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永遠の21歳

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月22日(金)13時43分36秒
・・大紀元の記事より・・

<抜粋貼り付け開始>

収容所で薬物注射、暴行、精神喪失…エリート学生が非業の死を遂げるまで

・・・・

収監中、筆舌に尽くしがたい虐待を受けていたことは、出所後の彼女の言動から察しがつく。

親戚や地域の法輪功学習者が身の回りの世話を行っており、

彼女の周囲に起きた出来事について明慧ネットに報告していた。



2005年の冬。

ガラスのない窓から北風が吹きつける粗末な小屋に、無表情で、オンドルに腰かける志梅さん。

尿で濡れた布団。自らの便を塗った壁。部屋に充満する異臭も分からないようで、

ただぶつぶつ、彼女は独り言をつぶやいていた。

精神喪失状態の志梅さんは、時折、表情をこわばらせ、外に向けて何かを押し出す姿勢をとった。

部屋に人が立ち入ると、部屋の隅に移動して、手で胸を保護した。

親戚の女性が志梅さんを着替えさせるとき、うっかり胸に触れた。

突然思い出したかのように、親戚の手を自分の乳房の上に押しつけ、乱暴に扱れた様子を述べた。

「彼らは私をこのように殴ったのよ。このように、このように。私はとても痛かったの…」

志梅さんの臀部から足首までは濃い紫色で覆われていた。足幅を広げた通常の歩行はできなかった。

生理は3~5日間と頻繁にきて、服が真っ赤に染まった。

永遠の21歳

志梅さんは、年齢を聞かれると真面目に「21歳」と答えた。

清華大学での学園生活を謳歌し、学業に勤しんでいたときだった。

彼女の時間と記憶は、当時のまま静止しているようだった。

http://www.epochtimes.jp/2017/09/28422.html

<貼り付け終わり>

昨日のシナモンゴー様の代理投稿であった、神聖であるべきはずの我が教団・・

そこに、多くの鬼畜のような者が跋扈していることがわかった・・

二つの暴力で精神を破壊、他人救済ではなく人間破壊、断じて許してはならない・・
 

ユダヤ人の子供たちを救出したポーランドの女性

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月22日(金)13時01分30秒 編集済
・・庶民の中に真の英雄・・

出典:http://www.epochtimes.jp/2017/09/28343.html

1940年、外交官として数千人のユダヤ人に「命のビザ」を発給し、彼らを迫害から救出した杉原千畝。

ポーランドにも、命の危険を冒しながらユダヤ人の子供たちを救った女性がいる。

ポーランドにドイツ軍が進駐し、ワルシャワにユダヤ人ゲットー(強制居住区)が設置された頃、

ポーランド人のイレーナ・センドラーさん(Irena Sendler)は、看護士として働いていた。

彼女はクリスチャンだったが、ユダヤ人が迫害されていることに憤りを感じていた。

彼女はユダヤ人救済のための地下組織ジェゴタ(Zegota)に加わり、

ユダヤ人の子供たちを救出することに乗りだした。

センドラーさんが行った救出作戦は、命がけだった。

ゲットーに収容されている子供たちに病気にかかったふりをさせ、次々と病院へ連れ出したのだ。

監視の目が厳しくなると、彼女は子供たちを棺桶やスーツケース、ゴミ袋などに隠し、

こっそりと彼らをゲットーから救出した。

迫害が終わった時に家族と再会できるように、彼女はひとりひとりの子供の名前をリストに残していた。

活動が発覚して逮捕されるまで、彼女は2500人以上の子供を救ったのである。

中略

センドラーさんの勇敢な行動の原動力は、何だったのか。

スウェーデンの日刊紙 Sydsvenskanに語ったところによると、

彼女は父親から、「人が溺れているのを見かけたら、たとえ泳げなくても、

その人を救出する努力をするべきだ」と教えられていたという。

彼女にとって、当時溺れかけていたのはユダヤ人だけでなく、ポーランドという国そのものだった。

「宗教や国籍に関係なく、溺れている人を見たら助けなければならない。そう言われて育ちました」

とセンドラーさんは話している。

<貼り付け終わり>

今、第六天の魔王によって溺れかかっているのはメンバーだけではなく、創価学会そのもの・・
 

長谷川幸洋

 投稿者:tso
 投稿日:2017年 9月22日(金)12時54分33秒
私の予測が的中した理由
安倍晋三首相が衆院解散・総選挙の意向を固めた。野党や左派系マスコミは「森友、加計疑惑隠しだ」「解散の大義がない」などと一斉に反発している。本音は「敗色濃厚の選挙はしたくない」だろう。受けて立つ気概はないのか。
私は先週のコラムで、9月臨時国会での冒頭解散を予想した(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52905)。末尾で首相の決断について「いまは『いずれ、なんらかの展開があったときに分かる』としか申し上げられないのが、実に残念」と書いたら、直後に解散報道が相次いだ。自分で言うのもなんだが、まさに申し分のない展開である(笑)。
なぜ予想できたかといえば、秘密はべつに何もない。自分の読みだ。首相や官房長官に取材しようと思えばできなくはないが、恥ずかしくて「解散するんですか」などとはとても聞けない。「バカな質問するなよ」と苦笑いされるのがオチだからだ。
なんでも直撃質問すればいいと思っている厚顔無恥の女性記者が話題になっているが、彼女はただの「おバカ」か「ピエロ」だ。ときには直撃も大事だが、客観情勢から「こうなる」と分析するのも記者の仕事である。私は主に後者を仕事のスタイルにしている。
先週のコラムで書いたように、各マスコミの世論調査で内閣支持率が急回復した半面、野党への期待は冷え切っていた。民進党は山尾志桜里議員の不倫スキャンダルが尾を引く一方、離党の動きが止まらない。小池百合子東京都知事の新党構想も進んでいない。
となれば、総理が解散したくなるのは当然である。そこを書いただけだ。日本のジャーナリズムには、なぜか私のようなスタイルの記者が少ない。というか、ほとんどいない。読者には、ぜひ今後ともご愛読をお願いする(笑)。
さて宣伝はこれくらいにして(笑)、本題に移ろう。
衆院解散に大義は必要なのか。私は、とってつけたような大義名分は必要ないと思っている。なぜかといえば、衆院解散とは本質的に与野党の権力闘争であるからだ。
政権与党はこれこれの国家戦略と理念、政策を掲げて国民に信を問う。それに対して、野党も野党なりの国家戦略と理念、政策を掲げて戦う。国民はそれを見たり聞いたりして、どちらに国の行く末を任せるのに適当か、判断を下す。それが総選挙だ。
これほど分かりやすい選挙もない
安倍政権と野党の政治路線はあきらかに違う。安倍政権の経済政策は成長重視だ。それに対して野党は格差是正、言い換えれば分配重視である。安倍政権の外交安全保障政策は日米同盟を基軸にして中国や北朝鮮の脅威に対抗するのが基本である。
それに対して民進党は日米同盟重視と言いながら、一昨年の安保関連法見直しに強く反対し、いまの前原誠司代表も政権をとれば廃止・見直しを公言している。共産党はもっと極端で、日米安保条約そのものの廃棄や自衛隊の解消を掲げている。
加えて最近の野党はといえば、北朝鮮情勢の緊迫化などほったらかしで、ひたすら森友学園や加計学園問題で政権追及に精力を投入した。国会はモリカケ問題に多くの時間を費やしたが、結局「総理の関与」を示す証拠は出てこなかった。
それどころか、加戸守行・元愛媛県知事が国会で「加計学園を招いたのは私」と決定的証言をしたにもかかわらず、NHKを含めて左派系マスコミは加戸証言を無視してほとんど報じなかった。「偏向報道も極まれり」である。かくのごとく安倍政権と野党(加えて左派系マスコミ)の対立は深まっている。
そうであれば、なおのこと、安倍政権と野党勢力のどちらが国の将来を担うのにふさわしいか、日本の平和と安全、繁栄が脅かされている戦後最大の重大局面で、解散・総選挙は国民の声を聞く最善の機会になる。それこそが「解散の大義」にほかならない。
もしも安倍政権が間違っていると国民が判断するなら、早めに軌道修正したほうがいいに決まっている。逆に、政権があらためて国民の信頼を得るなら、いっそう強力に安倍路線を推進できる。
国民の目から見ても、今回の総選挙は分かりやすい。多くの人々は安倍政権と野党勢力(加えて左派系マスコミ)との対立構図を十分承知している。私たちはどっちがいいか、選ぶだけだ。これほど分かりやすい選択はめったにない。
「分かりやすさ」は民主主義にとっていいことだ。「どう選んでいいか分からない」「どちらを選んでも一緒」というような状況だと、何が起きるか。政治がつまらなくなって無関心層が増え、結局、社会が停滞する。
北朝鮮情勢が緊迫する中、日米同盟弱体化につながる安保法制廃止を唱える民進党に政治を委ねるべきか。あるいは同盟廃棄や自衛隊解消を唱える共産党に期待すべきか。これだけ路線が明確に違えば、有権者は判断しやすい。
「解散するな」と言う人々の自己矛盾
テレビの報道番組を見ていたら「大義なき解散」という批判では言い足りないと思ったのか、あるコメンテーターは「衆院解散は国民に対する背信行為」とまで述べた。重大局面で国民の声を聞くのが、なぜ国民への背信になるのか、私はさっぱり理解できない。
モリカケ問題で説明が足りないまま解散するからか。それは、当の番組を含めた左派系マスコミの問題である。安倍政権は国会で説明を尽くした。左派系マスコミが政府や加戸・元愛媛県知事の言い分をしっかり伝えなかっただけだ。
先のコメンテーターは解散を背信行為と批判した。つまり、彼は政権を批判する一方で「解散するな」、すなわち「このまま安倍政権を続けよ」と言っている。
なぜ、そんな自己矛盾が起きるのか。選挙の結果次第で「もしかしたら安倍政権が終わるかもしれない」などとは夢にも思っていないからだ。それがホンネである。つまり「野党が負けそうな選挙だからやってほしくない」と思っているのだ。
そう正直に言ってしまったら、ミもフタもないから「タイギ、タイギ」と言っている。もっともらしい話をしながら、実は権力闘争に負けるのを恐れている。殴り合いのケンカに負けそうだから、土壇場できれいごとを唱える気弱な子供のようではないか。
こういうところに、何かと言えば格好をつけたがる左派の情けなさがにじみ出ている。政権に解散の大義を求める前に、自らチャンスと受け止め、左派の大義を掲げて戦いに立つべきではないか。それとも、もう左派の大義を掲げる勇気はないのか。
権力をめぐる戦いは勝つか負けるか、生きるか死ぬかである。安倍政権は勝負に出た。野党も性根を据えて戦いに臨むべきだ。いまさら泣き言を言っている場合ではない。
 

我々は、幻影を見せられているのではないか?

