特集 vol.2_3
今泉 誠 [ウィキメディア・スチュワード/ウィキペディア日本語版管理者・ビューロクラット]
× 長谷川 一[明治学院大学文学部芸術学科 准教授]
百科事典をネット上でオープンに編集する「ウィキペディア」プロジェクト。アメリカで2001年に誕生したこの“フリー百科事典”は、現在、250言語で執筆され、掲載記事が600万件を超える超リッチコンテンツに成長した。2002年にできた日本語版も、現在では、利用者が700万人を超えている。
この百科事典の、誰でも参加できるというかつてない編集方式は、なぜ可能になったのだろうか。また、これからのメディアは、どこに向かおうとしているのだろうか。
ウィキペディアのビューロクラット兼管理者であり、ウィキメディアの日本で唯一のスチュワードでもある今泉誠氏に、編集者をしていた経験もあるメディア論研究者・評論家の長谷川一氏が聞いた。
長谷川 一(以下、長谷川) ── まず、今泉さんはウィキペディア日本語版の管理者かつビューロクラットであり、ウィキメディアのスチュワードでもあるとのことですが、それぞれの役割について教えていただけますか?
今泉 誠(以下、今泉) ── ウィキペディアは、誰でもどこからでも集まって編集できるシステムですが、残念ながら「荒らし」もときどき発生します。そういう事態に対して、システム上の権限を持つのが管理者です。管理者は、ユーザーが立候補した後、選挙で選ばれます。日本語版で現在活躍中の管理者は56人います。管理者を決定する権限を持つのがビューロクラットです。ビューロクラットには、管理者が立候補して信任されればなることができ、現在、日本語版には5人います。
ウィキペディアは、ウィキメディア財団が運営する700ほどあるプロジェクトのひとつです。ウィキメディア財団のスチュワードは、ウィキメディア財団が運営する全てのプロジェクトの管理権限の与奪や、臨時の管理者就任、荒らし対処、ユーザーインターフェイスの変更などを行っています。現在、世界で活動中のスチュワードは28人、日本語話者は私一人です。任期は永続ではなく、1年に1度選挙が行われ、選挙で信任を得た後、財団の理事の承認が得られて初めて任命されます。
長谷川 ── 皆さん、ボランティアで関わっておられるのですか?
今泉 ── そうです。ウィキメディア財団が給料を払っている財団の職員は、世界で10人。寄付金制度やプレスリリースなど運営面全般を司る管理スタッフ、法律顧問、メディアウィキのソフトウェア開発などを行うテクニカルスタッフなどです。資金の97.8%はハードウェアの維持管理費にあてられ、資金はすべて寄付でまかなわれています。ときどきキャンペーンをやっていて、昨年末のキャンペーンでは、2週間半で100万米ドル(1億2000万円)ほど集まりました。寄付のほとんどは個人の方からの10~20ドルの小額金でまかなわれているんですよ。
長谷川 ── 今泉さんご自身は2003年からウィキペディアン[★1]になられたとのことですが、どのような経緯でスチュワードにまでなられたのでしょうか?
[★1]ウィキペディアの執筆者・編集者のこと。誰でもなれる。
今泉 ── ウィキペディアを見た瞬間、私はすぐに登録しました。“これだっ!”って感じでしたね。でも実はもっと遡ると、自分のHPで、ハンドベルの辞書を作ったことがきっかけでした。日本ではハンドベルの情報が少なくて、そうしたページが求められていたんです。でも本業のエンジニアの仕事が忙しくて私自身htmlを書く時間がなかなかとれず、皆で書けるようにできたらラクチンなのになあ、と思いまして。それでウィキを利用することも検討しつつ、辞書・事典をネット上で作るソフトを自作していました。ちょうど書き込めるようなものができたかな、という頃に、ウィキペディアに出会ったのです。
長谷川 ── 始まりがハンドベルだったというのは面白いですね。ウィキペディアが大きくなっていくプロセスと今泉さんが関わってこられた時期は重なっています。今や項目数も30万となり、賞を受賞したり[★2]、メディアに取り上げられたりすることも多くなりました。自分たちの活動が認められてきているという実感は?
