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流れる時間と因果倶時

 投稿者:中期閲覧者  投稿日:2017年 9月24日(日)02時47分7秒
  ベルグソンの流れる時間、アナログ式に時間の概念を捉えるのか?
それとも日蓮仏法の通りデジタル?式に瞬時に時間が入れ替わるのか?

因果ばかりを強調する者は釈迦仏法です。
極悪の者共は、自らの行い(結果)に、自らの生命で畏れと後悔を常に抱えて臆病になっているから、このような愚考しか思い付かない。
ベルグソンについての池田先生の思考をもう少し深く学びましょう。

学ぶ者は、もっと先に進むことでしょう。
 

21世紀への選択 宗教は存在の根源への「究極的かかわり」 P197  投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 9月24日(日)02時32分27秒
  第六章「宗教的精神」の蘇生━━ 価値を創造する魂

 21世紀への選択 宗教は存在の根源への「究極的かかわり」 P197  投稿します。

ポイント

*、テヘラニアン・・・・・・・・・

 ・・・略・・・宗教を、存在の根源への「究極的かかわり」とするティリッヒ博士と同様の認識を、

私ももっています。

*、池田
 ・・・略・・・「究極的」というのは、人間のもっている善なる性質、善なる力すべてをかけて、

人間存在の根源を追求するということです。

そうやって「人間とは何か」「自分は何のために生まれてきたのか」を求めることは、排他的である

はずはなく、きわめて人間主義的であるといえるでしょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の所は、哲学的で分かり難いと思いますが、わたしが理解できる範囲で、解釈します。

存在の根源・・・「究極的かかわり」・・・人間存在の根源を追求・・・と言う図式が成り立つのかなと

思いますが・・・、私自身が理解しているとは言えません。

存在の根源とは南無妙法蓮華経ですよね。

・・・「究極的かかわり」とは、祈りであり、実践です。

・・・人間存在の根源を追求とは、慈悲をもって人類救済を人生の目的とすること・・・、(万人の成仏)

これぐらいしか、解釈出来ません。

先生の解釈で理解しましょう。 まなこさんに感謝します。
二十一世紀への対話 152 の途中までで省略しました。P152全文を読まれることをお勧めします。

鈴之助

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二十一世紀への対話 152  ・・・・・・9/24

【池田】 さきほどもちょっとふれましたが、私は、あらゆる人間生命は、個々の存在であるとともに、
その生命の奥深いところで宇宙生命ともいうべき実在に合一している、と考えます。
博士がいわれる“宇宙の背後にある究極の精神的実在”も、このように考えるとよく理解できます。

しかし、死にさいして肉体が無機物に還元されるのに対し、かつてある著書で述べられた「人間の魂は、
宇宙の背後にある超人的な精神的実在の中に再吸収される」という博士の所説は、精神を一つの独立した
実在とされているように思われます。

もちろん、肉体は生きている間も絶えず変化しており、一定の期間がたてば、細胞はほとんど一新します。

また、死ねば全体が無機物に還元されることも事実です。
しかし、たとえば、三歳であったAという人が三十歳になったとしましょう。その場合、Aは肉体的には
変化したわけですが、そのなかに一貫して持続する本質があることは明らかです。

肉体はそれ自体が独立しているものではなく、その奥にある生命的傾向性と深い関係があります。

逆にいえば、内在する精神的実在のなかに、絶えざる肉体的傾向をはらんでいると考えるほうが、より本質
的な認識となるのではないでしょうか。

したがって、死によって現実の肉体は無機物に還元しても、精神的実在に内包された肉体的な傾向性は、持続
すると考えることができると思います。

そして、縁にふれて、再び顕現された形で肉体が持続するのではないでしょうか。
死によって肉体と精神が分断されてしまうと考えるのは、おそらく知性の犯している誤りであって、事実はこの
ように考えるべきだと思っています。

【トインビー】 人間を精神的要素と肉体的要素に分離して考えることは、たしかに知性のなせるわざです。

それは経験による既知事項(データ)ではなく、経験的データを考察して引き出した一つの結論なのです。
したがって、それは考えられる唯一の結論でもなければ、これまでに人間が導き出した唯一の結論でもありません。

経験からいっても、われわれは肉体を離れた霊魂とか、魂をもたない人体などといったものには出会うことがありません。

もちろん、精神的欠陥者や、耄碌した人の場合は、その精神機能にはかげりがさしていますし、肉体的欠陥をもつ人や
不具者の場合は、身体のほうが不十分です。

しかし、こうした欠陥はいずれも異例とみなすべきで、精神と肉体が客観的事実としてそれぞれ独自に存在できる証拠
にはなりません。

これらは、われわれが人間を精神と肉体という観念上の二要素に知的分析を行なうことと、はっきり区別して考えるべき
でしょう。

【池田】 さきほど博士は、死後の生命の存在の仕方について、それは時間次元を越えたものであろうとおっしゃいました。

私も、それは正しいと思います。
しかし、さらに掘り下げていえば、現に生きているこの生命も、その本質の実在においては時間次元を越えたものであると
考えられます。
なぜなら、もし人間の生命が時間という枠にはまった存在であるとすれば、人間の知性によってそれを理解することも、
可能であるはずだからです。

この点に関連して、私はベルグソンの考察を思い起こします。
ベルグソンは“流れる時間”という概念を主張し、過去・現在・未来という時間的区分はもともとあるのではなく、人間
の意識の流れが過去・現在・未来という内的な持続を実感しつつ、つくりだすものであるとしました。

しかし、この“流れる意識”というものも、人間生命のごく一部にしかすぎません。
ともあれ、生命自体には、もともと過去・現在・未来という現象的時間の区別は存在しないと考えられます。

そのような区別は、生命が肉体と精神とをそなえた存在として具体的活動を営んでいくとき、初めて現われるにすぎない
ものといえましょう。


 

21世紀への選択 宗教は存在の根源への「究極的かかわり」 P197

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 9月24日(日)02時30分44秒
  21世紀への選択   宗教は存在の根源への「究極的かかわり」 P197

テヘラニアン
 ハーバードの大学院生だったころ、私はよくティリッヒ博士の講義を聴講したものです。

宗教を、存在の根源への「究極的かかわり」とするティリッヒ博士と同様の認識を、

私ももっています。

宗教の本質についてのその定義は、ご指摘のとおり、イスラムに当てはまります。

『コーラン』は"アル・ディーン・アル・クワッイン"つまり「永遠不変の宗教」という

言葉で、その「普遍性」を表しています。

池田
 さらに一言つけ加えさせていただければ、私はムハンマドが「アブラハムの時代に帰れ」

と主張したのも、いわゆる"原理主義的"な先祖返りを意図したのではないと思うのです。

より普遍的である「宗教的なもの」を模索していたのではないでしょうか。

テヘラニアン
 「宗教的なもの」については、会長もハーバード大学での二回目の講演
(一九九三年、「二十一世紀文明と大乗仏教」)で、その重要性を指摘されていましたね。

それは、先ほどおっしやった「宗教的精神」につながるものです。

池田
 仏教には「仏母」という考えがあります。すべての仏を仏たらしめる根源の教えのこと

です。

これも、まさしく「普遍性」「根源」を探究しようとする志向性の表れといえるでしょう。

ともあれ、「究極的かかわり」といえば、なにか狂信的、排他的なイメージを与えるか

もしれません。

しかし、排他的な狂信は決して「究極的」ではありえません。

排他的な狂信は、部分的で偏狭なかかわりであり、感情的なかかわりでしかない。

しかも、人間存在の根源へのかかわりではなく、利己的な目的へのかかわりであり、とき

として、ナショナリスティック(国粋主義的)な目的へのかかわりとなります。

「究極的」というのは、人間のもっている善なる性質、善なる力すべてをかけて、人間

存在の根源を追求するということです。

そうやって「人間とは何か」「自分は何のために生まれてきたのか」を求めることは、排他

的であるはずはなく、きわめて人間主義的であるといえるでしょう。

テヘラニアン
 同感です。そして、会長が何度もいわれているように、人間主義というのは、人間自身に

限定されるべきものではありません。すべての自然と生物を含めた生命の大地にかかわる

べきものです。
 

メンチカツ様 桜の城の件

 投稿者:あの時と同じ  投稿日:2017年 9月24日(日)00時52分6秒
編集済
  メンチカツ様
「随筆 桜の城」が、SOKA ONLINE STORE から消えていました。こんなこともあろうかと2冊購入していましたが、現実になるとは思いませんでした。「ここまでするか・・・」情けなくて涙が出ます。

記者の前谷秀学君、これでいいのか?君は前書きの中で、特別に先生から謝辞をいただいているではないか。同期の誇りとよしみでもう一度聞く。「これでいいのか?」

メンチカツ様、情報ありがとうございます。求めたくても手に入らない先生の本がどんどん増えていくことに恐怖を禁じえません。悲しみと怒りを題目に変えて祈ってまいります。先生と奥様のご健康と、全国そして世界中の同志の皆様の健康と安全を、より深く祈ってまいります。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 9月23日(土)23時55分21秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
池田先生を利用して黄金を儲ける人々が
創価学会から居なくなります様に

史人様へ
池田先生の命を守る同盟題目に参加されてみませんか?
おやすみなさい

 

史人様

 投稿者:長期閲覧者  投稿日:2017年 9月23日(土)23時29分42秒
  念のため、お聞きしたいのですが、

「長期間の掲示板への書き込み投稿」と

「ご自身の生命に感じられた罰の現証」に

「明確な因果関係をご認識された」のでしょうか?
 

史人様へ

 投稿者:  投稿日:2017年 9月23日(土)22時56分59秒
  一緒に題目を唱えましょう
 

負けじ魂ここにあり

 投稿者:風林火山  投稿日:2017年 9月23日(土)22時56分29秒
  人生には色々な事があります。人生には決して敗北はありません。
例えば野球では9回裏で逆転勝ちがあります。蓋し最後まで諦めないからです。
人生の9回の裏逆転大勝利するのが、日蓮大聖人の仏法の神髄だと思います。
重複しますが、私達には敗北はありません。大勝利のみです。
負けじ魂ここにあり。
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 9月23日(土)22時52分31秒
  23時より開始です。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康を祈ります。
また、メキシコの地震でお亡くなりになられた方々に
お題目を送ります。

同盟題目は毎日23時から30分間行なっています。
参加は任意で自由です。5分間だけの参加でも大丈夫です。
 

生命の上での敗北

 投稿者:史人  投稿日:2017年 9月23日(土)22時23分1秒
  ある時入社してからの1年余りは毎日絶えず嫌がらせが続き、やがては製品の抜き差し他、会社をゲーム場化して他の部署の物まで紛失させ、探させておいて、その実自分が移動させているということが起きていたようです。

この手の類は証拠を残さないやり方なので、己のみ知るです。
そして、最後には報告の手間ばかりかけさせ、やがては仕事道具まで隠す。
その時製品の入れ替えなど数限りなく行われています。
ある時、製品が大量に抜かれていたことがあり、直属の上司に数を間違えた対策を後で報告しにきてくださいと言われました。