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 9月22日(金)12時51分30秒
今日の公明新聞、一面にデカデカと第一次公認候補を発表。何たる厚かましさかと、腹が立つ。

三面の顔写真を見ると、落としたい議員達のオンパレード。ああ、あの時信じられないほど馬鹿な事を言っていたアイツだ!と、当時の怒りがまだ鮮明によみがえる。

平和主義者である我々学会員が、何故こんな反平和主義達を応援しなければならないのだ。
今の公明党は間違いなく下駄の雪。国会議員生活をエンジョイしたいが為に、宗教的信念を捨てた者達だ。

佐渡流罪の後、他宗の批判さえやめてもらえれば、大寺院でも寄進致しましょう、という幕府の申し出を蹴って、身延に入られた大聖人とは似ても似つかない者達だ。

安保法案を受け入れたあの時点で、公明党の堕落は決定した。
安保法案は神札そのものだったのだ。当時、池田先生からの警告のメッセージが何度もあったのに、それを宗門に対する批判だと曲解し続けた時点で、もう終わっているのだ。


公明新聞のみならず、聖教新聞の方はあいも変わらずの、口だけ反核アピール。

本気で反核したいなら、何とでも出来るだろう。
公明党など学会の支持が無ければ、瞬間的に消えて無くなる政党だ。

今回の選挙は自由投票にしますと言うだけで、十分な効果があるはずだ。
それなら政教一致にもならないだろう。どの政党を支持するかしないかなど、宗教団体の自由だ。

池田先生が強く勧める核兵器禁止条約。
大っぴらに否定すると、さすがに学会員もおかしいと気がつく。
だから口だけ賛成して、実際には真逆の事をしているのが、現在の原田執行部だ。


池田先生と奥様が神奈川文化を訪問されたそうだが、前にも言ったように、もっと誰が見ても納得出来るように報道したらどうだ。
何故写真が載らないのだ。

何か載せられない理由があるのなら、そこをはっきりさせるべきだろう。

私はS54年をリアルタイムで経験しているが、当時の状況とあまりにもそっくりすぎるのだ。
当時も写真は出なかった。写真どころか、連載中の人間革命さえ代筆ではないか、という噂があり、末端の私の耳にさえ届いていた。

池田先生を、選挙に勝ちたいが為に、裏切り者達が利用しているだけではないのか?
本当に行かれたかどうかを疑う見方があるのなら、疑う余地が無くなるような写真を示せばいいだけの話ではないか。何故そんな事さえ出来ないのだ。

今のような形の報道では、私の疑いは消えない。



 

あなたがここにいてほしい

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月22日(金)09時10分53秒
元職員のブログが更新されています。
『関西・大阪座談会報告(上)』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-130.html
>Aさんの胸には、あの「君が世界を変えていく」の“反対せず、行動せず、沈黙することは、消極的な支持である”の一文が心の支えになっていた<

→これと似た印象のある米ドラマ『アンダー・ザ・ドーム』シーズン1#12ではこんな格言がありました。
「悪が栄えるために必要なのは一つ。善人が何もしないことである」

>「題目はあげてる?」と聞くと、「毎日唱えているよ。題目をあげると心が落ち着き、ぐっすり眠れ、元気になるんだよ」と話されたという<

→池田先生はよく「おとぎ話のように聞こえるかも知れないが、妙法は実在する宇宙・生命の法則である」といったことを言われていました。
実際「おとぎ話」のように思っている人が多いのでしょう。が、仏法は気休めや慰めではありません。事実の上で生命が変革し「蘇生」していくのです。

このことを、仏法が本物であることを科学的に証明して書き表された『日蓮仏法3.0』シリーズ(仮称)日本語版の準備を2.0さんが進めて下さっています。年内完成の目標だそうです。期待はかけてもプレッシャーはかけませんように。

P.S.mission様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74476
実は『池田会長講演集 第三巻』をJACKさんが文字起こしして下さったものがあります。
JACKさん、すみません。探す手間を省いてしまいました。
宿坊の過去ログを探す作業が楽ではありません。何かいい方法があるのでしょうか。すみません。お許し下さい。
でも、同書の持つ意味は大きいですよね。(特に<創価学会の体質問題>。池田先生はこの業病と一人、長く闘って来られたのですね。これは宗教全般に共通する悪業なのでしょう。この宿命転換を弟子が出来るかどうか、ですね)私も宿坊でどなたかに教わって急いでアマゾンで買いました。今は売り切れで買えないようです。

ダメよ~さん、貴重な文証をありがとうございます。こうしてシェアして未来に残すことの意味は大きいと思います。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74467
http://6027.teacup.com/situation/bbs/74470

“じゃあちゃんとわかってるんだよな そこが天国なのかそれとも地獄なのか”
“今のその生活が,青空なのか,それともただの苦痛なのか”
“緑の草地が 冷たい鋼鉄のレイルが区別できるのか?”
“笑顔が本物なのか,それともただの見せかけなのかも ちゃんとわかってると思うのか?”
“ヤツらと取引させられたのか?”
“お前の憧れの人生を抜け殻の人生と 燃える灰を木と 暑い空気を冷たいそよ風と”
“ちっとも嬉しくない慰めと引き換えに お前は交換してしまったのか”
“自由への戦いでの端役と 冷たい檻のなかでの主役とを”
“お互いただの迷える魂じゃないか 自分の金魚鉢のなかで,ずっと泳ぎ続けてる”
“同じことの繰り返しだ 結局,何が残った? 昔と同じような不安を感じただけ”
『あなたがここにいてほしい』ピンクフロイド
https://www.youtube.com/watch?v=OKxTus2MoUU

『凡夫即身成仏論』オンデマンド (ペーパーバック) ? 2017/5/17 松戸行雄 (著)
「人間主義の日蓮本仏論」への進化・深化   絶賛発売中!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/72980
 

殿、ご乱心

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 9月22日(金)08時56分57秒 編集済
YouTube動画サムネイル>>この動画を再生する

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創価学会は池田先生の幸の城、広布の城。
みんなで護っていかなければいけないのだけれど
どうやら、天守閣に現在いる殿様とお仲間がご乱心。
こんなとき、昔のお侍さんたちはどうしたのか
ウェブで調べていたら気になる以下の記事を発見しました。

「殿、ご乱心」。そのとき、あなたは……
http://toyokeizai.net/articles/-/29127

城を護るために一度城の外に出て仲間とともに
城を取りもどすのもよし、城の内側からチャンスを
待って、城の外の仲間と協力して戦うのもよし、
そんな考えが頭に浮かんできました。
梁山泊の革命の戦いがはじまっているのです!

私はこの全世界、全宇宙こそが
池田先生の幸の城なんだと思えてきました。
そう考えて紅の歌を聴いてみると・・・。

http://www.sokanet.jp/kaiin/songs/kurenainouta.html


”世界中の老いたる父母の
築きたる 広布の城をいざ
護り抜け 眩き地平に
澎湃(ほうはい)と 若き翼よ 爽やかに”
絶対に広布の城を護るのです!
みんないくつになっても青年部だからです!

池田先生のコメントから
”老いたる母の築きたる 広布の城をいざ護り抜け』
これだよ!創価学会は、名も無き母たちが、世間の非難中
傷を受けながら、必死に築いてきた。その城を護るのが、
青年の使命ではないか!”
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http://imagine-happy-life.tokyo/

 

 「信」の法性は清浄の都にこそ立つ!

 投稿者:螺髪
 投稿日:2017年 9月22日(金)08時27分50秒
 私が手放せないでいる言葉に、すでにあげました「信じる心」と「七字五字の南無妙法蓮華経」に加え、「清浄」があります。御書には、「清浄」の言葉が頻繁に登場してきます。その「清浄」をどう紐解くかだと思っています。単に盲目の信心を促すものなのでしょうか。そうではありますまい。以下、そのいくつかを列記してみました。
 【ご参考】
 「人法一箇の南無妙法蓮華経」
 http://6027.teacup.com/situation/bbs/59884
 「己心の妙法蓮華経」
 http://sgi-shiteifuni.com/?p=11826

 「起世経に云く『諸の衆生有りて放逸を為し 清浄の行を汚す 故に天・雨を下さず』又云く『不如法あり 慳貪・嫉妬・邪見・顚倒なる故に天則ち雨を下さず』又経律異相に云く『五事有て雨無し 一二三之を略す 四には雨師婬乱 五には国王理をもつて治めず 雨師瞋る故に雨ふらず』云云」(下山御消息350㌻)
 (※起世経<きせきょう>=闍那崛多<じゃなくった>らの訳=長阿含経の異訳で世界の起源や生い立ちの因縁を説いている、経律異相<きょうりついそう>=中国・梁時代の編集=経、律などの異なった概念を整理集録)

 「六根清浄の人は瑠璃明鏡の如く三千世界を見ると云う経文なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり 別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり、所詮瑠璃と明鏡との二の譬を説かれたり 身根清浄の下なり、色心不二なれば何れも清浄の徳分なり」(御義口伝763㌻)
 (※瑠璃<るり>=青色の宝珠、緑柱石、七宝のひとつ)

 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心共に清浄なり、身浄は法師功徳品に云く『若持法華経 其身甚清浄』の文なり、心浄とは提婆品に云く『浄心信敬』と云云、浄とは法華経の信心なり不浄とは謗法なり云云」(御義口伝765㌻)

 「大白牛車とは『無明癡惑本是法性』の明闇一体の義なり、即ち三千具足の一乗をかかげたる車なれば明闇一体にして三千具足の義を顕すなり、法界に徧満(※遍満)したれども一法なるを一乗と云うなり、此の一乗とは諸乗具足の一乗なり 諸法具足の一法なり 故に一の白牛なり、又白牛は一なりといえども無量の白牛なり 一切衆生の体 大白牛車なるが故なり、然らば妙法の大白牛車に妙法の十界三千の衆生乗じたり 蓮華の大白牛車なれば十界三千の衆生も蓮華にして清浄なり 南無妙法蓮華経の法体此くの如し」(御義口伝795㌻)

 「妙法の薬草なれば十界三千の毒草・蓮華の薬草なれば本来清浄なり、清浄なれば仏なり 此の仏の説法とは南無妙法蓮華経なり云云、されば此の品には種相体性の種の字に種類種・相対種の二の開会之れ有り、相対種とは三毒即三徳なり 種類種とは始の種の字は十界三千なり、類とは互具なり下の種の字は南無妙法蓮華経なり種類種なり、十界三千の草木各各なれども只南無妙法蓮華経の一種なり、毒草の毒もなきなり清浄の草木にして薬草なり云云」(御義口伝795㌻)

 ここにあげた御文では、不浄のゆえに雨を降らせない。六根清浄は瑠璃のような明鏡である、清浄には身と心の清浄がある、妙法蓮華の大白牛車だから清浄である、蓮華の薬草だから「三毒即三徳」となり本来清浄である、が明らかになります。すべて「清浄」です。その根本の「清浄」とは、無濁、無垢、元々の、つまり「久遠元初」ということにならないでしょうか。

 またこんな御文もあります。
 「出家の二衆は多く道を修し 禅を得て謬(あやまっ)て聖果と謂い 偏(ひとえ)に上慢を起す」(御義口伝718㌻)。
 (※二衆=比丘比丘尼)

 「禅」と「聖果(しょうか)」とでは大きな違いがあるというのです。「聖果(しょうか)」の「聖」は、「耳」の「口」(つまり穴)の「王」で、よく聞こえる、神の声をよく聞き得る人のことを「聖人」といったとされます。菩提、涅槃は「悟り」です。ちなみに、「聖教」は「聖人」の「教え」だそうです。いまも通用しますかね(笑い)。

 圧巻は、始聞仏乗義で明かされる“相対種”の「清浄」です。

 「法華経の迹門の中・供養舎利已下二十余行の法門も大体就類種の開会なり、問う其の相対種の心如何、答う止観に云く『云何なるか聞円法なる生死即法身・煩悩即般若・結業即解脱なりと聞くなり三の名有りと雖も而も三の体無し是れ一体なりと雖も而も三の名を立つ 是の三即(すなわ)ち一相にして其れ実に異有ること無し、法身究竟すれば般若も解脱も亦究竟なり 般若清浄なれば余亦清浄なり 解脱自在なれば余亦自在なり 一切の法を聞くこと亦是の如し 皆仏法を具して減少する所無し 是を聞円と名く』等云云、此の釈は即ち相対種の手本なり其の意如何、答う生死とは我等が苦果の依身なり 所謂五陰・十二入・十八界なり 煩悩とは見思・塵沙・無明の三惑なり 結業とは五逆・十悪・四重(※禁)等なり、法身とは法身如来・般若とは報身如来・解脱とは応身如来なり 我等衆生無始曠劫より已来此の三道を具足し今法華経に値つて三道即三徳となるなり」(始聞仏乗義983㌻)
 (※開会=開顕会融<かいけんえにゅう>の義、人法がある。就類種<=種類種>=善の因は善、悪の因は悪と類別に見る、相対種=善も悪も一体にしてそのまま善と開く法門、十二入・十八界=眼・耳・鼻・舌・身・意の六根(感覚器官)に色・声・香・味・触・法の六境(対象事象)を合わせたものが十二入、さらに眼・耳・鼻・舌・身・意の六識(認知)を加えて十八界という)。

 法華経本門の“相対種”の知見から見れば、「法身究竟すれば般若も解脱も亦究竟なり 般若清浄なれば余亦清浄なり」です。生死の苦しみも、煩悩の束縛も、結業という宿業も、一切が「清浄」に転じるということになります。「無明癡惑 本是法性」と同じといえます。鍵を握るのが本抄最後尾に示される(法華経を)「信ぜば」です。

