Sound Signatureのボスに人生を変えられた人々の証言から探る、デトロイトのレジェンドが提示した可能性。
2005年にシアトルで行われたRed Bull Music Academyでのレクチャーに講師として呼ばれたTheo Parrishは、DJのあるべき姿についてこんなことを語った。「可能なかぎり、自分のエゴは無くすべきだ。それを忘れる人が多い。『レコードを持ってきたのは自分なんだから、自分が主役だ』って多くのDJは思う。違うね、完全に勘違いだ。レコードのなかに宿ってる人々のことを忘れてはいけない。レコードのなかには人々の魂が宿ってるんだ。そして彼らは、お金を払って音楽を聴きに来た人たちと対話しようとしているんだ」。DJはあくまで人と音楽を繋げる存在であり、最高な音楽を最高な形で人々に届ける義務がある–––そんな使命感と、レコードの溝に情熱を刻んだミュージシャンたちへの敬意が、Theo Parrishに針を戻させたのかもしれない。
その後、彼はこう続けている。「その夜は、誰かにとって最後の夜かもしれないんだ。考えてもみろよ。単純に確率の問題だ。もしそのパーティーに1000人来てるとしたら、もしかしたら、そのなかの誰かに明日が来ないかもしれないんだ。誰かが人生最後の曲を聴いているかもしれないときに、お前はブースでおしゃべりしながらEQを適当にいじって、その人と音楽の繋がりを邪魔するのか?」
Theo Parrishは音楽をジャンル別けすることに嫌悪感を抱いており、音楽の商品化を促進するためだけに存在する概念だと数々のインタビューで語っているが、彼の多種多様な選曲がその分け隔てない音楽愛を物語っている。2008年のニューヨークでのギグの様子を捉えたイベントレビューを読むと、ソウルフルなハウスや硬質なテクノからアシッド、ディスコ、ジャズ、ソウル・バラード、古いヒップホップまでを含むごちゃ混ぜセットが展開されている様子が綴られており、ときにはついていけないクラウドがポカンとしている場面も書かれている。しかし最終的にはその場にいた皆が心の底から楽しんだようであり、ライターのBernardo Arrospideは、「ただの素晴らしいDJセットではなく、音楽史の授業でもあった」と締めくくっている。それはTheoのDJを一度でも経験したことがある人なら誰もが共感できる感覚だろう。
そして彼の既成概念に屈しないスタンスは楽曲制作にも現れる。彼の音楽は一般的に「ハウス」というジャンルに属すが、本人はそれを否定しており、ダンス・ミュージックのテンプレートに沿った単純な4つ打ちビートを踏襲することで満足するのではなく、多岐に及ぶリズムパターンを刻む。また、ムードも一辺倒になることはなく、ダークで陰鬱なものから浮遊感や多幸感に溢れるものもある。ダンスミュージックではない楽曲までも制作するが、彼の音楽に総じて共通するのは、雑味たっぷりのサンプリングや環境音を散りばめた音作りであったり、マシンに頼りすぎず人力で造り上げるグルーヴに、紛れもない人間的な情感や生々しさが宿っているところだ。
そういったTheo Parrishの枠に収まらない音楽制作やDJスタイルは、多くのDJやアーティストたちにインスピレーションと勇気を与えてきた。2003年にTheo ParrishがYellowに出演した際に共演を果たしたDJ KENSEIも、Theo ParrishのDJに衝撃を受けたひとりだ。「(Theoは)ピークタイムに(Kool & The Gangの)"Summer Madness"とかをかけるんですよ。ここでかけちゃうんだ!みたいな。この人本当にこの曲が好きなんだなっていうのが伝わってくるんですよね」
80年代より活動を続け、自身もヒップホップやエレクトロニック・ミュージックなどジャンルを越えてクロスオーバーに活躍しているDJ KENSEIは、Theo Parrishの“自由さ”に惹かれるそうだ。「素人のDJにハッとさせられることってあるんですよ。自分が聴いてきた本当に好きな曲を、ただ脈略もなくかけるような。そういうDJってすごく良いなって思うときがあるんですけど、その自由な感じがTheoにもあったんです。かつ、ちゃんとDJとしてやれることもやっていて。型にはまっている感じがしなかったんですよね。それまで僕が抱いていたDJのセオリーみたいなのが通じないプレイを彼はするんです。テンポを合わせてちゃんと繋ぐときもあるけど、フリージャズのドラムのソロだけをずっとかけたり。かと思ったら、カオスのなかから曲が入ってきて。アップダウンがすごくあって、選曲や繋げ方もバリエーションがすごく豊富で、アルバムを聴いてるような感覚になりますね」
