2012年04月22日

部族と民族

「民族」という言葉に似た言葉で「部族」という言葉がある。


ある人は、アイヌは「民族」ではなく、地方ごとに言葉や風習の違うバラバラの「部族」であったなどという主張しているが、そもそも「民族」と「部族」についてきちんとした定義を決めないことにはアイヌが「民族」ではない、「部族」である、などと積極的に主張することはできないだろう。
アイヌは「民族」でなく、「部族」であるとか、勝手に分類するのはまったく科学的ではない。
言葉や風習の違いがあれば別民族もしくは別部族になるのならば、大阪人とか茨城人はそれぞれ「大阪部族(民族)」「茨城部族(民族)」ということになるはずである。


『大辞泉』では、「部族」について、「一定の地域に住み、言語・宗教・慣習など共通の文化を共有し、同族意識の下に統合されている人々の集団。」と書いている。
また「民族」については「言語・人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団。」と書いている。
両者の区別はどうもはっきり分からない。


アメリカ大陸の先住民族(いわゆるインディアンまたはインディオ)は、一つの民族ではない。
アメリカ合州国に限ってみても、有名なアパッチやチェロキー、ナバホ、ダコタ(スー)など、数々の集団に分かれているが、これを「部族(英語ではtribe)」と表現することも多い。
彼らをアパッチ族とかチェロキー族と呼び、「部族」と呼ぶこともあるが、これは必ずしも適切な分類ではない。
彼らをそれぞれ「民族」と呼んでもいいのである。

あの広いアメリカ大陸にいた先住民族たちにはそれぞれ独自の言語や風習があり、言葉もまったく通じないものだった。


「部族」という言い方をすると数が少ない人たちというイメージを持つ人が多いようである。
しかし、たとえばナバホは、30万人いると言われているし、スーは15万人だという。
(人口はウィキペディなどを参照している。あくまで目安である。)


アフリカの各国にも、それぞれ文化や言語の異なる集団(要するに民族)が多数いる。
たとえばナイジェリア(人口1億5千万)にも250以上の民族集団がいるというが、最も多い、ハウサ人やヨルバ人はそれぞれ2800~2900万人ほどいるとのこと。
それをハウサ族と呼んだり、ヨルバ族と呼んでいるわけで、人口の多寡とは関係なさそうである。


部族とは血縁集団だという説明もあるが、3千人近くいるこれらの人たちが、一つの血縁でつながった集団とはとても言いがたいだろう。

ちなみに私の本籍地の村には、同じ名字の人たちが多数暮らしていて、遠くさかのぼると親戚であることが多いらしい。
ではこれは地域の中の血縁集団だから、部族ということになるのだろうか。

また、「部族」という言葉は、国家を形成していない「未開」の人たちについて使われるのだ、という説明も聞いたりする。
しかし、少なくともアフリカについては、各地域で国家が成立しているわけであり、国家のあるなしで民族・部族の違いを決めるのもおかしいわけである。

「未開」という概念も差別的かつ恣意的なものであるし、今現在特定の人たちについて使うのは不適切であろう。

ということで、民族と部族についてはすっきりした科学的な概念区分は認めがたいように思えるのである。
区別があるとすれば、それはむしろ使う人間の方の勝手な区分ではないか。


アイヌは民族ではない、部族もしくは部族的集団だ、と主張するならば、民族と部族の明確な定義をし、それになぜアイヌがあてはまるのか説明し、その他の部族と言われる人たちとの整合性も説明すべきであろう。
しかし、この問題にきちんと説明できている人の存在を私は知らない。

posted by poronup at 03:32| 北海道 ☔| Comment(0) | 民族論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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