その時諸天善神とも言える、いつも助けてくれる上司が数を絶対に間違えない案を示してくれて急場を凌げました。

これらの理由は、私の生命にあり、私の親類などは皆如是相が素晴らしくよくなっていて、私としては生命の上での敗北が確かにありました。

経をここで書き記すとかの善行は随自意だと思っていましたが、そうではなく、本当の隋時意は自分という生命と向き合うことだったのです。
それが最近ようやくわかってきたことです。
長い間の書き込みと生命の罰をここで認めます・・・。

以前書いた退職金は結局書類不備のまま期限切れ、仕事にも行けなくなり、収入も途絶えて久しいです。
これでお別れいたします。
自由に書かせていただいたせめてもの気持ちです。
 

替え歌フルバージョンその2

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 9月23日(土)21時36分13秒
  SaySaySay様

ご無沙汰しております。
掲示板という特性上、過去の投稿はどうしても探しづらくなりますから、内容が重なっていたとしても、様々な方達が、その時々で掲載していくことがベターだと思います。
文字をデジタル用のテキストにするために打ち込む作業は、自分の心の中に刻み込む作業にもなりますので、決して悪いことではないと考えています。

……………………………………………………

さて、題名の替え歌フルバージョンその2ですが、『仮面無道会』の替え歌フルバージョンにフロム関西様が指揮を取ってくださったことと、掲示板の閲覧のみをしている方達からも、かなり笑ったという連絡が当方や友人のところに寄せられたことをきっかけに、友人と性懲りもなく第二弾を作成しました。
笑って頂ければ幸いです。


〔替え歌フルバージョンその2〕

※メロディーは、『どうにもとまらない』のフルバージョンが合います。

1.
原田を信じちゃいけないよ♪
アイツの心は外道だよ♪
いつでも自分が一番で♪
生きているのが好きなのさ♪
今夜も真~っ赤な嘘を吐き♪
器量がま~すます落ちていく♪
それでもまだまだ気付かない♪
弟子の自覚がないからさ!
ああ悪になる♪
ああ顔変わる♪
気付いた人が指摘するけれど♪
ああ査問する!
ああ除名する!
もうどうにもとまらない!!

2.
タニガワ狙うは会長さ♪
374919(ミナヨクイク)だぞ気をつけろ!
飲み屋で女にキスをした♪
そんな議員も出てきたぞ!
自分の欲望大事だよ♪
師匠の言葉は捨てたのさ♪
本部は魔民のカーニバル♪
今も昔も変わらない♪
さあ立ち上がれ!
さあ弟子たちよ!
悪を倒そう 今がその時さ!
さあ御書を取れ!
さあ勇気出し!
もう必ず止めるのさ!!
 

絶対に許さない!!

 投稿者:FT  投稿日:2017年 9月23日(土)21時31分7秒
  メンチカツさん!!その通りです!
54年当時の最高幹部、今も虫ケラ以下の命でいます。
御本尊は、絶対に許しません!!
 

随筆 桜の城 

 投稿者:メンチカツ  投稿日:2017年 9月23日(土)21時05分13秒
  聖教ブックサービスのラインナップから昭和54年当時の最高幹部を痛烈に批判している「随筆 桜の城」が消えている。
何度見てもなかった。
------------------------------------------
上記は某SNS(9月22日投稿)より

この件事実未確認だがご存知の通りすでに歴史の改ざん・修正・抹消は行われている。
師匠の精神をも破壊する天魔の行為は加速を増して進むのだろう。

まさに側近・首脳とよばれた者たちは現代の五老僧と化したのだ。

ちなみに「随筆 桜の城」はamazonにて購入可能。
------------------------------------------

嵐の「4・24」断じて忘るな!学会精神を(53頁)
ーーあまりにも 悔しき この日を 忘れまじ
   夕闇せまりて 一人 歩むを

昭和54年5月3日 獅子となりて 我は一人征く(62頁)
ーー会場からの私への拍手も、どこか遠慮がちであった。
  また、登壇した最高幹部は、ほんの数日前の会合まで、私を普通に「池田先生」と言っていたのが、宗門を恐れてか、ただの一言も口にできない。


 

お疲れ様です!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 9月23日(土)20時58分54秒
   一人のSGIさん、お疲れ様です。

 A【”流れて”いるのは、万物なのだけれども、視点を考えると、時間が流れていくように思えるわけです】

 「生命」の流転は、ここから出発しているようです。その答えが「B」ですね。

*********

池田:うむ。
   よく「時が流れる」というけれども、今のヘラクレイトスの言葉が意味しているのは、
   流転するのは ”万物” ということです。
   ”輪廻” という場合も同じです。

   最初に話し合った様に、実在するのは、宇宙、物体、生命です。
   その一切が運動し、変化し、流転している。
   この運動、変化、流転を認識する枠組みが時間、空間です。
   だから、”流れて”いるのは、万物なのだけれども、視点を考えると、時間が流れていく
   ように思えるわけです。(6/11)

*********

川田:日蓮大聖人は「三世諸仏総勘文教相廃立」に「過去と未来と現在とは三なりと
   雖(いえど)も一念の心中の理なれば無分別なり」と記されています。(9/11)(御書562㌻)

 【一切経の語は夢中の語とは譬えば扇と樹との如し 法華経の寤の心を顕す言とは譬えば月と風との如し、故に本覚の寤の心の月輪の光は無明の闇を照し 実相般若の智慧の風は妄想の塵を払う 故に夢の語の扇と樹とを以て寤の心の月と風とを知らしむ】
 と続きます。

*********

池田:ベルグソンの時間に対する考え方は、非常に独創的だね。そして、きわめて仏法的だとも
   いえるね。
   彼は、意識の本質は流れであり、「流れる時間」と表現している。
   この「流れる時間」というのは、私たちが物理的、客観的時間としてとらえてきた
   時間を「流れた時間」であるとし、それに対してあくまで、意識というか、むしろ、
   生命の流れ自体をあらわしたものだね。
   だから、過去とか現在とか未来とかいう区分は、もともとあるのではなく、流れる意識が
   つくりだすものだということです。(10/11)

 B【だから、過去とか現在とか未来とかいう区分は、もともとあるのではなく、流れる意識がつくりだすものだということです】

*********


 

「永遠の生命」の視座 11/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)20時15分25秒
  池田:現在という一瞬を充実させ、生命流の力を強めるか、それとも「妙法」としての宇宙生命
   からわきだす生命の流れの速度を遅くしてしまうか、ということだね。

   瞬間の生に内包された”無限の宝”をうまく利用できれば、人生は限りなく豊かなものに
   なろう。
   その為には、まず、現在に含まれる過去の「記憶の貯蔵庫」を開くことだ。

   そのカギをにぎっているのは、仏法の実践行為だと、私は確信している。
   信仰という、仏法の実践によって、人は、瞬間の生命の内奥に貯蔵された無限の過去を
   よみがえらせることができよう。

   その過去は、自己の体験流をのりこえて、万物の始源にまでのびていくはずです。
   しかし、こうしてよみがえった、”無限の宝”を、生の創造と充実に活用していく
   のは、個々の人間生命であることを忘れてはなるまい。

   過去を未来に生かす― その行為のなかにこそ、人間の存在意義があるのではなかろうか。

   私たちが、いままで話しあってきたように、未来もまた、無限の可能性をはらんでいる。
   ところが、皮肉なことに、人は通常、未来のはらむ可能性をできるだけ貧しいものに
   しようとしているかの感をうけざるを得ない。

   絶望と断念と悲哀は、自己の前に開かれた未来を閉ざしてしまうであろうし、逆に、
   希望と決意と歓喜は、過去のもたらす”宝物”をうけいれつつ、かぎりなく豊かな未来を
   切り開いていくにちがいないと思う。

   しかも、過去と現在によって開かれた未来は、瞬時にして、現在の生をはぐくみつつ、
   過去へと去っていく。
   だが、過去へと過ぎ去った未来は、けっして永久に消え失せたのではなく、ただ過去の
   なかにしりぞいたにすぎないのである。
   現在の一瞬の生によって、ふたたび、未来を生む原動力としてよみがえってくる。

   こうして、未来に思いをはせ、決意し、希望にあふれた人間の行為が、過去と未来を融合
   させ、現在の瞬間を充実させつつ、生命の潮流の速度を加速するのでしょう。

北川:つまり、豊かな過去は、豊かな現在と未来を保証し、充実した現在と未来は、みずからを
   生み出す過去を、さらに豊かなものにしていく、というサイクルですね。

池田:だが、そのサイクルの始点は、あくまで現在、一瞬の生にある。
   一瞬の生を有意義に生きれば、その中に、無限の過去と未来が、ほとばしる生命流の潮と
   なって、現実の、私たちの生命をうるおしていく。
   そのとき、一瞬の生命に、永劫の過去と未来を内包した宇宙生命としての「妙法」が
   姿をあらわし、「瞬間」はそのまま「永遠」となる。

   つまり、「瞬間」のなかに、「永遠」が立ちあらわれてくるということだね。
   そして、私たちの生命流は、宇宙生命のもつ大潮流と合体する。

北川:仏法で説く「瞬間即永遠」の意義ですね。

池田:瞬間の生に、永遠の実在をあらわすような現在を生きたいものだね。
   過去の貯蔵庫を開きつつ、希望と期待に胸をふくらまして未来を決意する。
   その決意も、空間的にいえば、宇宙大に広がり、時間からすれば、未来永劫にわたる
   ものでなければなるまい。
   しかも、万物を生み出し、育て、創造する宇宙生命の本源的な働きに沿う決意こそが、
   人間としての本来的な決意ではなかろうか―。

   さらに、具体的に言えば、人類と万物の、永劫の平和と繁栄をめざした決意であり、
   すべての生き物の苦悩を断ち切るところに目標を定めた決意であり、そこに、
   人間としての生きがいを見出す使命感にめざめた決意が、過去を開き、未来を開くのです。

   つまり、私たちの生き方は、過去に根ざしながらも、過去に生きるのではない。
   未来に思いをはせるあまり、現在の瞬間をおろそかにするのではない。
   未来に偉大な目標を定め、それに向かって決意し、未来を先取りしながら、
   使命感にめざめた現在の歓喜に生きたいものだと思うね。

転載終わり

「未来に偉大な目標を定め、それに向かって決意し、未来を先取りしながら、
   使命感にめざめた現在の歓喜に生きたいものだと思うね。」
  私も、深く、そう思います。      
 

「永遠の生命」の視座 10/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)20時00分42秒
  川田:ベルグソンの時間論では、過去、現在、未来の三態は、意識の発達を待って分化していく
   のだと説いていますが―。

池田:ベルグソンの時間に対する考え方は、非常に独創的だね。そして、きわめて仏法的だとも
   いえるね。
   彼は、意識の本質は流れであり、「流れる時間」と表現している。
   この「流れる時間」というのは、私たちが物理的、客観的時間としてとらえてきた
   時間を「流れた時間」であるとし、それに対してあくまで、意識というか、むしろ、
   生命の流れ自体をあらわしたものだね。
   だから、過去とか現在とか未来とかいう区分は、もともとあるのではなく、流れる意識が
   つくりだすものだということです。
   つまり、無差別から差別が生じるのだね。

   したがって、大自然を含む宇宙万物は、宇宙生命流のおりなす生命的存在といえる
   わけです。

   だから、私たちの生命流が強ければ、大自然へと積極的に働きかけ、自然の営みを
   十二分におりこんでの生命活動ができるわけだ。
   いいかえれば、おのおのの生命に特有のリズムに生きながらも、自然の歩みとも調和して
   いける。

