はじめに
事の発端は、カトリックの街トゥールーズで、プロテスタントのジャン・カラスという男が無実の罪で処刑されたことにあった。
人びとは何の根拠もない噂を信じた。そしてそれは、やがて熱狂的なプロテスタント迫害へつながっていった。
宗教は慈愛に満ちたものなのか。それともそれは、結局どうしようもなく野蛮なものなのか。
本書でヴォルテールは、理性に基づく寛容を人びとに訴える。
1.ジャン・カラス事件
1762年、トゥールーズの街で、ジャン・カラスという68歳の男が処刑された。罪状は息子の殺人。
プロテスタントの信仰を持っていたカラスは、息子がカトリックに改宗しようとしたことに気づき、殺害したというのだ。
あらゆる状況から見てそれはありえない話だったが(実際は自殺だった)、トゥールーズの人びとは、プロテスタントへの迫害意識からその物語を信じ込んでしまった。
「トゥールーズの民衆は一般に迷信深く、しかも激しやすい。自分と宗教が異なる者にたいしては、たとえ相手が兄弟であっても、怪物視する。」
「カトリックに改宗しようとする息子を父親と母親が殺すのは、プロテスタン信仰上の義務であるらしい。このうわさを町中のひとびとが信じてしまった。」
折しも、その年はかつてこの街で起こったプロテスタント大虐殺事件からちょうど200年の年だった。
「とりわけかれの死刑を決定づけたのは、トゥールーズのあの奇妙な祭が近づいていたことである。この町ではかつて四千人のユグノー[カルヴアン派プロテスタント]が虐殺されたが、市民はそれを記念する祝賀祭を毎年催してきた。しかも、この年、一七六二年はちょうど二百周年にあたる。町ではこの式典の飾りつけが進められており、まさにそのことが、すでに過熱気味の民衆の興奮をさらにかきたてた。」
何の証拠もないまま、カラスは車責めの刑に処せられた。
ヴォルテールは言う。
「何と、これは現代のできごと。哲学が多大の進歩をとげた時代のできごとなのだ。国中の、百を数えるアカデミーが民衆の啓発に努め、習俗を穏和なものにしようとしているときに起きたことなのである。それはあたかも狂信が、最近うちつづく理性の成功に憤り、理性に踏みつけられてますます激しくのたうちまわっているように見える。」
長い間、人びとは想像を絶するほどの残虐な行為を繰り返してきた。
しかし哲学が、その蒙を啓いてきたはずだった。
「きわめて長いあいだ迷信のせいで血にまみれていた手から武器をとりあげたのは哲学である。宗教の妹である哲学にのみそれができた。酩酊から醒めた人間の知性は、狂信が自分に犯させた逸脱のかずかずに驚いてしまった。」
にもかかわらず、なぜ私たちは、今なお寛容な心を持つことができないのだろうか。
2.他国の寛容
そこでヴォルテールは、まず現代(18世紀)のヨーロッパ以外の国々へと目を向ける。
トルコ、インド、中国、日本などは、極めて寛容な国であるとヴォルテールは言う。
確かに、中国では雍正帝がイエズス会士を追放した。しかしそれは、むしろキリスト教徒たちこそが互いに口汚く罵り合っていたからだ。
「司祭たちは真理を説くために来たのに、互いに相手を呪ってばかりいた。したがって、皇帝はただ外国から騒ぎをもちこんだ連中を送り返したにすぎない。しかも、そのときのあつかいは驚くほど親切なものであった。かれらの帰りの旅を心配し、そして旅の途中で無礼が加えられないようにと、慈父のごとき配慮をしめされなかっただろうか。かれらの追放自体が、寛容と慈愛をあらわすひとつの模範だったのである。」
日本で宗教戦争(島原の乱)が起こったのも、元はキリスト教の責任だ。
「日本人は、全人類のうちでもっとも寛容な国民であった。その帝国では、十二の穏和な宗教が定着していた。そこへイエズス会土が来て、十三番目の宗派を形成した。ところが、この宗派は自分たち以外の宗教を認めたがらない。その結果はみなさんご存じのとおり。わが国でカトリック同盟が起こした内乱に劣らぬほどの恐ろしい内乱が日本で起き[島原の乱]その国を荒廃させた。しかも、キリスト教は血の海で溺れ死んだ。日本人はかれらの帝国を外の世界にたいして封鎖した。われわれは日本人から凶暴な獣みたいに見られてしまうようになった。」
3.理性を育め
不寛容の治療は、ただ理性を育むことの他にないとヴォルテールは言う。
「こうした狂信者たちが、かりにまだ残存しているとすれば、その数を減らすもっとも確かな方法は、この精神的な病を理性による治療にゆだねることである。理性は、効き目はゆるやかでも、まちがいなく人間に合理的な思考力を得させる。理性というのは、優しく、人間味があり、他者を許容し、不和をやわらげ、人間の徳を高めるものである。
今も続く不寛容は、獣以下の行為である。次の言葉は印象的だ。
「不寛容を権利とするのは不条理であり、野蛮である。それは猛獣、虎の権利である。いや、もっと恐ろしい。なぜなら、虎が獲物の体を引き裂くのは、それを食べて生きるためだが、われわれ人間はほんのわずかの文章のために、たがいに相手を抹殺してきたのである。」
4.古代ギリシア・ローマはどうだったのか?