 そのうえで、次の御文を拝すると、また、異なった視野が広がってきます。有名な御文です。
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(日女御前御返事1224㌻)

 まったくの私論です。「九識心王真如の都」の「都」とは「清浄の都」と拝せないでしょうか。「の」は、同格ではなく、所有の「の」とすることができます。あるいは区別のある「同時」です。「心王」は「法性」です。その「法性」の住処が「清浄の都」ということになります。「仏性とは法性なり」(聖愚問答抄498㌻)ですから、「九識心王」の「法性」は「胸中の肉団」の、さらに「清浄」の「真如の都」にあるということになります。「清浄の都」が重要な位置付けになります。だからこそ、「信」です。

 人間の身体が、「口」から「肛門」至る体内にある“外”を度外視すれば、いわば“無菌”の「清浄」であることは明らかです。本来、生命は、十界同時の成仏の「清浄」で生かされています。その典型が、「白牛は一なりといえども無量の白牛なり 一切衆生の体 大白牛車なるが故なり」の御文と拝せます。印度では、「白牛」が貴重な動物として重宝されていると言いますから、「大白牛車」は法華経です。「生命」です。

 どうやら、根本清浄のこの宇宙生命の顕現には「清浄」が不可欠で、その「清浄」を護る「金剛不壊」が、五濁(劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁)が遍満のこの娑婆では必須ということになります。それは「清浄」の“島”とも言えます。「清浄」とは“師匠”、「金剛不壊」とは“弟子”とも開けます。「個」にあっても「全体」にあっても、また「個人」にあっても「組織」にあっても、それは同じです。いわば“同時”です。

 では、「金剛不壊」であるためにどうするのか。これは“鍛える”よりないのでないでしょうか。“智慧”を創造するよりないのでしょう。そもそも、十界各別も、依報に応じて「清浄」が紡(つむ)ぎ出した“智慧”にほかなりません。助言や参考例はあるにせよ、その“原動力”ともなる「清浄」を次から次と汲みだして、はかならぬ、その「清浄」によって自身で造り出したものなのでしょう。智者が、すべて偉業は感恩の情とともにある(趣旨)、と言ったように、「信」という法性は、きっと、「清浄」の都にこそ立つに違いありません……。


 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、国連本部での核兵器禁止条約の署名式、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 9月22日(金)08時01分40秒
おはようございます。原田怪鳥様、国連本部で核兵器禁止条約の署名式が行われ、同日中に50か国が署名、誠におめでとうございま~す(笑)

ところでぇ~、原田怪鳥様、この署名の中で、日本は署名したのでしょうかぁ~?(笑)

SGI代表が参加されたとのコトですが、原田怪鳥様はじめ、日本の執行部の大患部サマは、誰が御参加されたのデスかぁ~?(笑)

核兵器禁止を訴えるワリには、行動が伴わない、ホントに不思議な団体デスねぇ~、選挙でそれどころじゃなかったんですかぁ~(爆)


あわせまして、池田先生ご夫妻が、神奈川文化会館を訪問されたとのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

原田怪鳥様、写真はないんデスかぁ~? どなたと御一緒だったんデスかぁ~? 会員と懇談されたり、写真を一緒に撮られなかったんデスかぁ~?

また、池田先生が鶴見区の神奈川池田記念講堂を望まれたのが21日、同講堂で、勇躍船出の集いとやらが行われたのが、20日、???

原田怪鳥様、日にちがズレてマスねぇ~、会員と師匠が接触するのが怖いんデスかぁ~?(笑)


もう一つありまぁ~す、「立正安国の歴史的闘争へ勇躍船出する大会」っていったい何のコトデスかぁ~?

「心を一つに合わせた電光石化の快進撃」「今まで生きてありつるは此の事にあはん為なりけり(御書P1451)」

勇ましいコトバが並んでマスけどぉ~、どう考えても、「選挙対策」デスよねぇ~(爆)

選挙で勝つコトが「立正安国の歴史的闘争」デスかぁ~? 原田怪鳥様はもしかして、「国立戒壇」を目指してるんデスかぁ~(大爆)

「心を一つに合わせて」って、もしかして、「異体同心」のコトを言ってるんデスかぁ~?

だとしたら、自民も民進も共産も、全員「異体同心」ってコトになりませんかぁ~(笑)

「今まで生きてありつるは此の事にあはん為なりけり(御書P1451)」って、「選挙」のたんびに、

「此の事」がやってくるんじゃあ、身が持ちましぇ~ん(爆)


そして、なによりも、「正義の神奈川よ勇み立て」と威勢はイイんデスけどぉ~、原田怪鳥様はどうして御参加されてないんデスかぁ~(笑)

核兵器禁止条約の署名式に御参加されてたのなら納得デスが、御名前もありませんよぉ~(笑)

他人にさんざ煽らせて、自らは「4号・5号」のトコロへ雲隠れデスかぁ~(笑)

谷川主任伏怪鳥様も、ゲームばかりされずに、少しは会員の前に姿を現したらいかがデスかぁ~(笑)


「声仏事を為す(御書708)」なんデスからぁ~、原田怪鳥様、谷川主任伏怪鳥様が、どんな声を挙げるのか?

ゼヒとも「仏事を為す」ていただきマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)



 

二十一世紀への対話 152

 投稿者:まなこ
 投稿日:2017年 9月22日(金)07時52分23秒
【池田】 さきほどもちょっとふれましたが、私は、あらゆる人間生命は、個々の存在であるとともに、その生命の奥深いところで宇宙生命ともいうべき実在に合一している、と考えます。博士がいわれる“宇宙の背後にある究極の精神的実在”も、このように考えるとよく理解できます。
しかし、死にさいして肉体が無機物に還元されるのに対し、かつてある著書で述べられた「人間の魂は、宇宙の背後にある超人的な精神的実在の中に再吸収される」という博士の所説は、精神を一つの独立した実在とされているように思われます。もちろん、肉体は生きている間も絶えず変化しており、一定の期間がたてば、細胞はほとんど一新します。また、死ねば全体が無機物に還元されることも事実です。しかし、たとえば、三歳であったAという人が三十歳になったとしましょう。その場合、Aは肉体的には変化したわけですが、そのなかに一貫して持続する本質があることは明らかです。肉体はそれ自体が独立しているものではなく、その奥にある生命的傾向性と深い関係があります。逆にいえば、内在する精神的実在のなかに、絶えざる肉体的傾向をはらんでいると考えるほうが、より本質的な認識となるのではないでしょうか。
したがって、死によって現実の肉体は無機物に還元しても、精神的実在に内包された肉体的な傾向性は、持続すると考えることができると思います。そして、縁にふれて、再び顕現された形で肉体が持続するのではないでしょうか。死によって肉体と精神が分断されてしまうと考えるのは、おそらく知性の犯している誤りであって、事実はこのように考えるべきだと思っています。

【トインビー】 人間を精神的要素と肉体的要素に分離して考えることは、たしかに知性のなせるわざです。それは経験による既知事項(データ)ではなく、経験的データを考察して引き出した一つの結論なのです。したがって、それは考えられる唯一の結論でもなければ、これまでに人間が導き出した唯一の結論でもありません。
経験からいっても、われわれは肉体を離れた霊魂とか、魂をもたない人体などといったものには出会うことがありません。もちろん、精神的欠陥者や、耄碌した人の場合は、その精神機能にはかげりがさしていますし、肉体的欠陥をもつ人や不具者の場合は、身体のほうが不十分です。
しかし、こうした欠陥はいずれも異例とみなすべきで、精神と肉体が客観的事実としてそれぞれ独自に存在できる証拠にはなりません。これらは、われわれが人間を精神と肉体という観念上の二要素に知的分析を行なうことと、はっきり区別して考えるべきでしょう。

【池田】 さきほど博士は、死後の生命の存在の仕方について、それは時間次元を越えたものであろうとおっしゃいました。私も、それは正しいと思います。しかし、さらに掘り下げていえば、現に生きているこの生命も、その本質の実在においては時間次元を越えたものであると考えられます。なぜなら、もし人間の生命が時間という枠にはまった存在であるとすれば、人間の知性によってそれを理解することも、可能であるはずだからです。
この点に関連して、私はベルグソンの考察を思い起こします。ベルグソンは“流れる時間”という概念を主張し、過去・現在・未来という時間的区分はもともとあるのではなく、人間の意識の流れが過去・現在・未来という内的な持続を実感しつつ、つくりだすものであるとしました。
しかし、この“流れる意識”というものも、人間生命のごく一部にしかすぎません。ともあれ、生命自体には、もともと過去・現在・未来という現象的時間の区別は存在しないと考えられます。
そのような区別は、生命が肉体と精神とをそなえた存在として具体的活動を営んでいくとき、初めて現われるにすぎないものといえましょう。

【トインビー】 カントは時間と空間の概念は、人間の思考にとって不可避の範疇であることを指摘しました。また、アインシュタインの指摘によれば、時間・空間という二つの知的範疇を区別するのは、すべて人間の知性の働きにすぎず、科学上の観察をするにあたっては、時間は空間によって、空間は時間によって測定する以外にないとのことです。しかし、三つの知的範疇――時間・空間・時空――が客観的実体をもつと推定できる根拠を、われわれははたしてもっているでしょうか。これらの知的範疇も、あくまで人知の宇宙理解力の限界を示すものにすぎないのではないでしょうか。

【池田】 時間・空間というのは人間が創造した観念であり、人間の生命がその活動において設けた枠であると考えます。もし、この生命の発動がなければ、時間も空間もありえないでしょう。したがって、時間と空間というものを絶対的に実在するもののように考え、その枠に生命そのものをはめ込んで規定しようとすること自体、本末を転倒した考え方ではないかと思うのです。
時間とは、われわれが宇宙生命の活動や変化を通して感ずるものです。われわれの体験からいっても、時間の動きは、われわれの生命活動の状態によってさまざまに変化します。楽しいときには、時間は飛ぶように過ぎ去ってしまいますが、苦しいときには時計の針の進むのが非常に遅く感じられます。
そこで死の問題に戻りますが、さきほども少し話しましたように、仏法では死後のわれわれの生命の存在の仕方を“空”という概念でとらえています。“空”というのは、現象としては現われなくとも、厳然と実在する状態のことをいいます。実在するといっても、それは目には見えませんから、“無”と変わらないともいえましょう。しかし、実在する以上、縁にふれて目に見える現象として現われるのです。そうなると、“無”とはいえません。つまり“有”と“無”という二つの概念だけでは表現できない状態です。
結局、仏教の教えによれば、生命の本質は“生”すなわち“有”と“死”すなわち“無”とを現じながら、永遠に存続していく超時間的実在であるということができます。

【トインビー】 いまおっしやったことから、人間の真の存在は“空”の次元にあるといえるのではないでしょうか。それが、個人と宇宙の一体性を確認するヒンズー教の格言“汝はそれなり”(タツト・トヴアム・アシ)の意味するところでもあると思うのです。
結論として、死という現象は、われわれが心身統一体として見慣れている人間存在のうち、肉体面の分解をともなうわけですが、しかしそれは“実在それ自体”からみれば、じつは人間の知的着想力の限界から生じる幻想にすぎないことになります。したがってまた、“究極の実在”ないし“空”に関する疑問は、空間とか時間とかの観点から公式化してみたところで、回答が得られないわけです。
ここでいえることは、ヒンズー教や仏教で説く輪廻転生の概念にしても、ゾロアスター教やユダヤ系諸宗教でいう一回限りの死者復活の概念にしても、私には知的に理解できないということです。さらに、ヒンズー教や仏教でも、またゾロアスター教やユダヤ系諸宗教でもともに説いている、人間が死んでから再び心身統一体としての生を始めるまで中間的な期間があるという概念も、私には理解できないものです。
人間の知性で理解できる時間・空間内での諸現象とは対照的に、“実在それ自体”には時間も空間もないのではないでしょうか。私は、“実在それ自体”には時間もなければ空間もないと信じています。といって、それが時間と空間に束縛されたこの世界から、まったく遊離して存在するものだとは思っていません。

