2012年04月23日

樺太アイヌの自称はエンチゥか

小林よしのりは『わしズム』にこう書いている。
 
――――――
一般に「樺太アイヌ」と言われているのは 実際は「エンチゥ」と自称する別民族で しかもこのエンチゥも樺太の西海岸と東海岸で二つの集団に分かれていた。
――――――
(p41)
 
これは、もちろん小林自身の独自の調査による結果ではないようである。
これは、人類学者・河野本道の主張の受け売りのようである。
 
樺太アイヌ自身は自らをどのように呼んでいたのだろうか。本当に「エンチゥ」という自称があったのであろうか。
 
たとえば樺太アイヌの山辺安之助がアイヌ語で語った自伝『あいぬ物語』(1913年刊)を見てみても、題名の「あいぬ」にはじまり、アイヌは「アイヌ」と呼んでいる。アイヌ語の語りや日本語の文章の中に、エンチゥという言葉はまったく出てこない。
この本の本文は全文、山辺による樺太アイヌ語およびその日本語の対訳である。
 
もう一つ例を挙げると、たとえば、樺太アイヌの知識人、千徳太郎治(せんとくたろうじ)の著書『樺太アイヌ叢話』(1929=昭和4年)を見てみると、やはりアイヌは「アイヌ」とある。「エンチゥ」というような表現はまったく出てこない。
またこの本の序文で、千徳太郎治は「古来アイヌ人の住めるは北海道千島及び樺太とす」と書いており、やはり北海道・千島・樺太の「アイヌ」を一つのものとして考えていたことが分かる。
 
また、南樺太の日本領時代に、実際に樺太アイヌの村での調査を行った研究者たちによる著作を見ても樺太アイヌに「エンチゥ」という自称があるという記述はどうも見当たらない。
 
戦後出された樺太アイヌからの聞き書きとして、『ヘンケとアハチ』(札幌テレビ放送)や『民族調査報告書』(北海道開拓記念館)、『アイヌ民俗文化財調査報告書 伝承聞き取り調査』(北海道教育委員会)などを見てもエンチゥという言葉はまったく出てこない。
 
ということで、樺太アイヌは別民族で、「自称」はエンチゥであるという事実は、これらの記録を見渡してもまったく出てこないのである。
 
樺太アイヌの自称が「エンチゥ」だという説は河野本道あたりが言い出したようである。これについては別項で詳しく書きたい。
posted by poronup at 00:34| 北海道 ☔| Comment(0) | 樺太アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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