ダンケルク
原題:Dunkirk
製作年:2017年
監督:クリストファー・ノーラン
クリストファー・ノーラン監督の新作『ダンケルク』を観て、ダンケルク海岸で死んだ兵士も、生きて帰った者も、この映画によって、「今もあの時間のなかで生き続けている」ことになった、あるいは、「今もあの時間のなかで生き続けていることが証明された」という気持ちが芽生えてしまい、その思いが数日経った今も頭を離れません。
祖父のビルマの地図、物語を作ること。
数年前に亡くなった私の祖父は、太平洋戦争で激戦だったビルマ戦線に従軍し、帰還しています。祖父の亡くなる数年前、帰省した折に近くに住む祖父の許を訪ねた際、祖父の部屋のベッドサイドに、ビルマの地図(おそらく、戦争当時を再現した地図だったと思います)が貼られていたのを覚えています。既に80代後半であった祖父にとって、60年前の戦場の記憶とは何を意味していたのでしょうか。
――こういうふうに、外側から考えることが、物語を作るのだと思います。当事者にとっては、眼前の事実でしかない。おそらくは、晩年の祖父にとってのビルマも、遠い過去の思い出、というようなノスタルジックなものではなく、「眼前の事実」だったのではないか、というのもまた、外野からの勝手な物語でしょう。
田中小実昌の従軍小説「寝台の穴」。
小説家で翻訳家で、テレビタレントや俳優としても活躍した田中小実昌(1925-2000)の、中国戦線での従軍経験を書いた連作小説集、『ポロポロ』(1975年)に収められた「寝台の穴」という小説があります。「寝台の穴」は、不衛生な従軍生活でコレラを患った兵士のために開けられています。
寝台の三分の二のところの四角い穴を見て、なんの穴か、とぼくがたずねると、その初年兵は、ヘッ、ヘッ、とわらった。
「寝たまんまで、便ができるようになっとるんや。コレラ患者は、いちいち、厠までいかんでもええちゅうこっちゃ。また、厠までいけん者もおるしな」
田中小実昌「寝台の穴」より(『ポロポロ』所収)
田中小実昌の従軍小説では、戦場の過酷さが描かれても、そこには、戦争体験のない私たちが想像する悲壮感や、「物語」がありません。目の前の、些細なディテールに終始しています。「寝台の穴」では、下痢をした「ぼく」=田中小実昌が、便器に排泄した「白い、ほそ長いもの」をめぐって、詳細な描写と考察が続きます。
ぼくは軍袴をずりさげ、尻を出したカッコで、便器に浮いた、白い、ほそ長いものを見ていたが、姿かたちはそのまま、また、便器の底にたまった水のなかの位置もそのままそこに、ひょいと、ウドンがあった。さきのほうが、すこしこまかくくだけた、ひとすじの白いウドンだ。
その「白いウドン」をめぐって考えを巡らせながら、著者は、「自分に物語をしているのかもしれない」と、自分の書いていること、考えていることが、物語になっていないかについてこだわっています。
クリストファー・ノーランが2017年の現在に現出したもの。
映画『ダンケルク』は、海岸で救助を待つ兵士たちの1週間、救助に向かう民間船の1日、スピットファイア戦闘機で撤退作戦の援護に向かうパイロットの1時間を、巧みにコラージュして、100分あまりのタイムサスペンスに仕立てています。
そこには、一般的な劇映画のような、ストーリーテリングも、ドラマや会話、心理描写もありません。戦況を俯瞰し物語化する姿勢を避け、彼らの身に次々に降り注ぐ一瞬一瞬の出来事を、観客に体感させるように、ディテールだけを描写していきます。
なかでも、座礁した船に乗り込んで満潮とともに脱出を図る主人公、トミー*1たちが、船外から独軍の射撃訓練の標的になり、穴だらけになった船底で銃声に怯えるシーンは印象的でした。
『ダンケルク』で描かれた戦場のディテールは、取材を元にしたフィクションだと思いますが、『ダンケルク』は史実を忠実に映像化、作劇したものではなく、時間軸や戦況の描き方において、映画的な「虚構」によって成立していることは、監督自身の語りや様々な批評、分析によって明らかになっています。しかしそれは戦争を私たちが飲み下しやすい「物語」にしたのではなく、
(……)ひょいと、そこに、ウドンがあったのだ、気がついたら、ひょいと、そこに……というのもちがう。気がついたら、というのにも時間がある。なにかがウドンになったのではない。なにかになるのには時間があるが、ひょいと、そこにあるのには、時間はない。
と、田中小実昌が、自身の排泄した「白いウドンに」について描写したような、即物的なものとして、ダンケルクの戦場を描出したのです。そこに物語がないのは、戦場を描くうえで必然だったのであって、1970年生まれのクリストファー・ノーラン監督が、1940年のダンケルクを2017年に、「今もあの時間のなかで生き続けている」と思わせる巧みさで現出した偉業によって、祖父のビルマが今ここに描出されたような、めまいのするような感覚を私は覚えています。