   人間のみならず、あらゆる生き物は、すべてそれぞれ各自の時間をもっていよう。
   しかし、人間生命ほど、生まれながらにして、豊かな生命流にめぐまれている存在はない
   と思う。
   それは、人間生命のみが、自然の律動と調和しつつ、それを超え、身体の流れと融合
   しつつも、そこから、意識、精神の多様な潮流を生み出している事実を見れば、容易に
   納得のいくことだろうと思う。

北川:ところが、人間は、通常、その恵まれた生命流を十分には発揮できないでいる。
   いや、むしろ、生命の流れをみずからの行為によって弱めたり、速度をゆるめたりして
   いると思われます。
   力強く、速い生命的時間を感じ、そこに生きる可能性をたっぷりと秘めながら、あえて、
   苦しんでいるようなところもある。
   まったく、皮肉な現象ですね。

池田:そのとおりだね。

北川:そうしますと、私たちの実際生活にとって大切なことは、現在の瞬間をどう生きるか、
   という生命の姿勢ですね。


 

「永遠の生命」の視座 9/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)19時55分53秒
  池田:生命は、生の表層から内奥にと深まるにつれて、その水かさを増し、内容を豊かにし、
   巨大な潮流となっていく。
   私たちの生の瞬間に噴出する生命流の源は、人類の生を含み、地球の歴史をのみこむ、
   大宇宙の悠久たる変転をも包み込んで、宇宙生命の本流に流れこんでいるといえます。

   この宇宙生命の本流が噴出し、個別化したのが、われわれの生命であると考えられます。
   「妙法」とは、この宇宙生命を説き極め、あらわしたものであるわけです。

   したがって「妙法」は、過去永劫の生と、未来永遠の生をはらんでいる。
   そこでは、もはや、現在、過去、未来などという現象的時間における立てわけは通用
   しない。
   過去も、未来も、現在の瞬間と融合し、一体となる。
   一瞬といえば、瞬間の生とも表現できる。
   だが、永劫といえば、永遠常住の潮流とも考えられる。
   つまり、瞬間でもあり、同時に永遠でもある。

川田:日蓮大聖人は「三世諸仏総勘文教相廃立」に「過去と未来と現在とは三なりと
   雖(いえど)も一念の心中の理なれば無分別なり」と記されています。
   この中の「一念の心中」というのは私たちの生命の奥底であり、同時に、宇宙生命
   そのものとしての「妙法」と解してよいでしょうか。

池田:「妙法」それ自体である、生命の本源の実体を説いた文です。
   宇宙生命においては、現在、過去、未来といえども、一体となって、まったく無分別で
   ある。分別することができない。

   それでいて、「一念の心中の理」とある様に、その永遠即瞬間の生命が、差別となって
   具体的な活動を営んでいく。
   つまり、本質的には無分別でありながら、過去、現在、未来へと分かれていく差別相をも
   はらんでいるのだといえよう。
 

わが友に贈る 2017年9月23日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 9月23日(土)19時01分22秒
  仏法者の真価は
「振る舞い」にあり!
礼儀や言葉遣いなど
大誠実の真心と行動に
納得と共感が広がる。
 

公明新聞の「必死の形相」写真 信仰的詐欺写真

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 9月23日(土)18時40分7秒
  信濃町のネット対策チームの対策です。

都議選当日の池上彰さんが出演されている番組で、池上彰さんが、公明新聞に掲載されている「候補」の「必死の形相」について公明党都本部代表の高木陽介議員に質問していました。

※やり取りの要約です。
どなたか録画されている方がいれば詳細をご教示下さい。
池上彰「公明新聞を手に持ちこの新聞の候補の写真はどうやって撮影するのですか?」

高木陽介「候補は必死ですから」
二回ほどこのようなやり取り。

私はこのやり取りを見て、池上彰さんはこの宿坊の掲示板を御覧になっていると感じました。

なぜならこの宿坊の掲示板では、公明新聞の「候補の必死の形相写真」は「前撮り」であると指摘しているからです。
会員さんは「候補の必死の形相写真」は街頭演説での写真と誤認しています。

また一般の方にあの「必死の形相写真」は異様に感じますが、創価学会員が見ると「信仰心が揺さぶられる」のです。

池上彰さんはそのようなことも公明党都連代表の高木陽介議員に質問していました。

信仰心で支援する公明党候補の「必死の形相写真」が「前撮り」だったと会員さんが知ったら大変です。
一次元から見れば詐欺です。

私の手元にあるたくさんの内部討議資料もいつか検証していかなくてはならないと思っています。
 

“専門家”の時代じゃない!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 9月23日(土)18時34分12秒
   世に、防災・危機管理とか、市民防災とか、あるいは食品安全管理とか、いわゆるその道の“専門家”なる解説者の登場が目立っています。果ては、警察官OBも出てくる始末で、いまや“専門家”の目白押しといった状況です。それぞれに培った“専門知識”があって、「安全対策」を語ってくれるのですが、「なんだかなぁ」という印象がぬぐえません。

 そりゃぁ、知らない人が愚見をあれこれ語るより、知った人が適切に対処法を語った方がいいに決まっています。でも、なぜか、説教じみて、押しつけ感がぬぐえないのです。それに、いろんな角度からの網羅はいいのですが、概して総花的で、耳に入りません。ヒステリックな絶叫も御免ですが、かと言って落ち着き払った、達観したかのような言説も頂けない、というところでしょうか。

 ひとつは、社会が高度技術化してきて、一片通りの取材では対応しきれなくなってきていることもあるのでしょう。“専門家”に語らせて、メディアが当社の考え方ではありませんと言っているに等しいのです。これは、裏を返せば“逃げ”です。あまりにも専門化し過ぎて、取材する側の教育がそれに追いついていっていない実情もあるのでしょう。ビジュアル重視となれば、なおさらです。

 社会自体がそうなのでしょう。広範囲で、専門的で、長期的なものが求められています。いきおい、誰にも批判されない“安全路線”が選択されます。公的機関は責任を問われる度合いがとりわけ高いですから、その傾向が一層です。「間違いがないように」と、対応を一律にし、“中央集権的”にせざるを得ません。「マニュアル通りにやりました」と。それは、自分の意思とは違うこと多々です。すると、誰も他人の言うことで責任を取りたくありませんから、ますます義務的、その場しのぎにならざるを得ません。

 “現場”の実状というのは、そもそもが多種多様です。よく似た人はいても、人の顔が違うのと同じです。それを“十把一絡げ”で対処しようとするから、歪(ひず)みが起ります。何も、中央集権にしなくても、対処策を示したいのならケーススタディを蓄積して“シンクタンク”のようにすればいいだけの話です。それを解ったようなふりをして、解らない人間が「私のお出まし!」みたいな対応をするから、対処できないばかりか、より事態を複雑にしてしまいます。

 それに、自分たちで解決しよういう意思のないところに、どんな情報を持って行っても無駄になるだけです。言われたことを言われた範囲でやるだけです。「はい、やりましたっ!」てね。自分で考えるからこそ、やり甲斐も感じ、必死にもなります。そこに適時適切な情報が入れば、ことが円滑に運びます。むしろ、こちらが主眼でしょうか。考えるべきは、現場よりも、それを推進する指導者の教育なのです。民衆の時代です。随縁真如の時代です。

 いまのあらゆる組織が同じような悩みを抱えています……。

 

わかりやすい(笑)

 投稿者:ダメよ~ダメダメ  投稿日:2017年 9月23日(土)16時47分18秒
  解散総選挙の話題が出て一週間。

創価学会は素早く選挙態勢に移行した。と同時に聖教新聞も公明新聞も選挙態勢に。

紙面を見ればこれほどわかりやすい組織はないです(苦笑)

公明新聞もこの夏の都議選で有名になった選挙名物。あの池上彰さんも注目の候補者の絶叫事前撮り

も早々に行い準備される事でしょう。特に選挙区候補。傑作を楽しみにしていま~す

http:/

 

魂を揺さぶられる『言葉』の先に…

 投稿者:mission  投稿日:2017年 9月23日(土)15時07分33秒
編集済
  私達は何を感じ取り、何が見えているのだろうか?
たとえ其れが、聞く*読む*目にしただけだったとしても、「言葉」として伝えた人にも『私達と同じ体験からの願望や想望があったのだ』と感じ取れ、力強い「言葉」からは、絶望から起き上がった(行動)情景を思い描く事ができ、だから『励まされている』と心に響く…見えない「魂」で繋がるんだと思います。

大聖人様の教えや牧口先生*戸田先生*池田先生の言葉を、幅広い眼界や探究がなくとも理解できるのは、特権階級ではない庶民出身の『師』である人達が、一人一人の民衆(会員)の為に国家権力と戦われ、弾圧から何度でも立ち上がった歴史があるから。
「論」ではなく、その真実の『言葉と行動』に「魂」が揺さぶられるのではないでしょうか?

《平田真吾様》が投稿された短い「言葉」だけでも『伝えたい想い』が くみ取れます。
『私も負けない!・Interactive・双方向不二の唄』と紹介された「You Raise Me Up」
─たとえ唄であるけれど、受け手も送り手になる事ができる「対話」である。それは二ツに見えるが、実際は一ツなのです─

2005年ノーベル平和賞のステージで、Secret Gardenが「You Raise Me Up」を披露したと聞いた事があるけれど、私は2006年トリノのエキシビジョンで荒川選手が採用した時が印象的でした。
『You Raise Me Up』…あなたは私を奮い立たせる─

You raise me up, so I can stand on mountains
君は頼りない僕を励ましてくれる。だから山頂に立つことが出来るんだ。
You raise me up to walk on stormy seas
君が僕を勇気づけてくれるから、嵐の海を彷徨うことなく進める。
You raise me up to more than I can be.
あなたの存在が私に力をくれるから、自分を越えて頑張れる。

伝わる人には、必ず伝わるんです。
共有でき無い異分子達が、大聖人の御文や池田先生の御指導を作為的に「切り文」で使ったとしても、後々必ず不自然さが目立ち間違いだと気付く事になる。
そこには「一人を守る」という、真実の『言葉と行動』が無いからです。
「気付いた人達」の輪が、勢いよく広がることを私は願っています。
そして其れは、果てしなく難しい事では決してない。

この「宿坊」や今日も開催されている《元職員様》達の座談会での体験にも、その人達が踏みしめている大地で孤軍奮闘している姿を心に描ける投稿が本当に沢山あります。
『You raise me up to more than I can be.』
「宿坊の皆様の存在が力を注いでくれるから、私は弱い自分を越えて頑張れます」─感謝。


 

SaySaySayさん!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 9月23日(土)13時53分21秒
  SaySaySayさん

 「清浄」の振動が、かつてSaySaySayさんが仰ったように400ヘルツかどうなのかどうかは、私にはわかりません。情報不足です。いや、勉強不足ですか(笑い)。
 でも、「清浄」には、何もない「清浄」もあるのかも知れませんが、すべてがある「清浄」があるのではないかとは思っています。十界すべてが含まれる「清浄」です。ちょうど、すべての物質は電気的に中性で、その中にはプラスもマイナスもあるように。大気の水蒸気が上空で氷になってぶつかり合い、雲自体ががプラスかマイナスに帯電するのと同じではないでしょうか。雲同士、あるいは地上に放電して、ゴロゴロと雷になります。いや、正確には大気を渡る電気の波動が音として我々に伝わってくるわけですが。

