河野広道(1905-1963)は、昆虫研究や考古学の研究者でもあり、アイヌ文化の研究者としても有名な人である。
北海道教育大学の教授も務めていた。父親も考古学やアイヌ文化の研究で有名な河野常吉。
知里真志保と同時代の人で、知里真志保との確執があったことでも知られている。
現在存命で、90年代になって、民族としてのアイヌを否定するようになり、小林よしのりにアイヌついての情報を提供していることでも知られる文化人類学者、河野本道の父である。
河野広道は「墓標の形式より見たるアイヌの諸系統」という論文を1931年に発表している。
(『北方文化論 河野広道著作集Ⅰ』北海道出版企画センター所収)
アイヌはもともと亡くなった人を葬る時、木で作った墓標を作るのが伝統であったが、その形には地方差があった。
この論文では、これまで北海道・樺太のアイヌを、墓標の形式により6つに「分け」たとある。
その分類は以下の6つである。
○東エンヂウ(樺太東海岸のアイヌ)
○西エンヂウ(樺太西海岸のアイヌおよび余市アイヌなど)
○シュムクル(おもに北海道西部のアイヌ)
○ペニウンクル(石狩川上流のアイヌ)
○メナシクル(おもに北海道東部のアイヌ)
○サルンクル(沙流およびその周辺地域のアイヌ)
これを「便宜上」これらの6大分派を「次の如く命名する」と書いている。あくまでこれは河野広道の便宜上の「命名」にしか過ぎないことが分かる。
この名称について河野は「名称は古来アイヌが用いていた詞を利用し、又出来るだけ簡単なものを採用した」と説明している。
河野広道はこのエンヂウという言葉について、《「エンヂウ」というのは樺太アイヌが(東西両海岸で通用する)「アイヌ」という詞と同義に用うる語である》と説明している。
もともとエンヂウが独立した民族集団であるとか、エンヂウが樺太アイヌの「自称」であるとは書いていない。
これはあくまで「墓標」による分類である。言語など、ほかの基準で分ければやはり別の分類になる。
また興味深いことに、河野は、先行研究として、金田一京助が言語をもとにアイヌを分類したことを紹介し、自分が墓標をもとに分類した結果に「距り」があることを書いている。
基準のいかんによって分類は変わりうるのであり、絶対的な分類ではないのだ。
たとえば同著作集に収録されている「樺太の旅」という旅行記でも、樺太西海岸のアイヌについて「私が西エンヂウと名付けた」と書いている。
彼はエンヂウとか、サルンクルとかそういう分類は、あくまで自分自身の基準による分類であることはもちろん名付け親としてはっきり認識していたのである。
河野の、アイヌの系統分類についてのもう一つの重要な論文として、「アイヌの一系統サルンクルについて」というものがあるが、そこでも彼はこう書いている。
――――――
私は前出「墓標の形式より見たるアイヌの諸系統」なる論文において、アイヌの墓標の形式を研究比較分類し、その形式によって、現存アイヌを六大分派と所属不明の小分派数群に分け、便宜上その各々に最も適当と思われる名称を与えた。
――――――
要するに、「エンヂウ」というのは、河野広道が名付け親なのであり、もともと存在した名称ではないのである。
しかし、この河野の分類は一つの試論として興味深く評価できるものであろうが、すでに80年以上前の研究であり、現在の観点で再検討するならば、やはり問題を含んでいる。
これは研究論文ではないので、ここで詳しい事を書かないが、私が見ても、疑問に思える点がいろいろ思いつく。
たとえば、シュムクルの分類基準が曖昧である。
(説明を見ると、男性の墓標がY字でなく、かつ女性の墓標がT字型であることが一つの基準となっている。そうなると、男性の墓標に関してはばらばらのものが一つの系統として分類されてしまう。そういう分類が可能であるならば、逆に、女性の墓標の形は問わず、男性の墓標がY字である地域のみ集めると、また違った分類になってしまうであろう。)
ただ、彼は論文の巻末に、自分の見解について、今後さらに研究して訂正補遺するつもりであることを書き、読者からの教示や反対意見を求めており、自分の分類が絶対的なものであるとは思ってなかったようである。研究者としての彼の慎重さが文章が読み取れる。
一つの民族とされている集団において、地域によって風習や言葉が違うのは当然である。
むしろ地方差のないまったく均一な民族はいないのである。
日本でも、お雑煮に味噌を使う地方もあれば、醤油を使う地方もある。けんちん汁にもちを入れる地方もある。
かつて薩摩人と津軽人が会ってお互いの言葉で話したとしても言葉は通じなかったであろう。
河野広道は、アイヌという集団が風習・言語などの地域的多様性を持つ集団であることは当然認識していたが、アイヌという民族が存在しないとか、そういう主張は行っていない。
樺太アイヌも千島アイヌも北海道アイヌも同じく「アイヌ」と呼んでいるわけである。