本の伝統文化のようにみなされているさまざまな事物は、大部分中国や朝鮮から輸入されたものである。
ひらがなやカタカナも漢字を崩して作った文字であり、日本にもとからあった文字ではない。
テンプラは日本にもともとあった伝統料理ではない。テンプラはポルトガル語であり、外国料理がもとだったのである。
日本語という言語にも数々の漢語や西洋語が取り込まれており、特に漢語についてはほとんどそれが外国由来であることが意識されることがない。
たとえば普段我々が使っているイチ、ニ、サン、シ…の数字も中国から伝わった漢語であることを知らない人も多い。
これはもともと当時の中国語でit, ni, sam, siなどと発音していたのを日本語に取り入れたのがもとになっている。
現在我々の使っている言葉の中には、数多くの漢語が使われている。これはもとはというと、昔の中国から伝わった外来語なのである。
特に文章語だと漢語の割合が多く、7割以上が漢語だという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E7%A8%AE
この文章の最初の段落の漢語の部分をカタカナにしてみるとこうなる。
小林よしのりがミンゾクとしてのアイヌを認めないとシュチョウするコンキョの一つに、アイヌブンカがワジンのブンカなどのエイキョウを受けたものでコンコウしている、というものがある。
今現在日本人の言語生活において漢語は必要不可欠なものになっているのである。
そして明治以降の日本の文化は欧米の影響を強く受けているし、特に戦後はアメリカの影響が強いわけである。
しかしJ-POPもテレビゲームもラーメンもすべて日本の文化である。
日本文化として日本人に意識されてるものも、さまざまなものが混交して成立しているのである。
混交しているからと言って、日本民族が存在しないということにはならない。
たとえば、小林がよくとり上げる、チベットにしても、彼らの信仰している仏教(チベット仏教)はもともとインドから渡来したものである。
それをチベット人はそれを取り入れて自分のものにしたわけである。
彼らの使っているチベット文字はインドから伝来した文字を改良したものである。なのでチベット人の文化もやはり混交の結果できたものなのである。
文化の混交は当たり前のことであり、これはこの地球上のすべての文化について当てはまるといえるだろう。
混交していたら民族とは呼べないというのもあまりにも乱暴な理屈であろう。