 もっとも、「十界すべてが含まれる清浄」といっても、ヒッグス粒子があるのかないのか分かりませんが、宇宙そのものが「中諦」の“場”そのものですものね。「清浄」というのは、「生命」のそのままの“姿”で、何にでも変わり得る可能性を孕(はら)んだ当体であることをいうのかも知れません。つまり、“光の三原色”でいうなら「白」です。長い波長になれば「赤」、短い波長になれば「青」と、人間には見えてしまいます。しかし真実の当体は「白」です。波長が変わるだけです。“光子”は同じものなのでしょう。

 九州のラーメンはとくに福岡では匂いがきつくて抵抗がありました。でも、味は抜群。紅生姜が必須でした。土地の人からは、「あの匂いがいいんじゃないですか」と言われてしまいましたがね(笑い)。


 

逆になってしまいました。

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)13時17分31秒
  すみません。

7/11と8/11が逆になってしまいました。
 

「永遠の生命」の視座 7/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)13時13分53秒
  川田:生物学的な情報というと、DNAに含まれているのでしょうが、たとえば、鼻の形をどの様
   にしようとか、皮膚の色が白いか黒いかとかまた、極端にいえば、指は何本にしよう
  (笑い)とかいったことですね。
      手足の指は五本ずつでないと困りますが、鼻の高さなどは、個人によって多少の差は
   あります。
   まあ、こういったことが、DNAに含まれています。

   ところで、「現在」ということに帰りますが、哲学者の波多野精一氏は、「時と永遠」
   という著書のなかで、「現在は、けっして単純な点に等しきものではない。一定の延長を
   有し、一定の内部的構造をそなえている」といっていますが ― 。

池田:まだまだ浅いけれども、方向性は正しいといえる。まさしく、一瞬には「内部的構造」が
   そなわっていると考えてよかろう。
   むろん、構造といっても、空間的なものではないがね。

川田:そこで:まず、現在に包含された過去の内容ですが、一言でいうと、私たちの体験は
   すべて、どの様にささいな出来事でも、記憶としてとどめられているといいます。

   身体の経験は、それぞれの細胞や臓器に刻印されていますが、興味深いのは、精神的な
   体験ですね。
   私たちが、すっかり忘れてしまっているようなこと、たとえば、赤ん坊のころ、
   オネショをしてしかられたとか、となりの子供をいじめたとか、もっと古いのになると、
   産湯をつかったことまで、ちゃんととどめられているといわれています。

   その場所を大脳生理学的にいうと、側頭葉と古い皮質の海馬という領域になります。
   側頭葉には、言葉や学校で学んだ知識や、考えたことなどがとどめられ、海馬領域には、
   喜びとか、恐怖とか、悲しみとかいった
   情動的な体験がすべて記憶されています。
   それはちょうど、吸い取り紙にインクがべっとりとしみこんだだようで、
   この吸いとり紙を「記憶の貯蔵庫」と呼んでいます。

北川:よく聞くことですが、人間が死を迎える時には、過去の記憶が、ちょうど走馬燈の
   ように、すべてよみがえってくるといいます。
   しかも、それが、一瞬にですね。

池田:死に直面して「記憶の貯蔵庫」のカギが、一度に開いたわけだ。
   現在の一瞬に含まれる過去の内容が、すべて、意識の表面にうかびあがったのでしょうね。

川田:「身体と心」の章でも、少しふれましたが、私達の個人的な体験の、もう一段奥には、
   人類としての百万年にもわたる体験が刻まれています。
   原始人類が、猛獣と戦ったこととか、火を発見した喜びとかいった体験が、現実に私達の
   いまの生命に息づいています。

   さらに、その奥には、哺乳類としての経験とか、アメーバとしての経験なども、私たちの
   生命体としての全体験の内容を占めているかもしれません。
   哺乳類としての経験などは、ある程度、想像できますが、アメーバとしての経験と
   いうと、ちょっと、私たちの思考を超えているようですが、考えられないことも
   ありません。

   例えば、アメーバは、栄養分が流れてきたり、浮かんでいたりすると、それを感じて、
   すうっと寄っていきます。
   そして、とりこんでしまう。食欲の原型みたいなものですね。
   私達も家に入ったとたん、よいにおいをかぐと、たちまち空腹を感じる。そして、
   つまみ食いしたくなることもある。(笑い)

池田:ゆかいな実例だね。さて、そうすると、現在の瞬間には、少なくとも、地球の歴史を
   すべて包んでいることになるね。
   瞬間の生を、深く思索すればするほど、その内容は豊かになり、過去へと限りなくのびて
   いくと考えられよう。
 

「永遠の生命」の視座 8/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)13時01分52秒
  川田:こんどは、未来についてですが、これは「空」のところでも話に出ましたが、身体的な
   ところからいっても、私たちの身体には、生物学的にいって、五十億もの情報が
   内容としてつまっています。

   つまり、私たちの身体には、無限といっても過言でないほどの、未来への可能性を
   そなえているといえるわけです。

池田:瞬時の生命に、無限の未来をはらんでいるということだね。

川田:そうです。その未来を、現在の生が切り開いていくと考えられます。
   そこで、有名な話ですが「パスツールの軌跡」というのがあります。
   彼の偉業は世界中に知れわたっていますが、その大部分が、脳卒中のあとでつくられた
   ものであるという事実は、意外と知られていません。

   彼が脳卒中で倒れたのは四六歳の時です。もう絶望的だというので、フランス政府は、
   彼の為に研究所を建設中だったのですが、それを中止しました。
   その報告を聞くと、パスツールの症状は、さらに悪化したのです。

   ところが、彼の友人が、政府に働きかけて工事を再開させると、その症状はしだいに
   よくなり、その後、二七年間、新しい研究所で人類のために尽くしました。
   この間の業績は、彼の生涯のうちでも、もっとも輝かしいものだったそうです。

池田:うむ、おもしろい話だ。奇跡と呼ぶにふさわしい生命の力だね。
   それにしても、将来にかけた希望や、人類から苦悩をとりのぞきたいという目標への
   情熱が、まさしく、医学的な不可能をも可能にした一つの例でしょうね。

川田:そうしますと、希望、期待、未来への情熱などは、人間生命に含まれる未来をひきよせる
   力と考えられますね。

池田:希望の精神の躍動、未来を信じ行動する情熱などは、人間生命にとって、未来への原動力
   といえます。
   だからこそ、希望と目標を失い、絶望の底に沈む人は、みずからの生をとざすことにも
   等しいのではなかろうか―。

北川:ウィーン大学の神経科の教授でもあり、ユダヤ人としてアウシュビッツ収容所に
   入れられ、死線を越えてきた、フランクル博士は、その体験を託して有名な
   「夜と霧」という本を書いています。
   その中に、次のように記されています。

   「彼自身の未来を信じることができなかった人間は、収容所で滅亡していった。
   未来を失うと共に、彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し、身体的にも心理的にも
   転落したのであった」とあります。

池田:博士が生き延びることができたのも、未来にかけた信念の賜物だろうね。
   希望、夢、使命、信念などは、未来を開く力であり、内的な主柱であり、力強い生命流の
   内容だと思う。

   私達の生命流は、現在の瞬間に生きながら、過去の全ての体験を含み、それを基盤と
   しながらも、無限の可能性をはらんだ未来を切り開いていく。
   具体的にいえば、過去のあらゆる記憶を再現し、回想させつつ、未来への希望あふれる
   目標に向かって、出立していくのが、現在の瞬間の生というわけだ。

   したがって、過去の生も、そのすべてが現在の内容となり、未来のかぎりなく開かれた
   人生の基盤もまた、いまのこの一瞬に集約されている。
   つまり、過去、未来と切り離された現在は、現実には存在しないし、現在の生に包含
   されない過去もなければ、未来もありえない。

   日蓮大聖人の「御義口伝」には「已(い)とは過去なり来とは未来なり已来(いらい)の
   言の中に現在は有るなり」とある。
   現在の生と、過去、未来の生の本源的なあり方を考えさせてくれる至言です。

北川:過去といい、未来というも、その本源をたずねれば、現在と一体である。
   しかも、その現在の生に含まれる過去と未来は、私達の生命を、その内奥まで深く
   たどればたどるほど、かぎりなく広がっていくのですね。

 

「永遠の生命」の視座 6/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)12時46分46秒
  「生命を語る」単行本 第一巻 時間の謎
「瞬間と永遠」p164~179

北川:これまでのところで、私達の生命にとって、持っている時間の不思議な性質が、だいぶ
   わかりかけてきたようです。
   だが、もう一点、時間の謎のうちでも、もっとも根本的な、つまり、過去、現在、未来と
   いうことについて、おうかがいしたいと思います。

   古来、多くの哲人は、万物が時の経過と共に転変していく様を、川の流れに例えています。
   西洋では、ギリシャの哲学者ヘラクレイトスが「万物は流転する」との名言を残して
   いますし、東洋仏法でいう「輪廻(サムサーラ)という言葉も、川の流れを表現したもの
   だとされています。

池田:うむ。
   よく「時が流れる」というけれども、今のヘラクレイトスの言葉が意味しているのは、
   流転するのは ”万物” ということです。
   ”輪廻” という場合も同じです。

   最初に話し合った様に、実在するのは、宇宙、物体、生命です。
   その一切が運動し、変化し、流転している。
   この運動、変化、流転を認識する枠組みが時間、空間です。
   だから、”流れて”いるのは、万物なのだけれども、視点を考えると、時間が流れていく
   ように思えるわけです。

北川:ところで、こうした万物の流転によって感ずる時間の経過から、過去、現在、未来という
   概念が出てくるわけですが、
   これを、川の流れに例えますと、未来は絶え間なく現在に流れ込み、その現在は瞬時に
   して過去になっていきます。

   しかし、過去は「かつてあった」のであり、未来は「未だない」ものであって、実在する
   のは「現在」の一瞬しかないということですね。

池田:うむ。私達の生命の実在は、この瞬間にしかない。私達は紛れもなく、現在の瞬間に、
   苦と楽を実感し、幸、不幸とを感じつつ生を営むわけです。

北川:「現在」という一瞬は、幾何学で言う「点」みたいなものとして考えられて
   いますが ― 。

池田:幾何学の「点」は位置だけあって、その内容がないという事実をあらわしているのだね。

北川:そうです。大きさ、重さ等は認めていません。

池田:「現在」という瞬間をその様に考える事は大きい錯覚です。
   そこには、実に豊かな内容が含まれている。
   私達の生命のこの現在の一瞬の実在を考えてみても、そこに実は、過去の全ての記憶が
   包含されているのです。
   肉体的な記憶もあれば、精神的なものも、しっかりと刻み付けられているにちがいない。

   また、未来への希望、期待、欲望、活動性なども、現在の瞬間の生命に備わっているね。
   さらに、私達の身体自身のもつ各種の生物学的な情報も、未来を先取りした肉体の智慧と
   いえるでしょう。
 

圧政 vs 市民 の戦い

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 9月23日(土)12時09分32秒
  安倍首相が国連で演説し、トランプ氏とグルになって、戦争を散々けしかけたおかげで、北朝鮮が太平洋上で過去最大の水爆実験を行う可能性が出て来た。

安倍政権は、北朝鮮問題の本当の危機はもっと先に来るから、今のうちに衆院解散しておくのだなどと、訳の分からない屁理屈をこね回していたが、とんでもない読み違えだ。

これ以上は無いというほどの危機を、今現在に引き寄せてしまったではないかっ!!