【池田】 私も、実在それ自体には、時間も空間もないと考えます。また、この実在が時間・空間に規定された、この現象世界を離れたところにあるのでないことも確かです。 大乗仏教においては、“生死不二”といって、生と死という時間・空間次元の現象は、時・空を超えた実在である生命の、二つの異なった顕われ方であると説いています。個々の生命体は、生命が顕在化した状態であり、死とはその生命が“冥伏”した状態です。冥伏とは無に帰することではありません。
さきほどから私が提起してきた“空”の概念は、目には見えなくとも厳然と実在する、有無のいずれか一方に決めることのできない概念です。これに対して、現実にさまざまな個別の姿をとって現われてくる姿を“仮”と名づけています。心身統一体としての生とは、この“仮”の姿であり、しかもそのなかに“空”をはらんでいます。死後の生命は“空”として実在しながら、そのなかに“仮”の傾向性、方向性をはらんでいます。そして、この“空”と“仮”を貫く生命の本質を“中”と呼んでいます。あるときは顕在、あるときは冥伏という姿をとりつつも、無限に持続していく生命の本質ということです。
この持続していく生命の本質とは、現代の哲学用語でいえば、最も根本的な意味での“自我”という表現に通ずるものです。さらに仏法では、この“空”と“仮”と“中”は円融一体のものであって、それらを全体として統一的に把握しなければならないと説いています。

【トインビー】 ただいま述べられた仏法の“空”の概念によれば、“実在それ自体”が、“すべてを包含する偉大な宇宙の生命力”(ライフ・フォース)としての“空”の本質をなすことになるのでしょうか。もしそうであるならば、“空”とは、ゾロアスター教やユダヤ系諸宗教でいう“永遠”の概念に相当するものになるでしょう。
さきにあげた六つの宗教は、いずれも、ただいま仏法用語をもって論じられたような、人間の死後の状態を描き出す問題と取り組んでいます。つまり、死後、人間の肉体的側面が分解して、心身統一体としての人間存在が休止期間に入ったとき――その期間が一回限りであるにせよ、何度も繰り返されるものであるにせよ――人間存在はいかなる状態にあるのかを論じています。
もし私が、人間存在の心身統一体としての死後の再生という、この六つの宗教に共通する根本原理を認めるとするなら、私としてはヒンズー教=仏教的説明のほうが、ゾロアスター教=ユダヤ系諸宗教的説明よりも、説得力があるというでしょう。
しかし、私は、“空”“仮”という仏法概念の考察においても、やはり知性による理解のむずかしさが明るみに出てくることを感じます。したがって、六つの宗教のすべてがやっているように、死後の生命という問題を時間とか空間という言葉で表現しても、回答が得られるかどうかは疑わしく思われます。生命は、はたして死後も存続するのか。また、肉体が無機物の世界へと還元されてしまった後、精神はどこへ行くのか。――要するに、これらの疑問は、空間とか時間の基準からは答えられず、“空”ないし“永遠”の概念によって初めて答えられるのだと信じます。
 

①『池田会長講演集 第三巻』文字起こし

 投稿者:mission
 投稿日:2017年 9月22日(金)07時21分11秒
※say様が紹介された『池田会長講演集 第三巻』が手元にあったので、文字起こしさせて頂きます。

【学会と公明党の関係】
ここに将来のためにも、はっきりさせておかねばならないのは、創価学会と公明党の関係であります。
公明党結成の事を発表した昭和39年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体である、とはっきり政教分離の出発を目指しておきました。
昭和40年7月に「宗教政党」という理念を述べましたが、「理念においては一体であるが、体制・機能においては別である」…民衆の幸福と平和を願う理念・理想が同じであるという意味であって、体制・機能の面までも「一体不二」ということは決して言っておりません。
また その後「公明党ビジョン」を発表した時も「学会員一人一人の政党指示は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として信仰・布教に専念し、公明党は公党として立派に社会に貢献し、大衆福祉の為に戦って欲しいという事が、私の一貫した願いであったのであります。

《党はひとり立ちし健全な発展を》
公明党誕生の母体は、創価学会である事は間違いない。しかし、いくら母体といっても、いつまでも それに依存するようであっては、党の健全な発展はない。たとえて言えば賢明な母は、子がひとり立ちできる事を願うものであります。
いつまでも自己の支配下に置こうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
子はいつまでも幼児ではない。体の成長に伴って精神的にも一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。
我々はこれまで、公明党の為に一生懸命 応援し守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派な大人であります。それでもなおかつ面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判を受けるのも当然の理でありましょう。
創価学会と公明党の関係は、あくまでも制度の上で明確に分離していくとの原理を、更に貫いていきたいのであります。もちろん理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては それぞれの目的に向かって、将来も進む事は当然であります。これは特に党本部からの強い要望であり、学会でも当然の事として理事会でも決定した事でありますので、皆さん方のご賛成を頂きたいのであります(賛成挙手)
今後たとえ票が減ろうと議員数が減ろうと、それが世論の要望であり本来のあり方であるならば、近代政党として当然の道であります。

《学会は公明党の指示母体》
当然、学会員の個人個人の政党指示は、従来通り自由であります。学会は日蓮大聖人の仏法、三大秘宝の御本尊を信奉する宗教団体であって、政党指示については会員の自由意思に任せ、全く干渉するものではありません。
いかなる政党指示の人であろうと、いかなるイデオロギー持つ人であろうと、この妙法の旗のもとには全く何の差別もなく、平等に包容されるべきである事を明確にしておきたいのであります。
選挙のさいにしても公明党は党組織を思い切って確立し、選挙活動もあくまで党組織の仕事として、明確に立て分けて行って頂きたい。
以上のように、創価学会と公明党を分離していく事を提案いたしますが、賛成の方は挙手願います(全員挙手)
公明党は右にも寄らず左にも偏せず、ともに左右を包容し、民衆から さすがあっぱれだと賛嘆される確固たる中道政治の大道を、勇んで進んでいかれん事を願ってやまぬものであります。
           (つづく)
※昭和46年5月3日の発行ですが、池田先生は以後この発言を訂正されておられません。
しかし、腹駄学会は公明党を支配下に置き、池田先生の【政党指示については会員の自由意思に任せ干渉せず、妙法の旗のもとには全く何の差別もなく、平等に包容されるべきである事】に反して粛清を繰り返しています。

 

わが友に贈る 2017年9月22日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2017年 9月22日(金)07時20分15秒
さあ今日も対話を!
最も身近な地域から
友情の輪を広げよう。
人と会い、人と語る。
それが広宣流布だ!
 

神奈川文化に思う。

 投稿者:コンペー
 投稿日:2017年 9月22日(金)06時34分32秒
昭和54年5月5日。会長辞任後の先生は神奈川文化で正義の揮毫を残される。その脇書きに当時の心境を記される。

我一人正義の旗持つ也   神奈川文化にて

「我一人」と。当時の執行部、先生のまわりには、先生の味方はいなかった。
神奈川に住んだ事のある方に聞いた事がある。
この大切な揮毫さえ当時は大切にされなかったと。後日、シワになっていたものを発見した。
「我一人」だと、都合が悪い人たちもいるだろうから。
 

セルビア問題とは

 投稿者:連絡の局
 投稿日:2017年 9月22日(金)02時05分59秒
海外SGI査問・処分・除名問題その源泉を追う②

以下のURLから、セルビア問題の概要が見れます。 バ〇板では、波田地氏、宮川師、セルビア問題、元職員はすべて本人が問題と一括りにし、ガセネタ、でっち上げのへんな理屈こねてますが、あほは相手にせずです(笑)

セルビア情勢の真実――宮川日護(雄法)

https://twishort.com/ucZlc
 

選挙屋

 投稿者:先駆の奏者
 投稿日:2017年 9月22日(金)00時17分52秒
すっかり選挙屋になってしまいましたね。
青年大会を控えている地域は練習だってあるし、10月~11月にかけて本番の地域もあると思うのですが。
仕事や勉強の両立で最も頑張っている末端会員のことは何も考えていないということでしょうか?ましてや今回は学生部や未来部のメンバーも多く動員されているところも多いと思います。
特に未来部に関して言えば「担当者は未来部との約束は破ってはいけない」これ鉄則ですよね。先生に見ていただけると信じて、楽しみにして練習を頑張ってる子たちは多い。青年大会も中止となれば、多くの未来部員と先生の絆を断つ行為にはならないでしょうか?
未来部員だけではなく携わる青年部も同様ですね。仕事と選挙と練習の三立は非常に苛酷。「選挙」中心に回ると練習は成り立たなくなるでしょう。
池田先生ならば、会員の活動を混乱させるような判断はされないと思うのです。
本当に馬車馬のように選挙活動する意味は今はないかと思います。

様々判断させていただいて、私は今回財務はお断りしました。
もっと末端会員の気持ちや現場を理解できない幹部が増えると衰退の一途だと感じています。
 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月22日(金)00時02分40秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
拉致被害の方々、北朝鮮国の国民の方々が無事解放されます様に
おやすみなさい
 

第三回男子青年部幹部会・創価班、牙城会総会 (1990年12月9日)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ
 投稿日:2017年 9月21日(木)23時49分25秒
第三回男子青年部幹部会・創価班、牙城会総会 (1990年12月9日)

権力者の本質は臆病

先日(十月二十四日)、私は京都で、世界最高峰の平和学者ヨハン・ガルトゥング博士と会談した。席上、博士は東欧の劇的な革命に触れた際、東ドイツ秘密警察の記録文書を研究した結果をこう言われていた。

「東側の指導者たちが、いちばん恐れていたのは、西側諸国など他国の指導者ではありませんでした。むしろ自国の少数の平和主義者たちを恐れていたのです。非暴力の運動家たち、『信念』のためにはみずからを投げ出す覚悟のある人々、そうしたグループをもっとも恐れていました。それは彼ら権力者たちでさえ、心の中では、こうした平和主義者のほうが正しいと知っていたからです」と。

抑圧的な権力者――彼らの本質は、じつは「臆病」なのである。臆
病だからこそ、みずからを守る″威厳のよろい″として、権威を求める。また人々に尊敬され、忠誠を誓わせないと安心ができない。
だからこそ、なおさら彼らは、権威もいらぬ、名誉も財産も何もいらぬ、命さえいらぬという「信念の人」が恐ろしい。自分の権威を認めない者がいることが気になってしかたがないのである。

そして、みずからの「臆病」と「不安」を人々に悟られることを、また強く恐れている――。
臆病な人間は、残酷である。勇気の人は寛厚(寛大で温厚)である。
かつての悪侶らの残酷さ、ヒステリックな言動。それらも知性の弱さとともに、内心の臆病と、正しい者への恐れの現れといえまいか。
ヨーロッパのことわざに「臆病な犬ほど、よく吠える」と。また「深き河は静かに流れる」と。
恐れているから、弾圧する。不安だから、ことさらに権威的になる。自信と確信がないから、その分、自分を大きく見せようと虚勢を張る。これが「修羅」の特徴である。勝他の念――ともかく自分が一番と思えないと気がすまない生命である。
ゆえに、悪に対しては、また障魔に対しては、こちらがそのもろさを見破って強く出ることである。そうすれば彼らは後退し、退散する。
「佐渡御書」のあまりにも有名な一節、「しゅらのおごり帝釈に責められて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」――巨大な姿を見せ、おごっていた阿修羅王は、帝釈天に責められると、無熱池(閻浮提の四大河の水源とされた清涼な池)にある一つの蓮の実の穴の中に、小さくなって隠れてしまった――。このように、おごれる者は、強敵にあうと、必ず恐れる心が出てくると、大聖人が教えてくださっているとおりである。
「修羅の人」が、自分を大きいと錯覚しているのは、権威やうぬばれの風船をふくらませ、その風船の中に隠れて、自分も大きくなったように勘違いしているのである。
風船を突いて破れば、みすぼらしい小身が現れる。代議士は、落選すれば代議士ではない。権威もなくなってしまう。立場に生きる人が立場を失い、名声に生きる人が名声を失った時――それはあまりにもみじめである。
もう一つ、諸君に覚えておいていただきたいのは、「大慢のものは敵に随う」――大慢心の者は、いざという時に敵に従う――との仰せである。
これまでも悪侶や反逆者は、本来、自分たちと主義主張の反する勢力とも手を結び、野合して、正法を迫害してきた。それまでの敵とも、簡単に″同志″になってしまった(笑い)。また、いよいよ追いつめられると、これまで罵ってきた相手にも頭を下げて、保身を図るのが、大慢の人の行動パターンである。
これに対し、大聖人は、しばしば世間から「慢心だ」「傲慢だ」と非難をされておられる。ありのままの″真実″を語られるのだから、保守的な人々にそう見えるのも、ある意味で仕方なかった面があるかもしれない。
しかし言うまでもなく、それは「正法を惜む心」が強盛なためであり、慢とは正反対の、正法への大確信と大慈悲であられた。
「顕仏未来記」には「我が言は大に似たれども仏記をたすけ如来の実語を顕さんが為なり」――わが言葉は大慢心のように見えるかもしれないが、仏の予言を助け、如来の真実を証明するためである――と。類似の御文は御書に数多い。
ともあれ、信仰とは、何ものも恐れぬことである。庶民が、民衆が、不敵なまでの強さで立ち上がる時、時代は変わる。
迫害しているほうではなく、されているほうが正しいのだ――という″真実を見る眼″を人々が揺るぎなくもつ時、いかなる悪しき権威にも左右されない″民主の世界″の礎ができる。諸君こそ、その新世界の建設者なのである。(拍手)
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月21日(木)22時58分28秒
23時より開始です。池田先生と奥様のご健康を祈ります。

今回のマル衆、区割り変更と比例の定数変更があるんですね。あまり周知されてないようです。どの党に入れるかもありますが、自分の地域の選挙区に変更がないか、確認が必要でしょうね。
 

念のための再確認!

