2012年04月22日

言語と民族

民族の区分けに大きな意味を持つのは「言語」であるが、その言語の区分は絶対的なものではない。
 
たとえば中国の北京語と広東語とは同じ中国語の「方言」ということになっているが、お互いにほとんど通じない。その他、上海語なども同様である。
しかし北京人も上海人も広東人も同じ漢民族(漢族)ということになっており、「北京民族」とか「上海民族」とか「広東民族」というような分類は存在しない。
 

アラビア語なども地方差が激しく、いわゆる共通古典語(フスハー)ではない、各地域の方言は相当違いがある。
たとえばモロッコ人とイラク人が、それぞれの地域の方言で話したならばほとんど通じないであろう。
しかし、それをモロッコ語とかイラク語などとは通常言わず、それらはアラビア語の「方言」であるとみなされている。

また、もともと一つの国であったチェコ・スロバキアも、現在は分離して別の国になっている。
しかしチェコ語とスロバキア語は非常に近い言葉で、日本語で言えば東京弁と大阪弁ぐらいの違いしかなく、お互いの相互疎通は問題ないということである。

スウェーデン語とノルウェイ語なども、相互疎通は可能だとのことである。しかしスウェーデン人とノルウェイ人が一つの民族であると主張する人はいない。
 

民族や言語の境目には客観的な基準はなく、相互の集団意識が大きいのである。そして、それは歴史的経緯の中で形成されたものである。
アイヌの言葉や風習に地方差があるからといって、それで一つの民族ではない、ということにはならないだろう。

posted by poronup at 02:39| 北海道 ☔| Comment(0) | 民族論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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