ドイツやフランス、韓国の指導者と比べると、まるでクソガキレベルの知性しか持ち合わせていない様に見える。ロシアの外相が、幼稚園児の喧嘩と評していたがその通りだ。

万が一戦争になったとしても、アメリカ本土が大被害を受ける可能性はまだ低く、ある意味いつも通りのやり方だが、日本はそうは行かないのだ。

壊滅的被害を受けるのは、ほぼ確実だ。仮に生き延びたとしても、日本、韓国の経済は壊滅。全世界の経済も致命的な影響を受けるだろう。

もしもそんなに戦争がしたいなら、戦争を始めた指導者の家族と親類縁者は、真っ先に最前線で戦う、という法律を成立させてからにしろ!

日本には、たとえ戦争をして負けても責任を取らず、自分達だけは生き残るという、不思議な階級が存在している。
安倍首相は間違いなく、そういう階級に属する者だろう。

私の様なルンペンプロレタリアートとは違うし、戦争になっても自分は死なないと、とんでもない誤解をしているネトウヨ達とも違うのだ。


そんな安倍首相が、この28日、やっと開催された臨時国会を、所信表明もせず審議にも応ぜず、モリカケ隠しの為、冒頭解散する。

こんなデタラメな安倍自公がその後の選挙で勝てば、どんな事になるか、言うまでもない。

無関心を決め込んでいたら、いつの間にか徴兵されていた…程度ならまだいいが、気がついたら家も家族も消えていた、などという事にならぬ様、次の選挙、絶対負ける訳にはいかない。

ここへ来て、劣勢を伝えられていた野党4党と市民の連携は、逆に強くなり始めている様だ。
座して死を待つよりは討って出よ、だ。
死に物狂いになった軍の強さを、腐れ貴族と化した、自公のアホどもに見せつけてやればいい。
私も野党の側に立つ。

間違いなく救国の戦いだ。ヤツらにはひとかけらの正義も無い!






 

我が師.池田先生との思い出 No.9

 投稿者:シャクソンファイブ  投稿日:2017年 9月23日(土)11時51分18秒
  宮川氏ご本人に許可を頂き、この記事を転載します。
なお、拡散大歓迎です。


「黎子( れいこ )は女子部の鑑( かがみ )だ。
 今は立派な理論よりも、そう言うことを残しておこう。
 青木、吉田、中西ーー この三人で今の十倍、二十倍の闘いをした。
 男に勝る戦いをした。毎晩、二時、三時。 愚痴一つ言わずに黙々とやった。
 右翼に狙われて帰れない事もあった。」

「途中で亡くなる人が損なのか。残る人が偉いのか」

「交通費もあげられなかった。食事も出来なかった。
 本部は、朝8時に始まる。黎子は毎朝7時に来て、
 全部、本部の掃除をやった。 一級闘志はすごい根性の持ち主だった。
 本当の娘だ。 一生忘れない。日記が全部取ってあるので出版したい。
 大功労者だ。完全に陰の人、裏の人だった。
 ああ言う時に、あれだけやったのは、男にだっていない。
 5年が50年に匹敵する闘いだった。
 ローソクのように、忽然と消えた人を会長の私が、このように話をしている。
 幸せな事じゃないか。そこに創価学会の精神がある。
 伝統、歴史ーー目に見えない事を知らせていく。」


☆七月十六 日( ブラジルのサイトウ理事長と ).

「黎子の日記を全部読んだ。一生懸命闘った人が、早死にして、
 闘わなかった人間が偉くなっていく。それでいいのか?
 (創価学会はだんだん官僚的になって、本当に闘った人が認められなくて、それでいいのか?)
 読みながら、刃物で胸をえぐられるようだった。」

「ある時、本当に闘っている婦人部に会った。
 お金は、あるのか?と聞いたら、「 ありません 」と爽やかだった。」

 (一生懸命学会に、人に尽くした人が何も得なくて、そうでない幹部や本部の人間が、内内で賞賛され、
 社会的な力を得ている。矛盾じゃないか)と。

「嘆くな。僕が祈る。僕がついている。僕が見ている。全部見ている。
 それでいい。それで、いいじゃいか。それで何もいらない 」と言ったんだ。
 そう言う精神を忘れては、いけない。

(サイトウ理事長は、娘さんが創価女子学園に入学された報告と御礼に来日していた )

「幹部同士の間で、子供の事を言う必要はない。
 自慢したりするのは、本陣の戯( たわむ )れである。」
 皆んないて、そこに、足の不自由な子が居たら、僕は、その子が一番かわいい。
 その子が大将だ。
 恋愛して、成功して、ゴールインした人よりも、
 失恋して、題目を上げて立ち上がる人の方が、僕は、数倍かわいい。
 同志の集いじゃないか。
 ある意味、大幹部は、自分のウチなんか、メチャクチャでいいんだ。
 会員が第一だ。それが幹部だ。

「日蓮は、泣かねども涙ひまなし 」だ。
 悦子( サイトウ理事長の奥さん )、悦子、
 子供、子供、あなたは、それを捨てなくてはいけない。一家主義になってはいけない。
 ウチは( 先生のご一家 )、そう見えるけど全然違う。
 いつも妻に言っている。息子たちにも、いつか嫁が来る。でも、他人だよ。
 孫も出来るだろう。でも僕は可愛がらないよ。
 その分、創価学会の苦労した人を、もっと大事にするよ、と奥さんに言ったんだ。」

(奥様がうなづかれて口を開かれた )

「主人はいつも、会員さん第一なんです。私は会長である主人に、何も出来ない。
 だから、せめて、会員のお一人お一人の事を祈ろう。
 だから、せめて、誰かいらしたら、何でもしてさしあげようと。」

(再び、先生が )

「息子達の結婚式も、目黒文化会館で、数十人で、静かにやりたい。

「 教弥( おしえ.いよいよ )高ければ、位弥( くらい.いよいよ )低し 」
 平凡な庶民でいいんだ。
 あなた( サイトウ理事長 )には、それが足りない。」

「妻は私が死んだら、四畳半の部屋で、暮らすと言っている。
 そして、学会の方が訪ねて見えたら、広宣流布の為に、闘っていらっしゃる方だから、私より偉い、大事にします、と言っている。」

「一切、幹部は家族のためではいけない。妻子は報障だ。」

(昭和52年7月15・16日手記 )

☆文中に出てくる黎子さんの事を、先生が「忘れ得ぬ同志」に綴って下さっている。
 黎子さんはどれ程、嬉しかったであろうか。

☆『野菊のごとき青春 ☆

ーー青木 黎子さんーー

【広布の激流に黎明の光】

一冊の日記帳がある。

題して『黎子抄』。

青木黎子さんが死の間際まで綴ってきたものである。
それを親しき友人たちが一冊の本にまとめあげた。
昭和五十一年一月二十九日、ご両親に見守られながら黎子さんは三十五歳で逝いた。
美しき瞳。 美しき心。 美しき青春の人であった。

一周忌に私は、ご家族とともに学会本部で勤行をした。
そのとき、黎子さんが綴られていた日記帳の事を聞いた。
美しい字で書かれた数冊のノートを、やがて見せていただいた。
そこには、病魔との戦い、『生と死』の葛藤、信仰の素晴らしさ、友情、自己の使命・・・等々、
日々の心境が曇りなく記されてあった。
ご遺族と友人たちの意向が実り、三回忌を記念して限定出版されたのである。
その香りしたたる一冊が私の所へも届いた。
昭和四十二年から四十五年までの闘病記がある。
こんな一節が目に止まった。
『昭和四十二年 二月二十四日(金) 雨
 注射。今日の雨で春を感じる。まどの外に水仙の芽が出ているのを見つける。
 なんという生命の不思議さ。強さ。あの大雪の下に、あのとき、すでに発芽していたのだ。
 なんとしても治るのだ。一年前の私は毎日" 死 "との対決だった。』

東京・清瀬の病院。
武蔵野の早春に心の嵐と戦う、けなげな同志である彼女の青春を思うとき、私の胸は熱くなった。
学会本部に勤務していたのは、昭和三十七年後半から約四年間と記憶している。
彼女は、あまり丈夫ではない小柄な体を駆使しての、日夜、私のそばで広宣流布への戦いの連続であった。
彼女と最初に会ったのは三十七年初夏のころである。
女子部の代表との研修会があったときに、彼女のことを女子部の先輩から聞いた。
ある銀行の人事部に勤めていただけあって、まことに聡明で、誰からも称賛される人柄であった。
懇談の折、『今までお世話になった人は?』と聞いた。
彼女は間髪を入れず六人の姓名をすらすらと言った。ふつう姓は言えても、なかなか名前までは出てこない。
記憶力抜群の人とみた。
入信は昭和三十一年六月、十五歳のときであった。都立白鴎高校の出身である。
また女子部の部隊長としても活躍してきた。
『黎子抄』に、当時、共に職場で戦っていた多田時子さんが、次のような追憶の記を寄せている。

『ひとたび仕事の事になると非常に責任感が強く、電話の応対や接客にもそつはないし、
 字も綺麗に書けば、あれこれと、どれ一つを取り上げても見事にこなす人でした。
 また何より素晴らしいと思うことは、どんな事があっても笑顔をたやさない人柄のよい人でした。
 それは又、自己に厳しい強さを持っていたからかもしれません』

当時の学会は激流のような建設期にあった。
私も朝から夜半まで、多忙の連続であった。
その為もあって、彼女は庶務部で同じように遅くまで、その任にあたってくれたのである。
私は幾度となく彼女の健康を心配して早く休むようにすすめたことがある。
しかし、今にして思えば、彼女は自分の短命を自覚してのことか、
最後まで繁多な職場で自己の使命を全うせざるを得ない宿命的とも言える回転であった。
夜遅くなっても朝は誰よりも早く出勤した。
表面には疲れもみせぬ素振りであったが、東京の葛飾区からの往復は、さぞや疲れが増していったに違いない。
最後までグチひとつこぼさず、全ての作業を一つ一つこなしきって行った。
模範的な若き妙法の乙女であった。

『一月二十六日(月) 晴のち曇 S先生、回診あり。
先日聞きもらした右上葉の一番難しい空洞のことを聞いたら、消えているとのこと。
・・・なんということか、あんなガンコな病巣が消えているなんて。
御本尊の偉大さにただただ感謝』

昭和四十五年十一月、清瀬の病院を退院。
結核もすっかり治した。
再び職場に復帰した彼女は、不死鳥のごとく活躍し始めた。
しかし、定業であったのであろうか、心臓が弱り、数年して、多くの後輩たちの星となって逝いた。
彼女は、いまはの際に、か弱い体で起き上がり、厳として題目を唱えたあと、横になった。
そして母に向かって、
『私には何の悔いもありません。広宣流布に生き抜いたのですから世界一の幸福者です』と一言いった。

