社会
そして絶望だけが残った。残酷な社会実験“一人っ子政策”|ピュリッツアー賞受賞記者の渾身ルポ
Text by Mei Fong
Translation by Masayo Kotani
経済成長のためにと始めた“一人っ子政策”が中国を確実に蝕んでいる。この政策は妊娠中絶や精管切除を正当化するもので、そこから派生する問題は、高齢化による労働力不足、人身売買、多数の無国籍者……とその闇はどこまでも深い。それでも世界には、一人っ子政策を支持する声が聞かれる。こんなことは看過してはならない――ピュリッツアー賞受賞記者が描く驚愕のルポルタージュ。
『中国「絶望」家族 「一人っ子政策」は中国をどう変えたか』(草思社)
メイ・フォン著 小谷まさ代訳
中国経済はなぜ成長したのか
冷戦のさなか、中国のロケット科学者たちが、ミサイルとも宇宙開発ともいかなる種類の兵器ともまったく関係ない一つの野心的な計画を考えついた。
それは「赤ん坊についての計画」だった。一九八〇年九月二五日、中国共産党はこの計画について公開書簡のかたちでメディアなどに広く発表し、党員に子供の数を自主的に一人に制限するよう要請した。ここでいう要請とはその実、命令であった。
かくして、世界でもっとも過激な社会実験「一人っ子政策」が始動し、それから三五年ものあいだ続けられた。そして現在も、世界人口の六分の一を占める中国人がどのように生まれ、生き、そして死ぬかを左右しつづけている。
一人っ子政策は、短期集中ダイエットと同じように「効果がある」という理由を掲げて始められた。この政策は、アメリカの総人口に匹敵する人口を赤貧から救うという超人的課題の達成に不可欠な措置だと、中国指導部は主張した。
しかし一人っ子政策は、短期集中ダイエットと同じく、過激な手段を採用し即効性を目指した結果、多くの副作用をもたらすことになった。強制的な精管切除や妊娠中絶などの一人っ子政策の行き過ぎは、国際社会の非難を招くこととなった。しかし中国の経済成長は目覚ましく、それに一人っ子政策が貢献しているとされているため、成長を称賛せざるをえない世界は批判をトーンダウンさせている。
だが、誤解してはならないのは、中国の急速な経済成長は人口抑制計画とはほとんど関係がないということだ。それどころか、中国の人口政策は急速な高齢化と男性過剰、さらに今後予測される人口減少を招いたことから、未来の成長を阻害する政策だといえる。
中国の急成長の一因となったのは人口減少ではなく、人口増加なのだ。この国が製造大国として台頭することができたのは、一人っ子政策立案以前の一九六〇年代から七〇年代に生まれた、ベビーブーム世代という安価で豊富な労働力があったからにほかならない。
たしかに、出生数が少ないほど人的資源への投資はより大きな効果を生む。たとえば教育資源をとっても、人口が少ないほうが質の高い教育が可能になる。しかし、多くの経済学者の意見では、中国の急成長を支えたのは出生数の制限ではない。政府が積極的に海外投資を呼び込み、民間企業を育成したことだった。
大地震と家族。一人っ子政策の実験区を襲った悲劇
近年中国でも最悪の惨事である四川大地震は、当初はごく単純な悲劇に思われた。大地が揺れ動き、建物が壊れ、約七万人の死者が出た。
やがてこの地震は、一人っ子政策がもたらした悲劇が、衝撃的なかたちで表面化した出来事だということがわかってくる。
震央となった什邡県が一人っ子政策の実験区だったことはほとんど知られていない。一九八〇年に一人っ子政策が全国的に導入される以前に、人口計画立案者たちは、四川省、中でも什邡県で重点的に、強制的な手段を用いて驚異的な低出生率を実現させるという実験を始めていた。
四川省を選んだ第一の理由は、そこが中国の農村地域の中心であり、中国の全人口の一割が住む省だったからだ。第二に、鄧小平の出身地だからである。どんな理由だったにせよ、その実験は目覚ましい成果をあげた。
一九七九年までに什邡の人口増加率は激減し、一人っ子政策に忠実に従った夫婦は九五パーセントに達した。四川のこの実験によって人口計画立案者たちは、中国には「人口政策の奇跡を実現」する「素晴らしい可能性があると確信した」と人口学者スーザン・グリーンハルは記している。
実験が開始されてから約三〇年後、四川を地震が襲ったとき、国営新華社通信によれば約八〇〇〇組の夫婦が一人きりのわが子を失った。地元メディアによれば、什邡では三分の二以上が一人っ子家庭であり、地震で子供世代が全滅してしまった村もあるという。
このことは地震という悲劇に奇妙な現象をつけ加えた。地震から数週間も経たないうちに、国の人口計画によってはるか昔に強制的な避妊手術を施された人々が、妊娠する能力を回復する手術を受けようと殺到したのだ。失ったわが子に代わる新しい子供を妊娠しようと誰もが必死になった。
まもなくそうした人々は、騒ぎを起こさないという誓約書に無理やりサインさせられた。子供を亡くした親たちの嘆きや、多くの子供が死ぬ原因となった粗悪な学校建築に関する報道は、厳しく制限され、問題を追及しようとした地元住民は身柄を拘束された。
多くの命が失われ、多くの家庭が損なわれたが、オリンピックの開催が数ヵ月後に迫る中、抗議の声は徹底的に潰された。
一人っ子世代の苦悩
二〇〇五年、サンディエゴ州立大学の教授メイ・ジョンが一人っ子たちの手紙を調査した。手紙はラジオのトーク番組の司会を務める作家、陳丹燕宛に送られてきたもので、 『一人っ子宣言』というタイトルの本になっている。
ジョン教授はそれらの手紙を読んで分析し、分類した。そして、一人っ子たちの大半が、親からのプレッシャー、過剰な愛情、そして孤独感を強く感じていることを明らかにしたのだ。「総じて文面には憂鬱な調子が見られる。ストレスとプレッシャーが主なテーマとなっている」とジョンは指摘している。
親が子供のために大きな犠牲を払っていることに、子供たちは困惑と罪の意識を抱いている。大学の授業料を払うために自分の血液を売ると言いだす父親。毎週末学校から帰ってくる娘のために豪華なごちそうを用意し、平日はその残り物だけで過ごす両親。
ある一〇代の若者が母親について詳しく語った話では、彼女は毎日仕事に向かう前に、町の向こうから息子の寮まで朝食を携えてやってきてはベッドを整えるという。
「すぐにルームメートたちから苦情が出ました。彼らは起きたときに部屋に女性がいることに慣れていなかったのです。それからはルームメートたちや、クラスメートたちまでもが僕に宝宝(赤ん坊)と、ニックネームをつけ、母がするように語尾に長く抑揚をつけて呼ぶようになったのです」
こうした話からは親の期待の大きさが見てとれる。一人っ子世代の親の多くは、文化大革命のせいで教育を受ける機会を奪われたり、中断させられたりした、とジョンは指摘する。
「親たちは自分の夢を叶えることができなかった分、唯一のわが子を通じて自分の夢を実現するしかないと考えている。親の切迫感が、あらゆる面で子供を成功へと駆り立てる圧力となっている」
こんなことを書く子もいる。
「私たち一人っ子世代は自意識が過剰です。親世代の混乱した歴史のせいで、親の目標や膨らむばかりの親の夢をすべて背負わなければなりません。前の世代の人たちに比べると、私たちに自由な未来はなく、親が歩けなかった道をたどっているだけなのです。
私たちは親の夢のために生き、親の夢のために奮闘しているのです」
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