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今のフジを体現した「27時間テレビ」の“そこそこ感”とは?

(c)カトリーヌあやこ

(c)カトリーヌあやこ

 そこそこ豪華に、そこそこ笑いも組み込み、そこそこ薀蓄(うんちく)が披露される。この27時間にわたる「そこそこ感」が、まさに現在のフジテレビ。絶対に大きくはずしたくない、そこそこ数字を取りたいから!という姿勢がひしひしと伝わる。

 そんな「そこそこ」を見ていてわかったことがひとつ。これ、やっぱり生放送じゃないとダメなんだって。長時間番組の醍醐味、それは出演者が刻々とやつれていく姿を見ること。勝手に27時間寝ないで憔悴してるだけなのに、なぜか達成感にあふれるフィナーレの顔、顔、顔。

 ただマラソン走ってるだけで感動にすり替えるのが24時間テレビなら、ひたすらドタバタをやり切って果てるのが27時間テレビじゃなかったか。

 今年のフィナーレなんてスッキリした顔の村上が、まるでレギュラー番組の最後のように「今回はこのへんでお別れです。さよなら!」って。「また来週!」て言うかと思ったわ。

 唯一かつての27時間ノリを放ってたのは、たけし演じる火薬田ドンの爆発コーナーだ。その「やりすぎ」感が往年のフジテレビの懐かしい香り。来年からはドンさんコーナーだけ流せばいいんじゃないか。27時間もやらずに、30分で。

週刊朝日 2017年9月29日号


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