DJ KENSEIは90年代後半、渋谷にあったDemode RecordsやMr. Bongoといったレコード店でTheo Parrishの作品が売られているのを見て、彼の存在を知ったのだという。「子供の顔の写真だけが載ってるレーベルのテープがあって、これなんだろって思って(Demode Recordsの)お店の人に聞いたら、『これデトロイトの人らしいよ』って教えてもらって。それからThird Earというレーベルが出した『Detroit Beat Down』というコンピレーションにTheo ParrishとかMoodymannの曲が入っていて、それでちゃんと聴くようになりました」
以前の『Playing Favourites』特集において、DJ KENSEIは自身にとって重要な10枚のレコードの1枚に、Theo Parrishの2001年のリリース「Dreamer’s Blue’s」を挙げていたが、1997年にリリースされたSound Signatureのリリース第一弾「Musical Metaphors」EPのB面収録の"JB's Edit"も、DJでよくかけた1曲だという。
「James Brownのネタをずっとループさせただけのミニマルなトラックなんですけど、これは結構かけました。彼のDJを聴きながらDJしてる気がするんですよ。James Brownの"Funky Drummer"とかはヒップホップのDJがよくかける印象が強いんですけど、これはそれとは違ったファンキーさというか、James Brownの違う良さを引き出した気がします」
「Theo Parrishの音楽には、音響的にもすごく刺激をもらいました」とDJ KENSEIは続ける。「音の質感というか、彼の作品でもDJでもそうなんですけど。EQが効果的で、単純にビートを抜くとかじゃなくて、まるで演奏をしているようなんです。トラックも音が一定じゃなくて、1曲のなかで音量がアップダウンして。ドラムのハイを徐々にあげていったり、キックが歪んでいったり。ライブ感があるんですよね。ジャズっぽいというか。そういうライブ感は自分も意識してたところなんで、それをちゃんとやっているところがいいなって感じますね。機械的ではないんですよ。すごくヒューマンで人間味がある」
海外のレーベルを中心に多数のリリースを重ねており、デトロイト・ハウス~ビート・ダウンの影響が色濃く出たトラックに定評のあるプロデューサー/DJのKez YMは、「圧倒的に好きなDJ」にTheo Parrishを挙げている。彼が今のようなハウス・ディスコファンク主体のDJスタイルを確立したのは、Theoを通じてディスコ・リエディットやシカゴハウスを経験したことがきっかけだったという。「(Theo Parrishの2000年のアルバム)『Parallel Dimensions』が出た頃、当時渋谷にあったMuteki Recordsでアルバムを試聴している時に来日ポスターが目に入り、Yellowに見に行ったんですが、EQ使いが独特でどうやったらこんな音になるんだろうと思いました。選曲やEQ使いなど色々参考にしてます」
最初にTheo Parrishの音楽を知ったのは、90年代の後半、友達を経由してのことであったという。「その頃大好きだった60年代中期のコルトレーンやエレクトリック・マイルスに感じていた漆黒の雰囲気や濃密さみたいなものをなぜかTheoの曲にも共通して覚えたのと、サンプル主体のざらついた音、野太いキック、スカスカした執拗なループ、ジャズ的なコード感等の特徴が新鮮でハマっていきました」
Black Smoker RecordsやJazzy SportといったレーベルからリリースしたミックスCDが注目を集めているDJ Conomarkも、ブラック・ミュージックを軸に様々なサウンドを取り入れたプレイスタイルにTheo Parrishの影響が窺えるが、そのことについて聞くと本人は「どのように(影響を)受けたか分かりませんが、(Theoは) 大好きです」と答えた。
Theo Parrishと共演経験のある彼にTheoのDJプレイの印象について聞くと、彼は一言、「WILD」と形容した。「西麻布elevenで初共演しました。Theoは予定より一時間遅れで登場。僕がそれまで4時間DJして、そこからTheoが10時間。最後の1時間が衝撃的でした。ただひたすらに楽しかった事しか覚えていません(笑)」
2002年にリリースされた12"「Solitary Flight」でTheoの音楽と出会ったというConomarkは、優美で広大なこの曲をお気に入りに挙げる。「(Theoの音楽は)Theoがその時やりたい事、出したい音、そのままなんだろうなと思います」