亡くなる寸前、私たち夫婦はせめてものお見舞いにと、サファイアの指輪を贈った。
彼女はそれを病床で指にはめ、ことのほか喜んでくれ
『私が死んだら、この指輪をはめてほしい』と母親に語っていたという。
一週間後、母親は彼女の希望どおり、合掌したその指に指輪を飾って霊山に送ったのである。
ご両親はいまなお葛飾の地で朝夕、黎子さんの写真を見ながら、広布の庭に活躍している。
ただ、私が胸を痛めるのは、同じ年ごろの女性が結婚し、
子供を育てる姿を見たときのご両親の気持ちはいかばかりであろうか、ということである。

彼女の生涯は自分なりに一つの主義主張に青春を賭けた、劇のような行動であった。
それはいわゆる表舞台だけではなく、辛労多き陰の舞台にも誇り高く走り、また美しく咲き薫った名優であったといえよう。
人によって短い人生というかもしれない。
しかし、彼女は幾十歳にも通ずる輝くばかりに充実しきった、黄金のごとき青春の生涯と自負していたことであろう。
多くの女子部の人たちが、野菊のごとき青春であったと口々に讃えたことは、それを証明している。
生命は永遠であるが故に、彼女は生きいきとした生命を得て、この世に再び活躍していくことを、私は信じてやまない。
(昭和55年8月21日)

以上です。

この妙法のジャンヌ・ダルクが、先生と共に作った偉大な創価学会を、原田や秋谷如き薄汚れた獅子身中の虫、
反逆者共に乗っ取られてはならない。

写真は、私が青木黎子さんに 新しく贈らせて頂いた
「芙蓉院清浄妙黎大姉」と言う大姉尊号と、
ブラジルの広布を築いた女性、故 シルビア・悦子・サイトウさんの遺影。

シルビア・サイトウさんは、数千万遍の唱題と戦いで、ブラジルの天地に妙法の華を咲かせて下さった妙法のジャンヌ・ダルクです。
青木黎子さんも、シルビア・サイトウさんも、再び師の元に生まれて、
今、立正安国の危機に生まれ、師の一大事に、 創価存亡の時に、
人類の未来を決するこの時に、生まれて 久遠よりの誓いを果たす戦いの陣列に居て下さる事でしょう。
 

不思議

 投稿者:不軽菩薩が理想  投稿日:2017年 9月23日(土)11時09分38秒
  宿坊の掲示板の皆様、おはようございます。

窮状 様
記事のご紹介、ありがとうございました。牧口先生、戸田先生、池田先生の戦い、御指導を胸に刻んでいる創価学会員なら、この78歳の方のお気持ちになるのが普通だと思うのですが、殆どの学会員が何の疑問ももたずに、三代のおしえに反逆する方向に何の疑問ももたず(?)に従い、やっきになっているのが、とても不思議です。

 

我々にできることは小さいかもしれない・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 9月23日(土)10時36分9秒
編集済
  杉原 千畝(チウネ)、シンドラー、ポーランド人のイレーナセンドラさん、

ほかにも、先生が紹介してくださったある女性も・・

そして、ここにも

https://bushoojapan.com/tomorrow/2017/08/04/102879


一人の勇気ある存在、大量ではないにしても救われた人たちにとってはその意義は大きい

自分には大きい事はできないが・・身直なメンバーを鬼畜原田学会から救えば・・

救われた人たちにとっては、実に大きい意味のある事・・

(私自身、宿坊様・信濃町の人々さま他、心から感謝してます)

さらに大聖人の仏法を知らずにいる、苦しむ友人を一人、一人と救って・・

酷き実態への落胆と無力感を希望に変え・・・戦っていきたい。

いや、戦っていかなければならない・・


くぼてつ様、鈴之助様、コメントありがとうございました。
 

ランニン

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 9月23日(土)10時34分49秒
  今日は福岡座談会ですね。参加される方、充実の一日でありますように。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-130.html
<9・23(土・祝)九州・福岡座談会 開催のお知らせ>平成29年9月23日(土・祝)午後1時5分~午後3時50分 エイムアテイン博多駅前貸会議室の「会議室5H」(福岡市博多区博多駅前3-25-24 八百治ビル5階)

螺髪様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74480
イメージだけで言いますが、「清浄」という言葉には「完全なる境智冥合」というイメージがあります。
電気屋の私は池田先生が生命を電波のように例えられることが分かり易く、宿坊でもそのように書きますが、いわば宇宙には10種、10チャンネルの生命チャンネル(十界)があります。
その10チャンネル、いずれの周波数とも人間・宇宙は境智冥合するのですが、「清浄」なのが仏界チャンネル=南無妙法蓮華経ヘルツですが、なかなか「完全に境智冥合」しにくく、凡夫の一念には雑音=ノイズが混ざりやすく、その波形(正弦波:サインカーブ)は歪んでしまいます。(今も私は菩薩界チャンネルでこれを書いているつもりですが、久しぶりに食べに行く天下一品のこってりラーメンのことをつい考えてしまいます。)
この雑音が消えてS/N比が理想的な状態であるときが「清浄」で、「境智合しぬれば即身成仏するなり」なのだろうかと思います。難しいですねぇ、「清浄」て。つい安易に逃げてしまいます。何事も本気で向き合わないと境地合しないのに。

煩悩まみれですよ、私なんて。ヤフオクに出したら誰か買ってくれるかなぁ~。
福岡かぁ~明太子も美味しいなぁ。九州出身の友人にはよく、とんこつラーメンに連れていかれたなぁ。新宿の熊本ラーメンの店まだあるかなぁ。パーコめんが忘れられない。

“もうこれ以上 自分自身からは逃げたりしない 一緒に すべてに打ち勝つのよ”
“もう 逃げない 逃げない 逃げない 逃げない”
“もうこれ以上 自分自身から逃げたりしない”
“すべてと向かいあう覚悟ができた”
“自分を失うことは すべてを失うことだから”
『ランニン』ビヨンセ
https://www.youtube.com/watch?v=eJSik6ejkr0

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

「永遠の生命」の視座 5/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)09時56分6秒
  生命論 戸田城聖

http://nitiren21.blog.shinobi.jp/%E8%B3%87%E6%96%99/%E7%94%9F%E5%91%BD%E8%AB%96%E3%80%80%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%9F%8E%E8%81%96
 

北朝鮮のミサイルはどこまで飛ぶことができるのか

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 9月23日(土)09時55分29秒
  本日のスプートニク日本版より・・

https://jp.sputniknews.com/infographics/201709224112698/
(詳しい図解と解説)

将来的に北朝鮮の弾道ミサイルが核弾頭を搭載して使用される可能性はあるが、

今のところ、北朝鮮がこれらのミサイルに適合する弾頭を製造しているという裏付けはない。


アサンジ氏

https://jp.sputniknews.com/politics/201709234114273/

内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者ジュリアン・アサンジ氏は北朝鮮を完全破壊するという

トランプ大統領の警告が、核兵器を求める北朝鮮の願いを強めるだけだと述べた。

(アベの思惑通りになるか・・・)
 

ユー・レイズ・ミー・アップ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 9月23日(土)09時28分38秒
  平田真吾様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74493
https://youtu.be/S0mOXC8pJfM
あまりにも良い歌なのでもう一度。こんな詩とは知りませんでした。

窮状さん、ありがとうございます。ちゃんとこういう人もいるのですね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74494
>今、もの凄い勢いであっちもこっちも皆んな立ち上がっています。もう、止められません! さらば ハラダよ!<

『衆院解散 これでいい? 有識者「憲法の規定逸脱」』毎日新聞
https://mainichi.jp/senkyo/articles/20170923/k00/00m/010/101000c?fm=mnm
『詩織さん被害届 準強姦容疑は「不起訴相当」 検察審査会』毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20170923/k00/00m/040/011000c?fm=mnm
政治は権力闘争の世界だから何でもアリ? そういう品格が問われているんだ!!!
そうか? あんなのと同じか? 修羅・畜生界ベースで? そんな「大六天」に仏・菩薩界を開かないなら、わざわざ地涌の菩薩が必死に応援して政界に送ってやる必要はない!
泥の中に花を咲かせようと必死になっているんだ地涌の菩薩たちは! ただ泥に染まるなら「お前はもうすでに死んでいる!」
「大義」を求めなかったら人間の世界ですらない! ただケダモノの世界だ!
そんなニッポンジンに生まれたくないからこの国は少子化しているんだ!
「未来」に見捨てられたいか!?

“落ち込んで 心がとても疲れた時 困難がおとずれて 心に重荷を背負った時”
“そんな時は ここで静かに じっと待つわ あなたが来て 私のそばに座ってくれるまで”
“あなたは 私に力をくれる だから 山の頂に立つことができるの”
“あなたは 私に力をくれる だから 嵐の海を歩くことができるの”
“私は強くなれるの あなたの肩に寄りかかっている時”
“あなたは 私に力をくれる 自分を越えていけるように”
“飢えない命なんて無いの すべての心臓は休むことなく鼓動を打つ とても不完全に”
“けど あなたが来て 不思議と満たされると 時々 永遠を垣間見てるんじゃないかって思うの”
“あなたは 私に力をくれる だから 山の頂に立つことができるの
“あなたは 私に力をくれる だから 山の頂に立つことができるの”
“あなたは 私に力をくれる だから 嵐の海を歩くことができるの”
“私は強くなれるの あなたの肩に寄りかかっている時”
“あなたは 私に力をくれる 自分を越えていけるように”
『ユー・レイズ・ミー・アップ』ケルティック・ウーマン
https://www.youtube.com/watch?v=Yfwlj0gba_k
女歌で。日本ではケルティック・ウーマンの方が有名らしいが、私はあっちの方が良い。
 

人間池田大作

 投稿者:風林火山  投稿日:2017年 9月23日(土)09時14分33秒
  ご参考迄。原点に戻りましょう。

https://www.youtube.com/watch?v=3So9GpFcFhs
 

メキシコ大地震への義援金

 投稿者:五分の魂  投稿日:2017年 9月23日(土)08時56分32秒
  創価学会として300万円の義援金。
会員1人あたり1円以下。
恥ずかしくて知人にも言えない。
 

公明党よ、これでもまだ野合するのか!!!

 投稿者:ダメよ~ダメダメ  投稿日:2017年 9月23日(土)08時55分28秒
  解任された元副支部長さんが激しく憤っておられました。

今回の国連での安倍発言は明らかに池田先生の思想とは真逆。

本来の創価学会、公明党の生き方とも当然真逆。

それでも予定される総選挙において安倍自民党候補を支援し、公明党も連立を維持するのか?


国連総会での安倍発言は、師匠・池田大作先生の「平和思想」とは真逆のモノ!

東北各部合同研修会 (1987年7月5日)

民衆がしっかりしないと、権力者や為政者達の意のままの社会がつくられてしまう。いつの時代も、苦しみ、悲惨さを味わうのは結局、民衆である。ゆえに、私どもは、一人一人がすばらしき人生を生きるために、人間共和の連帯の輪を、この社会に広げているわけである。
戦争を起こしてはならない。この地球上から「悲惨」と「不幸」をなくしていきたい。本当に正しい人が幸せになり、悪しき人々の力を封じこめて「平和」で「安穏」な世界を築きたい。これが、皆さま方が日夜、推進しておられる広宣流布の活動なのである。
 

もっと勉強しよう

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 9月23日(土)08時54分4秒
 

---------------------------------
新・人間革命「勇舞」より

人間は実力だ。学歴がなんだというんです!

