「過労死」という言葉が、社会に突きつけられたのは、そう古いことではない。「急性死」などと呼ばれていた過重な労働の末の死に先駆的に取り組んでいた関西の医師らが、『過労死』と題した本を、一九八二年に出版したのが始まりとされる▼当時を知る松丸正弁護士は、ふり返る。「最初に、この言葉を聞いた時は違和感がありました。これは特殊な労働現場の問題で、それほど一般的な問題ではないのではないかと」▼しかし、「過労死」という言葉は、根付いた。「思ったより、根が深く、広い問題でした。かつては四、五十代からの相談が多かったが、最近は若者の過労自殺をめぐる相談が増えています」と松丸弁護士は話す▼たとえば…岐阜県内の病院で勤めていた二十六歳の青年は、時間外・休日の労働時間が月百時間を超える日々を三カ月送った末に、自ら命を絶った▼彼は、こういうメールを送っていたという。<もう生きてることって何なのかわからない…><体がいくつあっても足りない仕事の毎日…。この先に未来はない…><今日で終わりにしようと思います>。メールの宛先は、自分自身だった…という事実が、あまりにも悲しい▼「過労死」という言葉を三十五年前に世に問うた医師らは、「この言葉が一日も早く死語になってほしい」と願っていたという。そうしなければならない言葉である。