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月21日(木)22時50分41秒
皆、脱会を進めるために戦っているわけではありません。掲示板の趣旨とは異なるとハッキリ言っておきます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/74137

>>11.17付けで退会しないとだめですよ<<
 

戸田先生御指導より。

 投稿者:ダメよ~ダメダメ
 投稿日:2017年 9月21日(木)22時08分56秒 編集済
戸田先生の御指導です。

当然、公明党の存在はおろか公明政治連盟もまだです。創価学会の政治部とも言える文化部の存在があっただけです。当時の時代背景や学会を取り巻く状況もあるであろうが、
創価学会第2代会長戸田先生の政治に対する考え方、御境涯の大きさ、広さが拝する事が出来る御指導です。
 

会則の詳細規定は、会員には見せない極悪学会 (笑笑

 投稿者:珍説 谷川革命 (笑笑
 投稿日:2017年 9月21日(木)21時59分16秒
監正審査会規定とか、なにか細かな規定が裁判で披瀝されていましたが、それっていつ、だれに公開してましたっけ?

裁判になって、後出しジャンケンのように次から次と出してくる弁解準備書面 (笑笑

そりゃ、どうでもよい任意団体の白文会則ですから、細やかな細則は開示されないのでしょうが処分される会員の側からすれば(元職員でも)辟易する話ですね。
 

スパイズ・ライク・アス

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月21日(木)21時49分0秒
今後、共産党に投票、また応援する学会員が増え、そんな学会員を弾圧する原田学会患部が現れる可能性がある。その場合の反論を用意しておきたい。

①池田先生は明快に「政党支援は自由」と言われている。
(勿論、ああなってしまった混迷党を支援するのも自由である。)

②池田先生は「共産党に対する態度」をこう言われている。

「共産党と学会が、常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えております。 しかし、これは私の本心ではない」
「私としては、こうした泥仕合はできるかぎり避けたいというのが本意であります。我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない。また、そうであってはならない」
(池田会長講演集 第三巻 P29 第33回本部総会1970.5.3)

それを患部殿は潰す気か? 貴方を池田先生の敵、師敵対などとは言わないが。

③池田先生が事実、「創共協定」を当時の共産党リーダー宮本顕治氏と結ばれたことの意味は重い。
そして、これを他の患部がブチ壊しにしたという事実の意味も重い。
患部殿、あなたは彼らと同意か? 彼らと同罪かとは言わないが。

④池田先生はその宮本顕治氏と対談集『池田大作宮本顕治人生対談』まで残されていることをどう受け止めるか?

さらにこのなかで、池田先生は、戸田先生との出会いが無ければ、社会主義運動の活動家になっていたかも知れないと言われているが、これをどう受け止めるか?

池田先生は政治的志向が宮本氏たちと比較的近いことをほぼ認められているが、これにたいしても患部殿は批判するのか? 貴方を池田先生の敵、師敵対などとは言わないが。

⑤共産党は綱領を変えず、流血革命志向であると言うが、反人間主義・人権感覚ゼロの自民とグルであることをどう思うか? 貴方を池田先生の敵、師敵対などとは言わないが。

『「憲法改正」の真実』(樋口陽一&小林節)を一読されたい。両氏は『自民党憲法改正草案』をケチョンケチョンに斬り倒している。
こんな人権感覚ゼロの改憲草案、思想を持つ方が共産党の綱領よりもよほど危険である。

特に『第三章 憲法から「個人」が消える衝撃』について注目したい。

「一番、まずいと思っているのは、『個人』という概念がこの草案では消されてしまっているという問題」「やはり、そこでしょう。『個人』が消えたということに驚愕」

「日本国憲法で一番肝腎な条文をひとつだけ言えと言われたら、十三条」「すべての国民が『個人』として尊重されるということが憲法の要」

「ここ(自民改憲草案)で言う『人』の意味は『犬・猫・猿・豚などとは種類の違う生物』といった程度の、本当に軽い存在としての『人』です。それぞれに個性を持つ「個人」として尊重されるのと『他の動物よりは上』といった程度に尊重されるのとは大いに違う」「『個人の権利』を常に否定したがるという彼らの性癖です」

「人は人として生まれただけで幸福に生きる権利があり、幸福とはそれぞれが異なった個性をもっていることを否定せずにお互いに尊重しあうことで成立します。その幸福の条件を国家は侵害するな、というのが憲法の要です」
「フランスの人権宣言でも、共同体の拘束から解放された自由な個人を主体とする、個人の権利だからこその『人』権なんですよ」

→「人権」という思想は「仏性」という概念に近づこうとしていると考えられる。「人間主義」とも共鳴すると言える。
これを否定して真逆を行こうとする自民と共産ではどちらが危険か? 引き分けか?

“オレたち、恐れを知らず 耳は一秒たりとも怠らず”
“一人はみんなのため,みんなは一人のため”
“駆けずり回り 特にこの時期、大忙し!引っ掛け捻じ曲げ、たどり着く”
“オレらの手口、知る者ナシ それはきっと、天賦の才”
“キビしいピンチになったなら(その時は…)オレたち、ちょっとムチャします!”
『スパイズ・ライク・アス』ポール・マッカートニー
https://www.youtube.com/watch?v=27ATt3FXAUY
同名映画は面白いコメディー作品です。
 

池田会長講演集 第三巻

 投稿者:SaySaySay
 投稿日:2017年 9月21日(木)21時46分42秒
これから起きるであろう議論を予想して、以下を再掲します。

『池田会長講演集 第三巻』
入手が困難になっていく重書、なかでも今、知っておくべき真実を残しておきたい。
池田先生の大切なご指導が何十年も伝言ゲームを繰り返すうちに、新しい世代には全く違った形で伝わっていることを嘆き、恐れています。
<学会と公明党の関係> <立正安国の原理> <共産党に対する態度> <創価学会の体質問題>
『池田会長講演集 第三巻』 昭和四十六年五月三日 発行 / 昭和四十六年七月三日 四刷

『池田会長講演集 第三巻』1/4
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47013

『池田会長講演集 第三巻』2/4
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47015

『池田会長講演集 第三巻』3/4
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47016

『池田会長講演集 第三巻』4/4
http://6027.teacup.com/situation/bbs/47017

PICKUP■共産党に対する態度

 次に、共産党に対する、これからの基本的な考えを述べておきたい。現在、共産党と学会が、常に敵対関係にあるかのような印象を世間に与えております。 しかし、これは私の本心ではない。共産党の創価学会に対する攻撃から、防衛のため、こちらとしても反撃せざるをえなくなっただけのことであります。
 私としては、こうした泥仕合はできるかぎり避けたいというのが本意であります。我々は、かたくなな反共主義を掲げるものではない。また、そうであってはならない。
 創価学会は、宗教の次元に立つものであります、宗教は、一切を包容していくべき立ち場のものであります。故に、政党と同じ次元で争うべきではありません。
 ただ、不当にわたしどもの信仰を圧迫する動きに対しては、信教の自由を守るために、正当防衛として戦っていくのはやむをえない。したがって、こちらの自由意志だけでは、いかんともしがたいことですが、私どもの意向としては、こうした無益な争いは、絶対にやめるべきであることを訴えたい。
 この創価学会の立ち場を、皆さんとともに再認識しあうとともに、世論に対しても、明確にしておきたいのであります。

(池田会長講演集 第三巻 P29 第33回本部総会1970.5.3)
 

『随筆 人間革命』より抜粋

 投稿者:通行人
 投稿日:2017年 9月21日(木)20時51分53秒
ここに、再び戸田城聖の指導を、いくつか綴らせていただく。

必要でないものは、消えてしまう。学会において、無理をしてつくった幹部の位置というものは、消えてしまう。
君たちも、自分でその位置をつくりあげなければいけない。

中枢部において、数多くの規定を作り始めると、その団体は、自滅し始める。

外部との戦いが止むと、内部に敵が出る。

 

総選挙

 投稿者:二眼の亀
 投稿日:2017年 9月21日(木)19時46分51秒 編集済
総選挙 公明党が小選挙区で候補を立ててるところはいわゆる「都民ファースト」からは候補を立てないとの事。

都政と国政は違うといいながらも意外に義理堅い

自民 ×
公明 ×
共産 ××
民進 ×

都民ファ にココは義理を立てようか


国民の権利 棄権は良くないと思う
 

セルビア問題とは

 投稿者:連絡の局
 投稿日:2017年 9月21日(木)18時11分13秒
海外SGI査問・処分・除名問題その源泉を追う①

 第39回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 2004ー6ー15


妙法の同志が光り輝く国土

 一、先ほど、ヨーロッパの良識からの意義深き栄誉を拝受した。
 〈幹部会の席上、セルビア・モンテネグロSGIの代表から、各誉会長に「ブラチャ・カリッチ賞」が手渡された。この賞は、東欧の著名な経済・文化団体「カリッチ財団」が創設した最高栄誉である〉
 セルビア・モンテネグロのカタノ支部長をはじめ、わが気高き地涌の菩薩の皆さま!
 この栄冠は、貴国の同志の勝利の象徴です。本来は皆さまがいただくべきところを、私が代わってお受けしたと思っております。
 セルビア・モンテネグロといえば、かって、サイレンが鳴り、ミサイルが降る戦乱があった地域である。そのなかで、妙法を唱え、励まし合つて前進してこられた。
 大変なことである。それを考えれば、どれほど日本は恵まれていることか。
 カタノ支部長はじめ同志の皆さまに、全員で拍手を送りたい。遠くから来日され、本当にうれしい(大拍手)。
 〈セルビア・モンテネグロは、旧ユーゴスラビアを構成していたセルビアとモンテネグロによって成立した連合国家。
 旧ユーゴスラビアでは91年以降、各共和国が独立。ユーゴ解体の過程で、クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなどで紛争が激化した。
 コソボ自治州でも武力衝突が深刻に。99年には軍事介入した北大西洋条約機構(NATO)がユーゴを空爆し、多くの死傷者、避難民が出た。
 空爆停止の約1カ月後、99年7月3日にユーゴスラビア連邦(現在のセルビア・モンテネグロ)にSGIの支部が誕生。翌年2月、結成式が行われた〉

 一、御聖訓に照らして、妙法の同志の活躍が光り輝く国土、世界は、必ず無量の諸天に守られる。必ず栄えていく。
 ここに「立正安国」の法理がある。戦後の日本も、創価学会の前進とともに復興してきた。
 〈「立正安国論」に、「妙法に帰依すれば、この三界という凡夫の住む国土は皆、仏国である。
 仏国であるならば、衰微(すいび)することがあろうか。あるはずがない。十方の国土は、ことごとく宝土である。宝土が、どうして壊れることがあろうか。あるはずがない。
 国に衰えがなく、国土が破壊されることがなければ、身は安全であり、心は何の不安もないであろう」(同32ページ、趣意)と〉
 世界中で翻訳されている、私とトインビー博土との対談集(邦題『21世紀への対話』)は、現在、セルビア語でも翻訳・出版が進んでいる。関係者の皆さまに深く感謝したい。
 〈このほか、名誉会長の著作『私の釈尊観』『私の仏教観』のセルビア語版も、発刊に向け準備が進められている〉
 本当に不思議なる使命の同志を、もう1回、盛大な拍手で譲えたい。ありがとう!(大拍手)
 

STOP!逆行修行!