自動車の整備士として、油まみれになって働いて、
その仕事で、みんなの模範になればよいのです。

学歴が無いことは恥でも何でもない。しかし、学ばないことは卑しい。
勉強しないことは恥です。

私も毎日、勉強している。

1日に20分でも、30分でもよい。寸暇を惜しんで読書し、
勉強することです。その持続が力になる。

---------------------------------
新・人間革命「薫風」より

学会は、実力主義であり、信心の世界ですから、学歴は関係ありません。

しかし、学力は必要です。忙しくとも読書に励み、あらゆることを勉強し
抜いていくんです。

社会の一流の人たちが「学会のリーダーはさすがだ」と感服するくらい、
教養をつけて、智慧を発揮していかなければならない。

---------------------------------

池田先生の学歴を調べたら
現・東京富士大学短期大学部。
一流大学、東京大学の出身ではない。
貧しく苦労して夜学に通って、やっと
卒業できたらしい。

原田会長の経歴は東京大学。
あの舛添まんじゅうの知事さんも
東京大学出身。

ここいらへんに、創価学会と原田学会の根本的なちがいが
あるのかも知れない。

日蓮大聖人も、貧しき漁師の両親の
もとでお生まれになったとか。
エリートで育った空海とはまったくちがう。

創価学会の会長に中卒の人や高校中退
の人はなれないのだろうか。女性の会長が
いてもよいのではないか。

政治家もおなじだと思う。高学歴や人脈、お金がないと
選挙で当選するのはむずかしい。

選挙の候補者、二世、三世の候補者、そして
タレント議員、すべてが悪いわけではないが、
やっぱり何かおかしい。

けっきょく日本列島は忖度列島なんだ。

大切なのは学歴でもなく、金や権力ではなく
その人のあり方なのだと思う。

3代会長に共通していて、原田会長にないもの。
絶対的確信にもとずく不惜身命の信心かな?

それを示さないと、忖度だけでは人はついていかないでしょう。

宗教を考えると人間革命の山本青年が
今の日本に登場してほしい・・・ではなく、
自分がならないと。

政治を考えると西郷隆盛さんのような政治家が
今の日本に登場してほしい・・・ではなく、
自分がならないと。

結局は自分の人間革命、自分の宿命転換しかないのです。

---------------------------------

己を尽くして人を咎めず。

我が誠の足らざるを常にたずぬるべし。

我を愛する心を以って人を愛せ。

自己を許すが如く人を許せ。

人を責めるが如く自己を責めよ。


- 西郷隆盛 -

---------------------------------

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

呉越同舟

 投稿者:  投稿日:2017年 9月23日(土)07時12分29秒
  国連演説でも北朝鮮危機を煽りまくった安倍首相に、
NYタイムズコメント欄でも批判殺到! 戦争ゲームに興じる子どもみたい
安倍首相自身が、不要な挑発をくり返し北朝鮮をけしかけている
北朝鮮危機も、拉致問題も、選挙向けのパフォーマンスに利用

http://lite-ra.com/2017/09/post-3468.html

 

「永遠の生命」の視座 4/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)06時44分53秒
  池田:それに対し仏教では、生命は輪廻を繰り返しながら、そこで各人が自由意志で行った
   行為が因果の法に従って、その報いを生じていくとし、人がそれぞれに持っている
   千差万別の姿は、このために生まれたとします。

   したがってここでは差別を持って現れている個々の事象も全て普遍的な法の世界に
   包含され、その意味で万人は平等となります。

   そればかりでなく、自己の運命も自らの行為が原因なのですから、運命に対する主体的
   権利を各人が持っていることになり、これによって個の尊厳性はより徹底したものと
   なります。

   因果の法の支配を、どこまでも徹底していくなら、あらゆる人に無限に前世があった
   ことになり、何かによって創られたり、何かの時に生じたりということはないことに
   なります。
     p83

池田:仏教では、生命が永遠に存在するものであり、始まりも終わりもないとし、つねに因果の
   法にしたがって転変していくと説きます。
     p84

カラン、シン:人は、その霊魂がモークシャ(解脱)を成就するまで、いくつもの長大な期間に
   渡って再生を繰り返さなければならない、というのがヒンドゥー教の基本的な教義です。
   またサンサーラ(輪廻生死)は、どうしても超克しなければならない状態であると
   考えられています。

   その理由は、サンサーラが必然的に私達のいう「苦」に満ちているからでなく、この世の
   悦楽は長続きしないからです。

池田:なるほど、そこで輪廻生死(サンサーラ)を超克し、解き放たれる事を
   解脱「モークシャ」、その様になった状態を涅槃「ニルヴァーナ」といったわけですね。
     p199

カラン、シン:忘れてならないのは、ヒンドゥー教の見解では、この世に生まれ、
   また次に生まれてくるまでの中間期は、その人自身のカルマ(業)次第で快適な
   状態で過ごすか、あるいは不快な状態で過ごさねばならないかが定まるという事です。
   善きカルマの人は死後の状態を快適に過ごし、そのうえ、来世は有利な条件の
   もとに生まれてくることができます。

   しかし、ウパニシャッドは、どんなにうっとりさせられる様な天上の喜びも、
   より長大な時間的単位でみれば、つかの間の、はかないものに過ぎない、としています。
   であるからこそ、生死の流転を超克しなければならないのです。
     p200

転載終わり

この対談では、大聖人の仏法とウパニシャッド哲学との共通部分と相違部分がはっきりしています。
輪廻転生、業の意義などは共有していますが、最終的に輪廻(もちろん”業”も含む)を超克(乗り越える)することを目標にするウパニシャッドに対して、先生は、因果の法則の永遠性を基にするところからくる無始無終の生命の輪廻を説く大聖人の仏法の思想は「運命に対する主体的権利を各人が持っていることになり、これによって個の尊厳性はより徹底したものとなります。」
と結論づけられています。
 

「永遠の生命」の視座 3/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)06時36分23秒
  転載開始

輪廻観の起源 ―「内なる世界 インドと日本」

池田:生命が輪廻するという考え方は、インドではウパニッシャドに始まるとされていますが、
   ほぼそれと同時期の西方ギリシアにおいても、たとえばピタゴラスが、そのような
   考え方をもっていたということが伝えられています。

   ある時、ピタゴラスが友人と一緒に道を歩いていて、犬と行き会った。どういうわけか、
   その友人がこの犬を蹴飛ばした。
   ピタゴラスが咎めて「やめろ!もしかしたらこの犬は君のなくなった父親かもしれない
   じゃないか」といったという話です。

   これは、とりたてて理論的に輪廻思想を説いたものではありません。
   しかし、さりげない言葉でそうした考え方が述べられた事実に、むしろ、この輪廻観が
   当時のギリシア人にとって、かなり常識化していたことがうかがわれます。
      p73~4

カラン、シン:輪廻という概念が、世界の偉大な宗教の多くに見られるのは事実です。
   セム系(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などを信仰する民族)の諸宗教ですら、
   死後も霊魂は存続すると信じています。しかし、それらの宗教はただ一度の生のみを
   仮定しており、その後は霊魂が幾劫もの間リンボ界(リンボとは「縁」を意味する
   ラテン語に由来し、地獄と天国の中間にある霊魂の住む場所をいう)にとどまって
   最後の審判を待つのだとしています。

   これに対して、東洋の諸宗教では、再生がその哲学全体の中心概念であり、これと密接に
   結びついているのがカルマ(業)という概念であるわけです。

   ”業”の概念を正しく理解することは非常に大切です。
   西洋の思想家のなかには、”業”とは人間の置かれた状況を宿命的なものとして
   甘受することにすぎない、という誤った主張をするものもいます。
   事実はこれと全く反対です。

   ”業”とは、各人がいかなる時点においても、種々の択一的な行動様式のいずれかを
   選ぶ能力を持っており、また事実そうした選択が必要なのであって、各人は自分が行った
   選択に基づいて自分の行為の結果を刈り取ることになる、ということを意味します。

   ”善”の行為とは無知と激情からの解放を助ける行為のことであり、”悪”の行為とは
   個人が無知や激情にますますはまりこむ原因となり、それによって究極的な開放を
   より困難にする行為のことです。

   ウパニシャッドの神髄は、不滅のアートマンという概念と業の概念をうまく結びつけ、
   それによって個々の人間が道徳的、精神的に発展するための
   骨組みを生み出すことができた、という点にあります。

   輪廻、業という二つの概念が密接に結びついていることは明らかです。
      p75~6
 

「永遠の生命」の視座 2/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)05時33分38秒
  かなり長くなりますが、過去の資料から、これらの件を補う部分を転載します。
読み比べて観てください。

1と2に関しては、ヒンズー教の最高峰といわれ「梵我一如」を説くウパニシャッド哲学の大家であるカラン、シン博士と池田先生の対談「内なる世界 インドと日本」から転載しました。
カラン、シン博士は、輪廻や業について、また、カースト制度についても、彼なりの見解をもっています。

それと、生死の問題を解決したが故に会長の任務を受け入れる事にしたとまで言われた戸田先生の生命論も読んで下さい。
私は、大聖人の仏法は、700年来少しも変わる事なく一念三千を基にした「生命哲学」だと思っています。

3に関しては「生命を語る」より転載しました。
私の大好きな箇所のひとつです。

「内なる世界 インドと日本」は1992年に発行されており、「生命を語る」は1974年、「二十一世紀への選択」は2000年です。


教学は理屈ばかりだと批判を浴び、それでも守られてきた時代は終わったと思われます。
ひとりひとりの自立した正しい「信」と、そこから発信する正しい行動だけが、これからの時代の自他共の幸福を築くための指標になるのではないでしょうか。

ちなみに、赤胴様の投稿自体に水を差すつもりはないので、ご了承下さい。
学ぶべきはそれとして謙虚な姿勢を持ち続けることは、大切だと思っています。
私が憂慮しているのはp177~184の間だけです。
赤胴様の努力に感謝します。
 

「永遠の生命」の視座 1/11

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 9月23日(土)05時19分42秒
編集済
  早めに書くといいながら書いてない件、失礼しています。
頭が疲れていて懈怠の魔に負けている今日この頃です。(笑)

今回とりあえず気になる別件について、タイプしましたが、
この件に関しての教義的な見解は以前にも何回か投稿しているので、詳しくは省略します。
赤胴様が投稿している「二十一世紀への選択」のp177~184に網羅されているメッセージの中から概略で以下の様な意味合いの部分が含まれている件についてです。

「永遠の生命の視座」の章から
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74364
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74365
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74398

 1 大聖人の仏法における輪廻説は事実かどうかではなく、象徴的意味(慈悲心を養うため)が
   大切
 2 輪廻の基となる”業”の義がカースト制度を維持するイデオロギーになりかねない
 3 仏教の生死観は、今の一瞬に無限の生命を生きることができるという意味

私としては、これらに関しては、大聖人の仏法の真実の一部だけであり、全体的視野を持たないと
間違ったメッセージを伝承してしまう危険があると思っています。
つまり、ある意図でもって読者をある一定の方向に誘導できる危険性があるということです。
以前にも書きましたが、例えば、私のいるこの国の最高幹部はじめ、地元のメンバーも、”業”や”輪廻”の思想は大聖人の
教えではないということ(彼らはそう信じている)の論証を、先生の言葉として、この本のこの箇所を提示してきます。