続いてヴォルテールは、古代ギリシアやローマで宗教的不寛容があったかどうかを検討する。
彼の結論は、ギリシアでもローマでも、人々は多様な宗教に寛容であったということだ。
ローマではキリスト教が迫害されたと言われているが、むしろキリストを迫害したのはユダヤ人たちであったとヴォルテールは言う。
「初期のキリスト教徒は、ローマ人と争わねばならないわけなど、おそらく何ひとつなかった。敵対していたのはユダヤ人だけであった。そのころ、キリスト教徒はユダヤ人から離脱しはじめていたのだ。みなさん、ご存じのとおり、党派というのは、その党派を捨てて去った者をはげしく憎悪し、容赦しない。」
殉教者もたくさん現れたが、それも、ヴォルテールに言わせればむしろ彼ら自身に非があった。
「聖ポリュクトゥスの殉教[二五九年]を考えてみよう。〔中略〕かれは、[アルメニアで]ひとびとがデキウス帝の戦勝を神々に感謝して祈りをささげている寺院に入りこんだ。そして、神官を侮辱し、祭壇をひっくり返し、神々の像を破壊したのだ。」
こうしてヴォルテールは、当時としては驚くべき次のようなことを言う。
「私は、口にするのもおぞましいことだが、これを真実として語らねばならない。すなわち、迫害者、死刑執行人、人殺し、それはわれわれである。われわれキリスト教徒である。誰を迫害し、誰を殺してきだか。自分の同胞を迫害し、殺してきた。十字架や聖書を掲げて、たくさんの町を破壊してきた。」
5.口実を見つけたがる迫害者たち
宗教的不寛容な者たちは、その根拠を聖書に見出そうとする。
しかしヴォルテールは、聖書に不寛容を説いた箇所などないと言う。そして次のように主張する。
「ひとを迫害したがる連中は、使えそうな話なら何でも悪用する。」
「だから、どんな貧弱なものでもいいから何とか口実に使えるものがないか、あらゆる箇所を探しまくるのだ。」
「イエス・キリストのその他の言行は、ほとんどすべて、やさしさと忍耐と許しを説くものである。」
6.人類は兄弟である
こうして寛容を説くヴォルテールは、さらに全人類が兄弟であることまで主張する。
「キリスト教徒はたがいに寛容であるべきだ、というていどの証明なら、たいした技術も、たくみな弁舌も必要ではない。しかし、私はもっと大きなことを言いたいのである。すなわち、すべての人間を自分の兄弟と見なすべきだと言いたい。えっ、何だって、トルコ人も自分の兄弟なのか。中国人も、ユダヤ人も、シヤム人も、われわれの兄弟なのか。そうだ、断固そのとおり。われわれはみんな同じ父の子、同じ神の被造物ではないか。」
「教会の外に救いなし」と言う。確かにそうかもしれない。しかしその上でヴォルテールは次のように言う。
「正直な話、われわれに神の意向がすべてわかるのだろうか。神の慈悲のおよぶ範囲がすべてわかるのだろうか。」
本書の最終部分で、彼は次のように説く。
「人間たちは、みんな、たがいに兄弟であることを忘れないようにしよう。」
「戦争によるいたましい災難は避けられないことであるとしても、平和のさなかにおいては、われわれはたがいに憎みあわないようにしよう。」
(苫野一徳)
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