 投稿者:フロム関西
 投稿日:2017年 9月21日(木)17時46分30秒

時代に逆行!平和に逆行!

やればやるほど、心の財が

減っていくんだぞ!Σ( ̄Д ̄lll)

価値創造と自立した信心が

民衆救済の創価学会!

組織依存と思考停止は

師弟利用の喪価学会!
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール
 投稿日:2017年 9月21日(木)15時37分45秒
21世紀の山をどう乗り越えていくか。いずこの国も、団体も、組織も、この1点を模索している。これまでと同じ発想、同じ陣容では、山を登っていくことは到底できない。文字通り、デット・ヒートの厳しさを耐えて勝ち抜かねばならない時代に入ったといってよい。その険しき山を登りきっていく原動力は、青年であろう。青年が、生き生きと育っているか。精神の闘争に挑戦しているか。未来を展望し、行動しているか。青年の力の有無が、その運動になり団体の明暗を分ける時代に入った。私は、そう見ている。  

「9条に自衛隊」、自民選挙公約に明記

 投稿者:11.17
 投稿日:2017年 9月21日(木)14時31分39秒
http://www.asahi.com/articles/ASK9M4V6JK9MUTFK00H.html

これでも学会員に自民へ投票させるんですか?

先生の憲法9条厳守の核心的ご指導も時代遅れですか?

どこまでも権力癒着で時流に乗って、保身第一が現執行部の眼目ですか?

都合が悪いことはすべて会員に隠し、信心の戦いにすり替えて、また猪突盲信させるんですか?
 

(無題)

 投稿者:11.17
 投稿日:2017年 9月21日(木)14時00分8秒
公明党 設立記念日  

最上位の指導

 投稿者:サンダーバード
 投稿日:2017年 9月21日(木)13時24分21秒
「もし創価学会が人間を抑圧する組織になったのであれば、私は創価学会を解散する」

間違いなく最上位にくる指導です

先生を嘘つきにしないように


11.18に彼らは日蓮世界宗創価学会として出発するんだから

創価学会は解散したのと同じなんだから

日蓮世界宗創価学会員になりたい人はなればよいし


自動的に日蓮世界宗創価学会員にされちゃいますよ

なりたくない人は11.17付けで退会しないとだめですよ


先生の教えを人生の指針にする人

先生を師匠(先生)と決める人

外道だろうが内道だろうが関係ないですね

宗教関係ないですね


11.17をもって仏敵消滅ってことで


 

「沈黙の解散」

 投稿者:mission
 投稿日:2017年 9月21日(木)12時41分9秒
二階幹事長が19日の記者会見で《衆院解散の動きで野党側から「森友・加計の疑惑隠しだ」との批判が出ている》と質問され、「小さな問題」と言及。
「モリ*カケ」について予定では↓
9月中旬→「森友」会計検査院が検査結果を公表。
10月頃→「加計」8月から延期されていた獣医学部の新設認可の是非判断。

これらも↑「忖度」を含んだ結果が出るのか?
保存すべき書類も処分、証人喚問も応じない…国民の意識は決して「小さな問題」とはなっていないが、以前に引き続き混迷党はわ口を噤み沈黙を続けるのだろう。
会員達の票を貰いながら「悪を正す」事も出来ない無益な政党だ。

「新党」結成を目指す若狭*細野両議員が、東京の25選挙区全てに候補者を擁立するとのこと。
都議選では「都民ファースト」と選挙協力をしたが、19日の番組で斉藤選対委員長は「国政は自公が基本」と明言していた。

12区「太田勝利」に又も全国支援を訴えるのか?とっくに定年(69歳)過ぎた71歳の傲慢候補に?
会員数も執行部*創価貴族が一番多い「東京」で、たった一人だけの擁立候補。
会員達からの財務で生計を立てている分際で、命令なんかするんじゃない!
全国に支援の激を飛ばすな!自分達の力だけでやるべきだ!

※毎度のように「悲壮感満載の顔芸」写真を公明や聖教に掲載しないで下さいね。
「前撮り写真」である事は、既にバレてますから…姑息で恥ずかしいです。

 

この政権は、一強ではなく一凶

 投稿者:ミネルヴァの梟
 投稿日:2017年 9月21日(木)12時31分59秒
安倍首相が国連で、ムキになって演説していた。

言っている事はいつもと同じ。今必要なのは対話でなく圧力なのであります!  だそうだ。

だが演説会場はガラガラ。シラケ鳥が飛び放題だった。
先日のトランプ大統領も、話の内容は同じようなものだが、会場は満席に見えた。
世界の中での日本の評価はこんなものだ。ほとんど相手にされていない。
トランプ大統領の演説さえ聞いておけば、安倍首相の演説など聞く必要もない、といったところなのだろう。


小池氏が、若狭新党の党首になるかも、という話が出ている。

小池氏には、将来首相になりたいという野心があるようで、その点から言えば、十分あり得る話だが、都知事と党首の二足のわらじを、都民が許すとは到底思えない。
許すとしたら、マインドコントロールに嵌った学会員ぐらいのものだろう。

若狭新党は、東京の25選挙区すべてに、候補者を立てると言っている。
そうなると、公明党の太田氏と当然バッティングする事になるが、都議選であれだけ協力したのに何だ、という事にならないのか?

都自民を敵に回し、都民ファーストとも戦うとしたら、公明党支持者は大変だ。さすがに戦線から離脱する学会員も増えるだろう。
そもそも都議選の時でさえ、国政の公明党はダメだが都政は別だからと、自分を無理矢理納得させて支援していた学会員はたくさんいる。
今度は文字通りの国政選挙。しかも公明党に対する怒りは増幅している。

野党共闘がまとまれば、私は当然そちらに投票するし、まとまらなければ、聖徳太子と書いて投票する事になるだろう。
どっちに転んでも、今の公明党はNOだ。


話は変わるが今朝のテレビで、近い将来日本から、ノーベル賞受賞者は1人も出なくなる、という話をしていた。

世界的に有名な科学雑誌ネイチャーが、この10年ほどの、日本の科学技術力の急激な衰退を指摘している。
世界の大学ランキング200の中でも、東大25位京大74位。入っているのはたったの2校だけだ。

とにかく安倍政権は、教育とか研究関係に金を出さないのだ。予算を半分近く削ったりしている。
特に基礎研究に金を出さず、すぐに金を生み出す応用研究にしか金を出さない。特に軍事転用技術をひいきにしているようだ。

安倍自公政権には理念が無い。目先の利益しか興味がない。
そんな政権は日本を潰す。
科学技術力を失った日本が、どうやって生きて行くのだ。

この政権の害毒は、単に政治の世界だけにとどまらず、社会全体を破壊する。喪価学会執行部と同じだ。
両者の一刻も早い退陣を望む。



 

理科的に謗法とは

 投稿者:飛翔こそ蘇生
 投稿日:2017年 9月21日(木)12時04分28秒 編集済
本来、謗法とは何か?
理科的に読み解いていこう。

正法を自分自身の生命現象の体感として

逆の方向性の十四誹謗を分類すると
自身の生命現象に蓋をして取り組まない事
思考概念の物語によって判断すること
感情の作るリアリティに飲まれること。
そういう切り口で見ることも出来るかもしれない。

自身の生命現象に蓋というのは例えば依存症、
もしくは依存とまではいかなくても好きな事。
それをやっている間は
自分自身の生命現象の問題を忘れていられる。
ただあることをただあることとして
それを味わい楽しむのが本来で
問題の本質から目をそらすためにやる時
それは楽しくなくなっても苦しくなっても
やめられない依存症となっていく。
創価学会の組織的に
選挙戦への依存症のような面もあるかもしれない。
理念と反していて苦しくても
本質に蓋をして、やらないではいられない
苦しみを生み広げる身口意のメカニズムに
陥ってしまっている状態。

何かの考えを得て
分かったつもり、解決したつもりになるのも
自身の生命現象に蓋をすることであるが
行為でまぎらわせることと
考え方に固執して蓋をすることを
分けて考えてみよう。
思考概念の物語とは
正法は自分自身の生命現象であるのに
それ自体でなく対象化し分離の壁を作る執着である。
「○○ということにしておく」という枠であり
定義できない不可思議な自身の生命現象に対して
定義して分離・選別して安心を得ようとする。
自分自身の生命現象に対して信頼しないがゆえに
外に言われていることから保証してもらおうという働きでもある。
創価学会の組織的に
「創価学会仏」と呼ぼうというような
「我々こそが正しい」という保障を
自分自身の生命現象の証明ではなく
対象化し用意された枠に入っているかどうかで
判断し安心したいという願望にすがっているかもしれない。
それ以上問題に取り組まなくて良いようにしよう
という逃げ・退転の心である。
「正しいものを信じているから正しい」では
その正しさと定義されるものは、権威と化す。
本当は信心が正しいかどうかというのは
その自分自身の生命現象の体感にしかない。
体感の現象化であって
考え方による判断では無いのだ。
思考概念の世界で生きてきた者にとって
体感は解り辛くすぐ考えに流れてしまいがちであり
アルベア論の実践はそれを教えてくれる。

ちなみにこの投稿は思考概念である。

感情の作るリアリティとは
人それぞれ同じものを見た時にも
そこに感じる現実は違うということだ。
同じ車を見ても
「男のステータス」「便利な乗り物」
「環境の敵」「危険な乗り物」
どう見えるかは人それぞれだ。
それぞれにリアリティがあって
それは交通事故の経験が強烈な者にとっては
「怖い」という感情がくっついて
より強い現実として「危険な乗り物」になる。
つまり、感情・身体の経験・概念の癒着によって
生み出されている現実にすぎないということであり
それぞれの自身の生命現象の問題の解決には
それぞれの経験による感情と概念の癒着の
解放が必要だということになる。
それを巧みにするのが、本来の宗教であり
いかに強固な現実だと思っている不遇も
生命の本質的なメカニズムから解決させるものである。
例えば法主には従わなければならない
会長には従わなければならない
という思い込みを解除するための時と
意図思惑によって最悪な法主だ
悪魔のような党だ、人外の会長だという
レッテルを貼ろうという時に
フレーズ自体は同じようなものになるかもしれない。
現実だと思ってしまっていることの解決のためなのか
感情の押し付けで都合の良い現実を作り上げるためなのか。
言葉尻だけでは、それは分からない。
相互理解の必要性がある。
そういうことを踏まえた上で
簡単に思い込んでしまうのではなくて
思い込ませて解決とするのではなくて
率直な思い、率直な感情、率直な経験を
素直に出していき、
受容と解消、そして新しい漲る生命の誓いのために
そうした時、笑顔の咲き誇る
民衆の対話の連帯が実現するのではないだろうか?

原田会長よ!
会長が一番偉いなんていうのはな
全部ぶち壊しなんだよ!
 

涙が止まらない・・

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール
 投稿日:2017年 9月21日(木)10時05分29秒
シャクソンファイブさま

日護さま

大勇気と大慈悲に感謝、ありがとうございます。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/74449

読み終えて、涙が止まらない・・

これから、大事な仕事上の会合に行かなければならないのに・・

あまりにも悲惨、悲しすぎる女子部の被害者・・・

最近の女子学生曲・女子部新任幹部が綺麗すぎると気にはなっていたけれど・・

結局、我々は奴らに完全に騙されていたというわけですね・・・

一刻も早く原田学会から離れ、「師弟創価」の道を・・築け!

