振替休日をとり、和歌山県立博物館に、企画展「西行と明恵」を見に行きました。
明恵上人とは
明恵上人とは、鎌倉時代初期の偉いお坊さんで、私が愛してやまない歴史上の人物の一人。
とにかく修行が命。そして禁欲的。権力に媚びない。お釈迦様愛がものすごい。全てを捨てて天竺まで行って、お釈迦様の教えの真髄を学びたい!と、計画を練り練りする日々。(結局は行けなかったのだけれども)
私たちが想像する、いわゆる「徳の高いお坊さん」を地で行くような人だと思ってもらえたらいいかな。
超人的なエピソードがたくさんあるんだけれども(予知能力があったり、7人前だか8人前だかのご飯をペロっと食べちゃうとか😅)、その割に犬とかリスとか小鳥とか、小動物好きなところがあったりと、とにかく多様な側面を覗かせる魅力的なお坊さんなのだ。
なぜ和歌山で「西行と明恵」展をするかというと、どちらも紀州の出身だからなんだね😊
あるべきようわ
明恵上人の教えの中核には「あるべきようわ」という考えがある。
これはなかなか難解な考え方なのだけれども、私の素人解釈ではなく、本職のお坊さんの解説に任そう。
(あるべきようわとは)「人によって異なる立場・役割について、亀鑑(模範)とすべき基準・原則があるならば、それに自身の恣意的解釈を施さず従い、為すべき事を為し、為すべきでないことは為さずにあれ」との意味である。
これは法然の他力本願(南無阿弥陀仏を唱えていれば救われる)や、仏教界全般の堕落を批判していると解釈されるケースが多い。
僧ならば、やるべきこと(お釈迦様がしたような厳しい修行)をすべき。
同様に、人にはそれぞれ役割ってものがあるのだから、ブレずに役割をまっとうすべきだ、と言っているのだろう。
私、若い頃はこの純粋な考え方に共感していて、苦しいながらも自分を追い込んでいく時の励みにしていたのだけれども、今あたらめて「あるべきようわ」に触れると、ちょっと堅苦しいなあと思ってしまう😅
最近、法然や親鸞の考えに共感しつつある私。
(上人ごめん🙏)
ブレないように生きるのが大切なのはわかるけど、私はブレる弱い人間なのだとわかってしまったよ。そもそも私のこの世界における「役割」が一体何なのか、40年も生きてきてわかりません(´・ω・`)
どうすりゃいいの?教えて!明恵上人!!
という気持ちで、この日は明恵上人と対話ができました。
肝心の展示はどうか
県立博物館の展示なので、小規模かつレプリカが多かったな。地元に残る記録類が中心。
まあ、明恵上人にまつわるホンモノのアイテムは、国宝・重文クラスなので、仕方がないけどね。
そういう意味では、数年前に京都国立博物館でやっていた鳥獣戯画展は最高だったなあ。
そうそう。あの有名な鳥獣戯画は、明恵上人が開いたお寺(高山寺)の宝物なのですよ。
『明恵 夢を生きる』
私が明恵上人を知るきっかけになったのは、河合隼雄の『明恵 夢を生きる』。
大学生の頃に読んだ。
明恵上人は、膨大な夢日記をつけている人でもあって、その夢をユング派の日本人巨塔である河合隼雄が読み解く、という本ね。
ところで20代の半ば、たまたまこのマニアックな本を読んだことのある人に出くわしたのだけど、それが実は私の奥さまだったりする😆
これも仏縁なのかもしれない😉
(あっ、西行には全く触れてなかった💦)