法華経は諸経の王であり、本来、その立ち位置さえ確認していれば、仏法全般、そして外道さえも一部分の真理として活用できます。
問題は、その一部分であるはずの教えが、他の部分を意図的に切り離して、我ひとり尊しとして独り歩きを始める時に邪宗に変わります。
その上、過去には長い期間正しく仏法を学んでいた会員達が、近年勉強の機会を失い、空虚になってしまったその心に、その様な邪宗的見解が入り込むのは簡単です。
なぜなら、組織から提供されているその様な思想も正法の一部であるため、会員がそれに気づくのは、至難の技だからです。

例えば、1と2では、みんなが納得するようなもっともらしい言い回しで、「輪廻」や「業ー因果の法則」の思想を脇にさておくようにしながら、じょじょにみんなの頭からこういう思想が薄れていくことを意図していることが読み取れます。

3においては、「今」だけに焦点を当てることを強調することによって、未来への展望や因果の「果」に疎くなる精神状態に誘導しようとしている意図が読み取れます。

このように指導しながら、目の前の功徳の強調との組み合わせで、自分達の行動の結果が現実に近未来の国の命運を左右し他ならぬ自分の未来さえも破壊していることに対して、会員の自覚を麻痺させることに加担します。
「未来に偉大な目標を定め、それに向かって決意し、未来を先取りしながら、使命感にめざめた現在の歓喜に生きたいものだと思うね。」ー「生命を語る」第一巻 p179
という先生の言葉とは、相反しているといえるでしょう。
そして知らぬ間に、長期間そういう逆流に流されてしまったら、もう元の岸辺にもどる為に逆流に逆らうにはよっぽどの決意がいるでしょう。
 

21世紀への選択 「にもかかわらず」生きる・・・絶望を希望に転換する勇気 P193  投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 9月23日(土)02時07分39秒
  第六章「宗教的精神」の蘇生━━ 価値を創造する魂

 21世紀への選択 「にもかかわらず」生きる・・・絶望を希望に転換する勇気 P193  投稿します。

ポイント

*、テヘラニアン
 そのとおりです。ティリッヒ博士は同書のなかで、現代の苦悩と絶望を真正面から

見すえながら、「それにもかかわらず、生きていこう!」と訴えています。

*、池田
 現実の深淵を見ようともせずに、欲望の達成と快楽だけを幸福といってはばからな

い、薄っぺらな楽観主義とはまったく異なります。

人類がこれほどの悲惨を起こしてしまったのは、単にヒトラーやナチスだけが問題で

あったのではない。

ティリッヒは、民主主義もいつしか体制順応主義に堕落し、「冷笑主義」「無関心」

「無感動」の虚無に飲み込まれる可能性があると指摘しています。

そうさせないためにも、人間存在そのものの奥底に横たわる深い闇を見すえながら、

「にもかかわらず」生きてゆこう・・・そういう強靭な意志が『生きる勇気』では語られ

ています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
北朝鮮のかましと、米トランプ大統領の恫喝外交、戦争を見据えてのにらみ合い、この危険な状況で

解散総選挙、安倍・のほほん首相だけは、森加計問題隠しの選挙を企てています。

首相官邸は、北朝鮮から核攻撃に対応できる、核シェルターで守られています。

北朝鮮が、ミサイルを準備していると、報告を受けると、シェルターに逃げ込んで、自分だけは安全地帯
にいることが出来るのです。

こんな腰抜け首相を我々は、今度の総選挙で、叩き落し、自民党を勝利させてはいけません。

 池田先生は【現実の深淵を見ようともせずに、欲望の達成と快楽だけを幸福といってはばからな

い、薄っぺらな楽観主義とはまったく異なります。】

肚堕SG会長も核シェルターに逃げこめば助かると思っている一人です。

生涯&広布一筋兄弟様の投稿を読ませていただきました。

『志梅さん』への、人権侵害の事実は目をふさぎ、耳を覆いたくなるほどの凄惨の極みです。

【「宗教や国籍に関係なく、溺れている人を見たら助けなければならない。そう言われて育ちました」
とセンドラーさんは話している。】

しかし我々は、刮目して現実を見聴きして、世界平和と人類の幸せを祈らなければなりません。


野党が固まらないうちに、選挙で叩いておこうと言う、姑息な総選挙です。

選挙に勝つためなら、恥も外聞もない、やけくそ解散であることを、コンペー党は反対できないほど、

自民党化しています、これは、日本会議(邪宗連合)の思う壺です。

『現実の深淵を見ようともせずに、欲望の達成と快楽だけを幸福』と思っている連中、輩の野合です。

必ず!!絶対に、粉砕しましょう


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朝日新聞より抜粋 松本京子さんの場合

「諦めたら終わり」訴え続ける

松本京子さん(拉致当時29)は77年、鳥取県米子市の自宅近くの編み物教室へ出かけ、行方不明に。

日朝首脳会談から4年後の06年、政府から拉致被害者と認定された。

「帰国まで政治家は交渉を」

兄の孟さん(70)・・同市・・は署名活動を続け、救出を訴えてきた。

今月13日には、県内の小学校で拉致問題をテーマに「出前授業」。

京子さんが拉致された当時を振り返り、「手がかりがないかと、来る日も来る日も海岸を歩いた」。

北朝鮮がミサイル発射を繰り返す状況について、「問題は難しいが、解決しないことはない」。

そして、子どもたちにこう語りかけた。

「諦めたら終わり。みなさんも興味を持って勉強してください


 

21世紀への選択 「にもかかわらず」生きる・・・絶望を希望に転換する勇気 P193

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 9月23日(土)02時03分25秒
  21世紀への選択 「にもかかわらず」生きる・・・絶望を希望に転換する勇気 P193

テヘラニアン
 その処方箋の一つが、仏教やイスラムですね。すでに話し合ったように、

両者はともに、迷信や呪術的な伝統に対する、精神覚醒の運動でした。

池田
 そうした次元でいえば、イスラムという言葉の意味は、一般に「神に絶対的に帰依

すること」と聞いていますが、それは著名な神学者パウル・ティリッヒが「宗教」につい

て定義したように、"存在に通じる概念の根源に、究極的にかかわること"をめざした

といえるかもしれません。

テヘラニアン
 ええ。厳密にいえば、それはすべての存在への「積極的かつ完全なるかかわりとあわれみ」

を意味するといえましょう。

 それは積極的平和、すなわち愛と勇気を合体させた状態を意味するのです。

池田
 前に、イスラムは「宗教改革」であったと語り合いました。

ユダヤ教やキリスト教の信仰への疑念を表したということでしたね。

テヘラニアン
 ええ。ユダヤ教、キリスト教への疑念として、『コーラン』の次の言葉が

それを物語っています。

「我々(ムスリム=イスラム教徒)が誠の限りをつくしておつかえ申すのはアッラー

(アラー)のみ」〔二・一二三〕(井筒俊彦訳『コーラン』、岩波文庫)

また、呪術的な多神教に対して、ムハンマドは徹底的に批判をしています。

ところで、会長はいまパウル・ティリッヒに言及されました。

それは、私の心に懐かしい「ティリッヒ先生」の思い出を蘇らせてくれました。

実は、私の恩師なのです。私は彼からすべての偉大な精神的伝統に共通する宗教的精神

について多くを学びました。

池田
 よく存じています。

ティリッヒ博士は、ナチスに追われてアメリカに亡命しています。

テヘラニアン博士がティリッヒ博士から直接学ばれたのは、ハーバードの大学院生時代

ですね。

偉大な師をもつことは、人間にとって最高の宝です。

テヘラニアン
 本当にそう実感します。

池田会長にも戸田城聖第二代会長という師匠がおられた。

ともに、すばらしい師との出会いがあった・・・。

池田
 ティリッヒ博士の著した『生きる勇気』は、アウシュヴィツとヒロシマ以後を生

きる私たちに、希望を与えてくれました。

不朽の名著であり、人類の財産です。

テヘラニアン
 そのとおりです。ティリッヒ博士は同書のなかで、現代の苦悩と絶望を

真正面から見すえながら、「それにもかかわらず、生きていこう!」と訴えています。

池田
 「にもかかわらず」ードイツ語で"トゥロッツ"・・・それが『生きる勇気』の

キーワードでした。

その態度は、二十世紀を代表する名著『夜と霧』の著者・ヴィクトル゜フランクルにも

通じますね。

「それでも人生にイエスと言おう!」です。

テヘラニアン
 アウシュヴィッツを自ら体験し、人間の悪の面をいやというほど味わいな

がら、フランクルは「それでも」人間を信頼しよう、人生を肯定しようとするのです。

池田
 その態度は、エドワード・W・サイードが座右の銘としている、グラムシの「認識

においては悲観主義、意志においては楽観主義」という言葉にも通じます。

「意志における楽観主義」とは、言い換えれば不屈の勇気といえるでしょう。

現実の深い闇を直視しながら、それでも前進しようとする勇気です。

テヘラニアン
 全面的に賛成です。それらの人々はまったく同じ志向性、同じ姿勢をもっています。
 

(無題)

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2017年 9月23日(土)01時02分18秒
  私は創価学会の解散をすすめます

現実は存続するよね

なぜなら、皆先生の指導を無視するから

「もし創価学会が人間を抑圧する組織になったのであれば、私は創価学会を解散する」


ただここに来てほぼ解散と同じ事が起きそうなので

日蓮世界宗創価学会の立ち上げ

良かったかも、ですね


日蓮世界宗創価学会、名前は先生の構想が実現しそうですね


先生の教えを人生の指針にする人・先生を師匠(先生)と決める人

って書いたのだけど、良い言葉がわからなくて

「教え」ってのはやっぱりおかしいですね


先生の言葉を心に刻む人には

宗教の違いなどどうでも良いことですね


たまたま先生が信じた宗教が日蓮正宗だった

その為、54年の悲劇が起こった


宗教の違いなどどうでも良いってことは

日蓮世界宗創価学会員でも良いになりました

犯罪的な教団でなければね
 

生涯広布&広布一筋(正義の師子同盟)様

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 9月23日(土)01時01分16秒
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

生涯広布&広布一筋様、感動的なお話をありがとうございます。m(._.)m

ポーランド人のイレーナセンドラさんのお話はしりませんでした。人類は今まで数々の過ちを犯しながらも未だ差別したり争いの連続で人として人間性を失うこと以上の不幸が有るのでしょうか?

北朝鮮と万が一にも戦争することになってしまえば両国の罪の無い国民がどれ程の被害を受けるか想像も出来ないですよね隣国も只ではすまないのでは無いのでしょうか?

愚かな指導者に率いられる民衆ほど不幸なことはないとの人間革命の一節が我が師匠のどれ程深いひと言なのかがわかります。

いざとなった時に人間の本性が出るのでしょうが、私もかくありたいです。そのような状況にそうぐうしないと分かりませんけとm(._.)m

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 9月22日(金)23時55分21秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
平田真吾様
良い曲、ありがとうございました
おやすみなさい
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 9月22日(金)22時56分17秒
  23時より開始です。池田先生、奥様のご健康を祈ります。よろしくお願い致します。  

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