ア~ 今日一日、落ち込むな~ あまりにも悲しき出来事・・・

でも、もっと知りたい・・

日護様、また、皆様も知っておられることすべて・・吐き出して・・

でなければ・・本当に変えることはできない・・

手術は完全でなければ・・
 

魔は権力者の身に入る

 投稿者:虹と創価家族
 投稿日:2017年 9月21日(木)09時50分47秒
選挙が近づくにつれ投稿が増えてきます。
また、安保法制の時のように、一般会員や外部の方のアクセスも増えます。

自分も過去に、創価学会や公明党に対する批判文章を投稿していました。
それが正義であり、悪と戦う一つの方法だと思っていた。
しかしそれにより、一般会員に犠牲者を出し、仏敵に力を与えた苦い経験をしました。

現場を良く見れば、創価学会や公明党に対する「組織を的にした批判文章」は、反感を持つ未活動家を煽り、信心や池田先生に対する不信を増加させる場合がある。
また仏敵に力を与え、先生批判を増大させてしまう場合もあるのです。

この状況を良しとするなら、創価貴族と同類の人間です。

創価貴族を倒すためなら、師匠に迷惑をかけても仕方がない。
多少の犠牲はやむを得ない。

これのどこに正義があるのでしょうか?

魔は権力者の身に入るならば、徹して幹部や議員を諫めるべきだと思います。
権力者を諫める先に、組織の清浄化があるのです。



【2006年11月22日全国合同協議会】

・もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。

・幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。

・そして、広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。

(スピーチ全文)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29864
 

お題目がもうどにも止まらない

 投稿者:虹の戦士
 投稿日:2017年 9月21日(木)09時39分38秒
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”うわさを信じちゃ いけないよ
私の心は うぶなのさ
いつでも楽しい 夢を見て
生きているのが 好きなのさ~♪”

人類の滅亡、大地震、核戦争いろいろ
心配なうわさがありますが、そんなの信じないで
いつものように楽しい夢をみて
生きていきましょう。

お題目が、もうどにも止まらないのです。(^^)~V

いつかは誰でも死んでしまうし、この地球もなくなって
人類はいなくなってしまうけど、そんなことを
心配して今日を楽しく自分らしく生きられないのは
つまらないでしょう。
法華経は”変毒為薬”。
生きる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみ
すべてを宿命転換することができる素晴らしい教え。

生きてよし
爺さん婆さんになってよし
病気になってよし
そして、死んでよし
そんな指導を辻先生は指導でおっしゃってました

だから朝起きたら
いつもとおなじように
勤行唱題で明るく元気に一日をスタート
人類の滅亡、大地震、核戦争
何が来ようと心はいつでも
日蓮大聖人様といっしょなら
大丈夫です

いつものようにお題目が、もうどにも止まらないのです。(^^)~V
---------------------------------
こんな噂やニュースに心が動かされてはだめですね。

・安倍首相は、28日に召集される臨時国会の冒頭で衆院解散に踏み切り、「10月10日公示―22日投開票」の日程で衆院選を行う意向を固めた。

http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20170917-OYT1T50113.html

・【緊急警告】8日のメキシコ巨大地震は「日本でM8巨大地震」の前触れ! 過去のデータでほぼ確定、直近で10月19日が危険!

http://tocana.jp/2017/09/post_14414_entry.html


・【悲報】9月23日の人類滅亡がほぼ確定! 惑星の配置が黙示録の記述を完全再現していることが判明!

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%80%90%E6%82%B2%E5%A0%B1%E3%80%919%E6%9C%8823%E6%97%A5%E3%81%AE%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E6%BB%85%E4%BA%A1%E3%81%8C%E3%81%BB%E3%81%BC%E7%A2%BA%E5%AE%9A%EF%BC%81-%E6%83%91%E6%98%9F%E3%81%AE%E9%85%8D%E7%BD%AE%E3%81%8C%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E8%A8%98%E8%BF%B0%E3%82%92%E5%AE%8C%E5%85%A8%E5%86%8D%E7%8F%BE%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%88%A4%E6%98%8E%EF%BC%81/ar-AAs69YZ?ocid=spartandhp#page=2

・トランプ大統領、北朝鮮の「完全破壊」を警告 初の国連演説で
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170920-00000001-reut-kr

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幸せな人様へ

”1時間あげると自分が変わる、2時間あげると相手が変わる、
3時間あげると周りがかわる、100万遍あげると願いが叶う
(だったような)700万遍あげると生命の基底部が変わる2000万
遍あげると逃げても逃げても、福運がついてくる、7000万遍あげる
と信仰の王者になる。”

この池田先生のご指導は知りませんでした。
ありがとうございます。

ますます、お題目が、もうどにも止まらないです。(^^)~V
---------------------------------
日蓮大聖人様の仏法にはいろんな
戒律なんかないはず。謗法だけが
だめなはず。

ところが原田学会は会則だの創価学会会憲
って一体何だ?

そんな自由のない宗教だったら、
よっぽどお釈迦様の時代の戒律を守ってる
上座部仏教のお坊さん、タイのまじめな
お坊さんのほうが偉くみえてきてますよ。

---------------------------------
今日が人類滅亡の日だったら?
フットルースを聴いて、歌って踊ってで
いいんじゃないのかな???

あ、最後は南無妙法蓮華経でした。
すみません。

YouTube動画サムネイル>>この動画を再生する

---------------------------------

http://imagine-happy-life.tokyo/

 

代理投稿(久遠の友との再会.No.6.)

 投稿者:シャクソンファイブ
 投稿日:2017年 9月21日(木)09時24分3秒
おはようございます。宮川氏の代理投稿です。


不思議なる縁(えにし)シリーズ 久遠の友との再会.No.6.
(拡散をお願いします)

「僧が上、信徒が下、とんでもない間違いです」
「会長が上、会員が下、とんでもない間違いです」
「そうなった場合には、創価学会も邪教です。」

師匠の御言葉です。先生のアメリカ、テレビでのインタビュー。
公明党が先生の平和路線を踏み外したと感じた会員が、
真摯に幹部や学会本部に教えを乞うた時、
恰も組織破壊の反逆者の如く査問し、或いは会員との接触を禁じ、
或いは会館への出入りを差し止め、或いは役職を解任し、
或いは創価学会を除名にした動かし難い、数百・数千の事実。

この純粋に先生の平和路線を模索し、原田学会によって処分された会員と、
それを実行させた原田会長と、どちらが上と言えるでしょうか?
先生が断言された「そうなった場合には、 創価学会も、邪教です!」
その御指導をどうか忘れないで頂きたい。

☆先生の正義を訴えた為に、
原田学会から役職解任された素晴らしい先生の直弟子、
私も尊敬する獅子の、美しいご婦人の体験を紹介したい。

ーー記者ーー
役職解任は、かなり早い時期になりますよね。
その時のお気持ちはどうでしたか?

ーージャンヌさんーー

組織による迫害など、私は全然恐れてません。
主人が役職解任になったときから同じような状況です。
学会の方より世間の方が温かく感じました。?
井の中の蛙 大海を知らずでした!
いざ大海に出ると、なぁんだ、大海の方が居心地いい!と感じました。?
私のいつも明るく元気に楽しく過ごしている姿を見て、
気付いてくださる方が続々と出て下さっています。

ーー記者ーー
いや、そうですね。
お元気で、はち切れんばかりの若さ、爽やかさを
私も感じさせて頂いております。
こうしてお会いして見る限り、三十代後半の御年齢かなと思ったのですが、
何かお孫さんも、いらっしゃるそうですね。驚きました。
長女の方の体験をお聞かせ下さるとの事、宜しくお願いします。

ーージャンヌさんーーー

はい!?体験と言えば、長女が二人目を出産した後、
少したって母乳をあげていた胸の皮膚が凄くただれて、なかなか治らず
半年以上経ってから大きい病院に行って検査したところ皮膚癌と乳癌の間?
とにかく変わった乳癌でした。そんな時、主人が役職解任に。

でも、私は主人が間違っていない事を確信していたので
絶対に娘のガン細胞を無くす!と決め題目を泣きながらあげました。
その間、買い物に行って顔見知りの婦人部に挨拶しても
無視されたりしましたが、かえって私を奮い起たせる事になったので、
今では感謝です?

授乳が終わったら、また検査する事になっていて検査したところ、
癌細胞は消えて無くなっていました。?
娘と、本当にあの時癌と言われたんだよね?と確認してしまいました。?

それから何ヵ月か経ってB座に出る機会があり、
近況を聞かれたので娘の体験を話しました。
主人がこういう状況になってますが、間違った事をしていないからこそ、
早く結果が出たのだと思います。と言い切って来ました?
まだまだ、悩みは有りますが、絶対に題目で乗り越えていきます。
こんな体験も今回させていただきました?????

ーーー記者ーー

本当に、今日はありがとうございました。
(インタビューは以上です)

ーー記者後記ーー
実に生き生きとされていて、爽やかで、
何とも言えない暖かさに私も癒されました。☆

本来、戸田先生、池田先生の創価学会は、
「生きる事自体が幸せである。」
「君が、憂いに、我は泣き。我が、喜びに、君は舞う。」と言う同志愛。
習慣化された「友の幸せを本気で祈れる自分」
この世界が、この実感が、この喜びが、池田先生の真の創価学会の姿である。

シナノ企画のDVD 新対話シリーズNo.88
「正義の走者 栄光の未来へ. 君よ羽ばたけ」
を私は多くの方に推奨しているが、この世界が先生の創価学会である。
先生がそこにいらっしゃるだけで、その場が仏国土に変わる。
その先生と弟子の真の姿を、知って欲しい。

その先生と会員、親と子の間に、薄汚い野心と欲望を満たす為に、
土足で割って入り、先生の真心の全てを破壊した
秋谷、石田、野崎、宮川、原田、竹入、坂上、韮沢、外、戸田門下の時代逆行の輩。
先生を否定し、池田のやり方はおかしい!
俺の師匠は、戸田先生であり、池田ではない!
そういう師弟破壊の者共が、如何に金と女、権力に狂っていたか、検証したい。

今は全く行われなくなったが、かつて各地で行われた文化祭。
皆そんなに豊かではない中、文化祭の時着用するドレスやユニフォームを買い求めた。
その数、数百着。
私の手元には、その際に担当幹部がどれだけリベートを受け取っていたかのメモがある。
A社とB社が候補に上がると、値引き合戦が始まる。
その決定権を持つ担当者に、密かに4割バック、6割バックのマージンが入る。
伊藤園の自動販売機設置に於けるマージンと同じである。

バックマージンの分、ドレス代金から差し引いて会員さんの負担を軽くするのではなく、
値段は下げず、マージンは密かに担当幹部が懐に入れる。

ある地域の文化祭では、東京から来た幹部と地元の幹部が、
バックマージンの奪い合いで掴み合いの喧嘩になり、
中央の幹部が指示した解決策は、ユニフォームの作り替えであった。
演目の趣旨に合致しない、との事で数百の服が作り直された。
欲望にまみれた幹部の薄汚い金の奪い合いの為に、例え1人数千円とは言え、
会員さんの負担はいかばかりか。
しかし宝の会員の方々は、「先生に観て頂くんだ。先生に喜んで頂くんだ。」
と愚痴もこぼさず従った。
師匠と弟子の魂と魂が触れ合う文化の祭典の裏で、
欲に狂った輩の薄汚い搾取が行われていたのだ。
その事実を知られた師匠の苦しみ、落胆は如何許りであったか。

又、野◯ 勲が敷いたレールに接待財務なるものがある。
小説「さらば 信濃町 さらば信濃町慕情」によると、
先生が地方指導に行かれる際に、地方の会員さんたちは先生にと、
真心からの品々をお届けしたり、最高の物を食べて頂きたいと準備をする。
それは、自発的な真心の発露である。

所がそれを幹部が模倣し、強制するのである。
◯◯男子部長が長野に入って下さる。地元の青年部幹部は身銭を切って接待する。
先の方面の地方幹部は小さな町工場を経営しており、過度の接待の強制により、
運転資金が無くなり倒産。自らの命を絶った。