[★2]2006年、ウィキペディアはソフトバンククリエイティブの月刊誌「Yahoo! Internet Guide」が行なう「Web of the Year 2006」で年間総合大賞およびウェブ情報源部門を受賞。また、同年の「All About スーパーおすすめサイト大賞」も受賞した。
今泉 ── あまりないですね。ウィキペディアが目指しているのはあくまでも“百科事典”なんです。ただ従来の百科事典とはちょっと違うかもしれませんが。
ところが実際は、“百科事典”と認識している方は少ないようで、雑誌を読んでいる感覚で見ている方が圧倒的に多いようですね。以前は単に面白いサイトという認識だったのが、今は「知識のデータベース」的な扱いに、だんだん移行しきているといった感じでしょうか。
長谷川 ── “これまでとは違う百科事典”という点は重要です。出版社が企画・発行する従来型の百科事典と比較して、ウィキペディアで特徴的なことのひとつは、カバーしている領域の範囲だと思います。たとえば日本語版の場合、サブカルチャー系の項目がとても分厚い。
今泉 ── それはウィキを使った全てのプロジェクトに言えることです。ウィキペディア日本語版が最初にニュースの目にとまった当時、項目数は1000記事直前だったのですが、そのときの分類は、330項目が漫画、次が鉄道、残りがその他でした。
1万を超えた後は分野もいろいろ増えたので、今となっては何が多いのかも把握しきれないんですけど。まあ、“全てを飲み込むぞ”という意識でやらないと、と思っています。
長谷川 ── スチュワードや管理者の仕事には、ご苦労も少なくないだろうと思います。
今泉 ──でも嫌になることはないですね。むしろ楽しいですよ。項目の削除も、著作権侵害の部分などを中心に時には100件くらいやることもあるのですが、ふだんはそれほどでもありませんから、うんざりはしません。
長谷川 ── 今泉さんの場合、その活動を支えるモチベーションは何なのでしょう?
今泉 ── 私、小さい頃から百科事典が大好きだったんですよ。家の廊下の隅にいつも平凡社の『世界大百科事典』が置いてあって、よくパラパラと見ていました。「石油コンビナート」のような大工場の記事などに特にワクワクしていましたね。
でも今は、百科事典のある家って少ないですよね。スペースの問題なんでしょうけど。私には自分の子どもや孫の世代に、使える百科事典がなくてどうする? という気持ちがあります。それから、日本の人口はもう減り始めていますが、極端な話、もっと減っていって他の国から侵略されてしまったとして、日本語が全くなくなってしまうのはすごく悲しい、という思いもあります。
現在のノートパソコンは、百科事典ひと揃え分の情報を入れてもまだスペースが有り余っていますからね。検索もしやすくて引用も自由。すごくいいなあと思うんです。
長谷川 ── 『世界大百科』は近代日本において大きな意義をもった百科事典プロジェクトです。それがウィキペディア日本語版の原点にあったというのは、興味深い。ボランタリーに活動を行っていく場合、活動の面白さはもちろんですが、それと同時に何か強いビジョンをもつことが続けていく上で大切ですね。
今泉 ── ええ、そうですね。今、ボランタリーとおっしゃいましたが、つまるところ、参加も自由なら、抜けるのも自由なわけです。記事の執筆は素人には辛い作業ですから、1つ2つ書いたところで抜けていかれる方が最も多いですね。活発な方で数カ月、たまに何年か続けておられる方もいますが、割合的には1%足らずです。年齢別に見ると、主たる執筆者は20代前半。19~20歳くらいの大学生が、時間もあるのかもっとも多いように思います。
長谷川 ── ウィキペディアでは、従来型の百科事典とは違って、書かれた記事がどんどん修正されていきます。自分の書いた文章が他の人に書き直されてしまうことに関して、何か軋轢のようなことはあるでしょうか?
今泉 ── ええ、ありますね。プロの物書きや年配の方のなかには、すごく抵抗を感じる方もいらっしゃるようです。他人の自由な改編を許可しなければ、記事を書くことができないよう になっているのですが、誰もがそのことをよく理解してはいないようです。
「私の文章が書き換えられたのはなぜですか」と、納得できずに言ってくる方もいます。そういう時は対話します。話せばわかってもらえるタイプが半分、あとの半分は何を言ってもわかってもらえないタイプですね。そうしたケアはすごく大変です。一方で、最近は、「私のことが、間違って書かれています」というのもちらほらあります。現在進行形で存命中の人について書くのはセンシティブですね。
(後半へつづく)