名古屋のClub Magoにて開催される人気パーティーAudi.には、これまでTheo Parrishを始め、Moodymann、Andres、Malik Pittman、Larry Heard、Kai Alce、Glen Underground、Alton Miller、Kenny Dope、Madlibといった錚々たるアーティストがゲスト出演しているが、クラブの音響設備や出演するパーティーの雰囲気にこだわるTheoがもうかれこれ5回の出演を果たしている事実が、このパーティーの質の高さを物語っている。同イベントの主催者のひとりでありレジデントDJのJaguar Pは、Theoの音楽を初めてクラブ環境で聴いたときにTheo Parrishの虜になったのだと語る。「97年くらいに話題だったので(Theoの音楽を)買ってみたんですけどドープすぎてピンとこなくて。初めてフロアで爆音で聴いたとき、印象が全然違い、曲の凄さがやっとわかりました。そこからズブズブと」
Theo ParrishのDJプレイについてはこう語る。「(TheoのDJは)ミックステープでよく聴いていたんですけど、クラブでのプレイを初めて聴いたときは本当にぶっ飛ばされました。選曲は勿論、音の出し方、イコライジングも衝撃でした。よく聴いてた曲でも知らない曲でも、『なんだコレは』と思ってたら、自身の曲で後にリリースされたり、Malik Pittmanの曲だったり。ほんとジャンルもBPMも関係なしで、2015年のMagoでは、最後にオペラをかけてました」
デトロイトを拠点とするMoodymannことKenny Dixon Jr.主宰のレーベルKDJの5枚目の作品であった、1995年リリースの『Inspirations From A Small Black Church On The Eastside Of Detroit』というレコードの、初回プレス盤のB面に自身の曲「Lake Shore Drive」が収録されたことがデビューとなったTheo Parrishは、その後自身のインディペンデント・レーベルSound Signatureを設立し、独創的な作品を自分のペースでリリースしてきた。そのクオリティの高さと、限定生産のヴァイナル・リリースであることが多いことから、Theo Parrish作品は今や発売と共に店頭から消えることも珍しくないが、最初に日本に彼の作品が入ってきたときからそうであったわけではない。
「最初は自分たちのような一部のデトロイトマニア以外は見向きもしていなかった存在だったのは確かではないでしょうか」。そう語るのは、ディガー集団DISCOSSESSIONの一員であり、オンライン・レコードショップ、SUNLINE RECORDSを運営するDr.Nishimuraである。「当時の日本のハウス愛好家にとっての至高とはNY発祥の音であったのは間違いなく、クラブミュージックとしての洗練を遂げつつあったNY由来のハウスに比べて時代に逆行するような、明らかにラフな、マッドなプロダクションのKDJ、Theo Parrishの音楽は一聴されて"イロモノ"に分類されてしまったのではと思います」
DJ、そしてレコード・ショップのバイヤーとして長年日本のクラブ/ヴァイナル・カルチャーに貢献しており、ハウス・ミュージックのカタログ本『HOUSE definitive 1974-2014』の監修・執筆も行ったDr. Nishimuraこと西村公輝は、イタロ・ディスコやコズミックをいち早く日本に紹介したことでも一目置かれている存在だが、Theo ParrishやMoodymannを始めとする、いわゆる「デトロイトハウス」サウンドの日本における浸透に一翼を担った人物でもある。
90年代に赤坂にあった知る人ぞ知る伝説のレコード店、バロン・レコーズのバイヤーであった彼は、当時、ろくに説明もないまま無造作に置かれていたKDJのレコードと出会い、デトロイト・テクノとも、NYハウスとも違うその荒削りなダンス・ミュージックに光るものを感じたのだという。「渋谷にあったCISCO本店にてKDJの5番『Inspirations From A Small Black Church On The East Side Of Detroit』をレーベルデザインの雰囲気に惹かれて買ったことがMoodymann、およびTheo Parrishとの出会いでした。Theo Parrishの"Lake Shore Drive"の生々しくてディープな質感に一度で心を奪われました」
