2012年04月25日

吉里吉里人とケセン語

2010年に死去した作家の井上ひさし(山形出身)の作品で『吉里吉里(きりきり)人』というものがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8C%E5%90%89%E9%87%8C%E4%BA%BA
(昔、途中まで面白く読み進めたのだが、残念ながら中断してそのままになっている。)

この小説は1970年代に書かれたものであるが、東北の吉里吉里という村が舞台で、吉里吉里村が日本国からの独立を宣言する話である。
(なお、吉里吉里というのは架空の村ということだが、実際に吉里吉里という地名は岩手県に存在する。キリキリはアイヌ語で鳴り砂のことであると言われている。)

独立を宣言した吉里吉里国は、吉里吉里語を「国語」とし、吉里吉里語の教本まで作られる。
作品の中で、吉里吉里人たちは、吉里吉里語を話し、それがそのまま文字になって表記されている。
吉里吉里語は、要するに、いわゆる東北弁である。

これは架空の物語であるが、東北人は東北人で自分たちの郷土の言葉や文化に持っている人も多い。
(東北弁を馬鹿にしたり蔑む傾向も昔からあったので、コンプレックスを持つ東北人も多かったようである。)
さすが東北出身の井上ひさしらしい、郷土への愛情を感じられる作品である。

東北弁は、関東や関西の言葉とは相当違うことは、他地方の人でもよくご存知だろう。
本当の方言を他地方の人が聞いたらまったくといっていいほど分からないかもしれない。
もちろん東北でも青森や山形、岩手、秋田、宮城などなど、それぞれの地域ごとに違いがあるのでひと括りにはできない。

ということで、東北人が、自らの言葉を日本語と別の言語と位置づけることも可能なのである。

実際、そのような試みを長年続けている人もいる。
岩手県南部の気仙(けせん)地方の言葉を独自の言語とみなし、さまざまな実践を続けている人がいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%82%BB%E3%83%B3%E8%AA%9E
http://www3.ocn.ne.jp/~ocra/081.html
http://pctopia.s17.xrea.com/hidari/index.html
http://www.asahi.com/national/update/0617/TKY201106170287.html

なお、ケセン地方とは、陸前高田などをはじめとする、震災で多大な被害を受けた地域である。
1日も早い復興をお祈りしたい。
なお、宮城県の気仙沼も伝統的には同じ文化圏である。

この運動の中心人物は山浦玄嗣(はるつぐ)という医師であるが、本業の傍ら、自らの郷土の言葉を研究し、ローマ字による表記を確立、入門書や辞典の編纂、聖書のケセン語訳など、さまざまな活動に取り組んでおられる。

このように、日本という一つの国であっても、内部では言葉や文化は地域によって多様なものである。
東北に限らず、薩摩弁をはじめとする九州の言葉も独自のものであるし、各地に独自性があるのである。
もともと琉球王国であった沖縄・奄美となると特に独自のものがある。
(琉球については改めて論じる予定。)
日本の中にこれだけの多様性があるのである。

アイヌ民族なるものは存在しないと力説する人に限って、「日本民族」を無邪気に礼賛したりしているが、これだけ言葉や文化がバラバラであるのだから、日本民族は「存在」しないということにならないだろうか。
posted by poronup at 21:08| 北海道 ☔| Comment(0) | 民族論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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