その後、バロンレコーズの他のスタッフにMoodymannとTheo Parrishの作品のことを伝えたことがきっかけで、KDJやSound Signatureの仕入れに注力することが決定したのだという。「デトロイトのディストリビューターである7th City、Record Time、あるいはNYのWattsを経由して作品を仕入れていましたが、全く謎めいていて連絡すらおぼつかなかったKDJとは違い、Sound Signature (というかTheo Parrish本人) へは容易に接触出来たので、その後は直接仕入れられるようになりました。目を付けたのは早かったと自負していますが、特にバロンレコーズがエクスクルーシヴとして契約して入荷させていたというわけではありませんでした。しかし、当時の他店にて継続的にこれらレーベルの作品が店頭に並んでいるということはなかったように思います」。バロンレコーズはその後、KDJやSound Signatureをどこよりも豊富に取り扱うレコード店としてマニアの間で知られるようになった。二見裕志は当時のバロンレコーズについて、「壁のレコードが全部Theo Parrishだったっていうのが衝撃だった」とインタビューで語っている。
当初はハウス勢力図の端に追いやられていた存在であったかもしれないTheo Parrishだが、アンダーグラウンド・ダンスミュージック・ファンを中心に人気を博していった。「自分のような当時のハウスシーンに洗練と同時に倦怠を感じていたようなリスナー/クラバーには発見され続け、着実に支持を増やしていきました」とDr. Nishimuraは思い出す。バロンレコーズの閉店後、CISCOのハウス店でバイヤーを勤めたDr. Nishimuraは、CISCOでもKDJ、Sound Signatureのレコードの仕入れには力を入れていたという。「バロンレコーズの頃に比べてMoodymann、Theo Parrishの知名度も上がって、レコードも仕入れれば仕入れるだけ売れるようになりました。それまでよりもハウス音楽の愛好家、およびDJの指向がオープンマインドになったと思いましたし、新たな世代のハウス音楽のリスナーも増えていると実感しました。Theoに関しては幾度の来日で披露した圧倒的なDJプレイも人気に拍車を掛けたでしょうね」
Theo Parrishが始めて来日したのは1999年のこと。初来日を実現させたのはバロンレコーズであった。「バロンレコーズがディストリビュート専門の営業形態から発展して、赤坂に実店舗をオープンして二年ほど経っていたんですが、まだ企画イベントを行っておらず、新たな顧客獲得も目論んで、海外からDJを呼んでイベントをやるという話が持ち上がりました。そこでTheo本人から仕入れていたミックステープで聞けるDJとしてのスキルにも抜群のセンスを感じていた自分は、一も二もなくTheo Parrishを候補として挙げましたが、スタッフ全員も同じ思いでした」と、Dr. Nishimuraは語る。
「そこでTheo本人にオファーをしたところ、実は他の日本人からもオファーを貰っていると打ち明けられました。それが現AHB Productionの萩原君でした。そこで萩原君との協議の結果、共同主催という形で来日実現を進めました。恵比寿にあったLustはキャパ300~400といった小~中箱で、なかなか絶妙のサイズ感の良いヴェニューでした。自分は知り合いに宣伝していたぐらいのものでしたが、ふたを開けてみれば満員の集客で、Theoのプレイも『これが聞きたかったんだよ!』と思える本当に素晴らしい内容でした」
「MoodymannにしろTheoにしろ、彼らの作品は当時の多くのハウスのリリースに比べると質感が荒い、テンポが遅いといったのが特徴で聴く分には非常に刺激的でしたが、いざDJする時にミックスするのは難しいと感じていました。しかし自身のトラックと過去のソウル、ファンク、ディスコとを見事にミックスするTheoのミックステープを聞いて、なるほどこうやって使うのか、と目から鱗でした」
「Lustで初めて聴けたTheoのDJは期待を裏切らない最高のものでした」とDr. Nishimuraは続ける。「あれほどハウス以前の音楽と新譜を、過去から現在への道程を説得力抜群のミックスで示したのは同世代のDJではTheoが初めてでした。あのクールな瀧見憲司さんもガン踊りしていたのが印象的でよく憶えています」
Dr. Nishimuraは、DJとしてのTheo Parrishの魅力をこうまとめる。「過去から現在へ至る音楽の歴史の幾つかの側面をアフロアメリカンとしての立場から考証しているような、エンターテイメント性と時に狂気的とも思える実験性が同居しているのが魅力的です。彼のプレイを聴いてから、ネットで先人Ron Hardyのミックスを発見して聴きましたが、冒険的で躍動感に満ちたスタイルには共通性を見出すことが出来ました」
今年でSound Signatureは20周年を迎えているが、その期間Theo Parrishは幾度となく衝撃を与えてきた。リリースを重ねるごとに、そしてDJブースに立つごとに、人々を驚かせ、感化を与え、身体と心を動かしてきた。最高な音楽を最高な形で届けるため、頑固なまでにヴァイナルにこだわり、音の鳴りに細心の注意を払い、大胆なイコライジングで楽曲のポテンシャルを最大限に引き出し、客の反応を見ながらも媚びを売ることはせず、トレンドに左右されずに、ただひたすら自分が心の底から信じているレコードに針を落としてきた。そして長年愛用してきたMPCを活用したり、信頼するミュージシャンたちに力を借りながら、商業主義的な音楽産業とは一線を画した、魂を込めた音楽彫刻を生み続けてきた。
Theo Parrishがこれまでシーンに与えてきた影響について、Dr. Nishimuraはこう語る。「Theo周辺のデトロイトの3 Chairs人脈はもちろん、オランダやUKの海外勢で音楽的に明らかに影響を受けている作品が数多く出て来て刺激的でした。特に活動当初からデトロイトテクノ・フォロワーとして傑作をリリースしてきたJochem Peteri (Ross 154) が、Newworldaquarium名義でスローモーで極端にアブストラクトなビートダウンに音楽性の舵を切った時は、我が意を得たり、と納得でした。DJスタイルとしても自分もそうですが、スローダウンしたピッチを恐れずに新旧音源を自由にミックスするDJが増えたと思いますし、ソウル~ディスコ文脈でのアフロアメリカンの知られざる優れたDJ達 (Rahaan、Sadar Baharなど) の発掘評価に繋がっているのは確かだと思います」
今年、夏にニューヨークで行われた巨大フェスPanoramaでは、Frank Ocean、Solange、A Tribe Called Questといったポピュラー・アクトと同じフライヤーにTheo ParrishやOmar-S、Marcellus Pittman、Jay Danielらデトロイトのダンスミュージック・アーティストの名前があったことが話題になり、New York Times紙でも取り上げられた。そして今年の年末にヨハネスブルグで開催される人気ブラック・ミュージック・フェスAFROPUNKのラインナップにもTheoの名前があるが、こういったことは少し前では考えられなかったことだ。Drakeがアルバム『More Life』収録の"Passionfruit"にてMoodymannの声をサンプリングするなど、メジャー・シーンがアンダーグラウンドに歩み寄っている印象のある昨今、Theo Parrishは今後も、これまでにない規模で、新世代の音楽ラバーたちに衝撃を与え続けるのは間違いないだろう。
「(Theoの)DJプレイには、皆かなり衝撃を受けたんじゃないでしょうか」とDJ KENSEIは言う。「ハウスとかヒップホップとか、けっこうセオリーができあがってフォーマット化してしまっていたときに、そういうのを一回ぶち壊した気がします。TheoはDJがあまり上手くないんじゃないかって言う人もいたんですけど、僕はかなりインテリで知識のあるミックスをすると感じました。自由にやってるけど、かなり考えてやってる気がした。かつ、エモーショナルな感じもあって。自分のルーツの音楽、ほんとに好きな音楽をかけてるんだなって感じます」
「個人的には未だに毎回DJも作品も衝撃受けるし、常に進化していってますよね」と、Jaguar Pは語る。「色々なところから音楽に対する姿勢だったり想いみたいなのが伝わってくるし。自分の信じていることを貫く、DJプレイだと好きな曲をおもいっきりかける、みたいな精神面でも影響を受けてます」
DJ Conomarkは、Theo Parrishがクラブミュージック界、音楽界全体に「拡がり」を与えたと感じている。「自分のDJに、興奮と創造の繋がりをもらいました」
Theo ParrishのDJプレイを目撃するとはどういうことなのか、Kez YMはこう表現する。「DJという職業が提供し得る音楽体験としては最高峰の一つだと思います。いつも次に鳴る音が気になってなかなかフロアを離れられません。ずっと同じようなことやってるはずなんですが、だいたい毎回圧倒されてます」
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