又、先生を追い出した信濃町は、野獣が跋扈する無法地帯と化していた。
新しく女子部の職員が入社すると、古参幹部や青年部幹部が物色。
自分の個人秘書にしたり、自分の部署に置いて、手なづける。
中には強姦もどきで純粋な心を踏みにじり、未だに診療内科に通っている女性もいると聞く。
「さらば信濃町」では、全国女子部の幹部で山梨県の幹部を父に持つ寺頭女子部長が、
No.374919と言うコードネームを持つ谷山青年部長と交際。
所が後輩の里山男子部長が、寺頭女子部長を譲って欲しいと、懇願。
了解した谷山は、寺頭さんとホテルで待ち合わせをして、そこに里山を行かせた。
ホテルの一室での事。何があったかは不明であるが、
かなり激しく暴れる音と女性の悲鳴が聞こえたと、客室係は証言しいる。
その後、あの爽やかな笑顔の寺頭女子部長の姿は消えた。
転輪会Gさんの証言によると、入院したとの事。
一応、地方とは言え、方面幹部クラスの父親は激怒。訴訟をちらつかせる。
「分かった、分かった、そう騒ぐな。娘が退院したら、それなりのポストにつけるし、
君の将来も保証するから 」と会長直々に言われ鎮静。
その後、寺頭女子部長は、中国方面の男子部B長と結婚。
それなりの立場を得て活躍中。

更に、「さらば信濃町」には、先生の近くでスパイ役?の婦人部幹部と、
声がデカイだけの幹部で山口県担当の時は、岩国のバーの佐和子嬢に
入れ揚げていた上村副会長の娘が、当時男子部長の弓山田と交際、
所が弓山田は、他に十数人の女子部と関係があると、判明。
上村の女房は、先生に昼夜を分かたず、弓山田をクビにしろと抗議の電話。
(無礼な不細工女め!)
先生ご出席の会合で、先生は弓山田の第六夫人に真実をお確かめになる。
その後、弓山田は先生から「この、ゲダモノ!」と面罵されたと言う。

更には九州の影のドンで、古参の吉林をアゴで使う男が
かなり強引に女性を物色し、九州の改革派の僧侶夫人にまで手を出したなどと、生々しい事まで「さらば信濃町」は述べている。

どうか、目覚めて欲しい。今の原田学会は邪教である事を。
では、どうすればいいのか?
先生を求め、御本尊様に池田先生・奥様の御健康、そして御長寿を本気で祈って欲しい。
そして、あなたの心の中にいらっしゃる先生と対話して欲しい。
心の中にいらっしゃる先生に聞いて欲しい。
今の原田学会のやっている事は先生の御指示ですかと。
先生は、明確に「 NO ! 」とお答えになります。
そして、知って欲しい!
あなたが先生の為にと思ってしている財務は謗法・邪教への布施であり、
罪になる事を!
あなたが手弁当で応援している公明党は、昔の慈悲を体現した先生の創られた公明党ではなく、
民衆を不幸にし、世界を戦争へ導く政党であり、支援自体が日蓮大聖人、
池田先生の平和思想への反逆であり、謗法であり、必ず大罰が下されると言う事実を!
 

潮出版社 後退

 投稿者:ルパン三世
 投稿日:2017年 9月21日(木)09時19分30秒
会員の浄財と池田先生頼りで、赤字経営を継続する潮出版社。役員は責任の重さを自覚せず、自分達の給与・賞与はカットせず、引退時の役員報酬を積み重ね、今日も呑気に突き進む。

解散総選挙によって、新刊3点の売れ行きはどうなるのだろうか?
先生のエッセー、評伝、原水爆禁止宣言。
いずれも学会書籍だ。
恐らく現場は啓蒙推進に取り組む余裕もなく、予想の売れ行きとはいかないであろう。

今期も赤字で経営陣退陣のシナリオが見えてきた。

一般的に戦略のミスは戦術では補えない。
と云われる。

新刊を出すタイミングを間違えた経営陣が無能ということだ。
戦略のミスであり、社員がどれだけ戦術を駆使してもこれを補えないであろう。

解散総選挙など読めるはすがない。
と言うのであれば、
潮出版社はもはや福運もなくなっている証だ。

仏法者でありながら、慈悲の心なく、非人道的行為を行い、
一方で社会的なルールに反していれば、人の心は離れ、福運もなくなるのは当然だ。
ついでに髪もなくなっていく。

次の総選挙では太田元大臣は出馬する予定はなかったが、急遽のことで出馬するとのことだ。

どうせなら、太田あきひろの書籍を集大成として書いといて貰えば、どちらに転んでも使えたのではないか。

学会本部は定期的な点検を。
学会本部は外郭のコンプライアンス相談窓口の設置を早急に。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、さぁ~、大変だぁ~「選挙」でネタがありましぇ~ん(笑)

 投稿者:カンピース
 投稿日:2017年 9月21日(木)08時52分10秒
おはようございます。原田怪鳥様、「選挙」で大きな行事を全て中止? したものだから、珍聞もネタが無くて困っているんデスかぁ~(笑)

ブラジル、ポンタポラン市から池田先生に功労メダル、奥様に顕章状、誠におめでとうございま~す、なんと8月24日、一月遅れの報道(笑)

ボリビア、サンタクルス県女性連合協会が奥様に「感謝状」、あわせておめでとうございまぁ~す、これまた9月1日、3週間遅れ(笑)

永遠の指針であるハズの池田先生の報道が、こんなに遅れる「珍聞」っていったいなんでしょうかぁ~(笑)

2面に至っても、台湾SGIに優良宗教団体賞の授与、誠におめでとうございま~す、これまた、授与式は9月1日、3週間遅れ(爆)

政教珍聞社の編集部の方々は、アタマがどうにかなっちゃったんデスかぁ~(笑)

これ、つまり、池田先生への顕彰も、SGIへの顕彰も、単なるこ都合主義のネタ合わせにすぎないと白状しているようなモノデスよぉ~(爆)

編集部の皆さぁ~ん、原田怪鳥様ばかり追いかけているから、七つに割れちゃったんデスかぁ~(笑)

今後は海外ネタにも気を配って下さいねぇ~(笑) こんなモノ、とても啓蒙できましぇ~ん(爆)


さてさて、「いつでも読める!保存もできる!」とSEĪKYО оnline の宣伝もいかがなものデスかねぇ~(笑)

紙媒体である「珍聞」の減部に歯止めがかからないのか? 今度は電子媒体で、ってコトデスかぁ~(笑)

一家人数分だけの珍聞購入はさすがに限界なのか? 今度は、一家のスマホ分だけ登録するのが怪鳥様のいう「信心」デスかぁ~(笑)

別に、小生は電子媒体自体を否定するつもりはありませんケドぉ~(笑)

小生も、コレにしようかなぁ~(笑)

でもねぇ~、原田怪鳥様、コレで、「政教珍聞」減部して、小生を除名するなんてコトがないように、期待しないで待ってまぁ~す(爆)




 

わが友に贈る 2017年9月21日

 投稿者:どうみょうてん
 投稿日:2017年 9月21日(木)07時21分44秒
未来を開くのは
自らの意志と力だ。
「よし、やろう!」と
目標を定め祈ることだ。
そこから無限の勇気が!
 

おはようございます。

 投稿者:幸せな人
 投稿日:2017年 9月21日(木)04時08分27秒
虹の戦士様、そうですね。はじめの動機はどのような境涯の一念であれ、御本尊様にお題目を唱えつづけるとどんどん良くかわっていきますものね。
私も大分良くなってきたと我ながら感じております。(^^)


私は入信当時先輩と一緒にお題目をあげると、ある一定のメンバーが集まった時に、よく今日は修羅界の人達だなあと言われ、そこに私がいつも入っていた事と、人生は生命の基底部で決まってしまうとの先生のご指導から、やはり仏、菩薩界を目指したいと思うようになりました。

以前、先生の学園生からの質問に答えたということで、たしかお題目をあげるとどうなりますか?という質問に対し、1時間あげると自分が変わる、2時間あげると相手が変わる、3時間あげると周りがかわる、100万遍あげると願いが叶う(だったような)700万遍あげると生命の基底部が変わる2000万遍あげると逃げても逃げても、福運がついてくる、7000万遍あげると信仰の王者になる。って聞いたことがあったのですが、それから生命が変わるくらい、お題目をたくさんあげようってなりました。
 

政治という道具を、宗教活動の主体とする愚考

 投稿者:創価選挙学会
 投稿日:2017年 9月21日(木)03時37分32秒
任用試験、本部幹部会の延期?
いつから、こんな打ち出しをする組織になったのか?

政治という道具が本義になり、宗教活動が道具と化してしまった。会員の宗教的精神を消費、浪費して、著しく価値を低下する愚考。

また、選挙大勝利のための必勝唱題会を各組織に指示して祈願させるのか?江原並みのオカルト世界になります。それが日蓮仏法を標榜した宗教的精神の組織なのか?

ここまであからさまに、選挙のためにほとんどの大きな会合、行事を延期・中止したことは無かったのでは?
大きな転換期、局面を創価学会は迎えましたね。
これも、池田先生のご意向に沿ったことなのですか?
了解を受けての緊急対応だとでも言うのでしょうか?

選挙に大勝利することがすべてなのか?その後には何が有るのか、ジッと対応を拝見させて頂きます。
 

 21世紀への選択 「宗教的精神」の蘇生をめざして P189  投稿します。

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月21日(木)03時21分36秒
第六章「宗教的精神」の蘇生━━ 価値を創造する魂

 21世紀への選択 「宗教的精神」の蘇生をめざして P189  投稿します。

ポイント

*、池田
 現代は「宗教的精神」が衰退しつつある時代だと思います。

・・・中略・・・
 欧米や日本では、明確に「宗教的精神」は枯渇してきています。

それとは裏腹に、非常に即物的に、オカルト的(神秘的、超自然的)、迷信的なものにひかれる

青年が多くなっているという指摘もあります。

*、テヘラニアン
 そう思います。皮肉にも、科学技術の進歩に歩調を合わせるかのように、呪術や迷信を信じる風潮が

広まっているのです。

 宗教的制度への確信が薄らいでいる一方で、精神性そのものへの希求が大きくなっているよう

にも思われます。

*、池田

 科学技術によって、人類は「無知の暗闇」を駆逐し、光にあふれた未来を手に入れるはずであった。

しかし、その行き着いたところは、ナパーム弾(焼夷弾の一種)の光であり、原爆の閃光だったのです。

また、駆逐されたのは暗闇ではなく、数限りない無辜(むこ)の民衆でした。

 すべてを照らす希望の光ではなく、すべてを消滅させる悪魔の閃光それは、暴力の暗闇の極みにほか

なりません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

20世紀は科学技術の発展によって、人類は、平和で幸福な世紀となるはずだった。

しかし、科学技術は原爆と言う悪魔を呼び出し、罪もない民衆が大量に殺されるという、広島、長崎の凄惨な
現場を現出するところとなった。

21世紀は、この蛮行に懲りて、平和で幸福な人類、世界中の人類が平和と幸福が共有されるであろうと思わ
れていましたが、それも、USAという暴力装置が起動して、アフガニスタン、イラクの悲劇、等々未だに収
束する様子はありません。

収束するどころではありません、北朝鮮と言う専制君主の出現によって、世界の人類が滅亡するかと思う、

危険性をはらんで、毎日はらはらしながら民衆は暮らしています。

若者は、スピリチュアルとか言って、湧き水に関心を寄せ、樹木に神を見て、その神秘なことを語って、

瞬時の喜びとしています。

高野山と熊野三山をめぐる旅が人気となり、神社に参り、四国88か所をめぐる、ツアーが沢山の人を集め

科学の進歩も、この迷信を止められず、学校でも学びでも、人の幸せと科学は、一致していません。

科学技術の進展により、人々は幸せになれると言う夢が破れたのです。

池田先生は、それに対して「宗教的精神」とは、虚無から未来を、絶望から希望を創造する精神の力ですと

人類救済の教えを説かれています。

鈴之助
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
週刊朝日より抜粋

世界を恐怖に陥れている、北朝鮮指導者。

朝鮮中央通信は16日、今回の発射は「実戦的な行動を確定する目的で行われた」と指摘。

正恩氏が「『火星12』の戦闘性能と信頼性が徹底的に検証され、戦力化が実現した」と述べたと伝えた。

また、正恩氏は目標としてきた核戦力の完成について「最終点にほぽ達した」と語ったとした。

8月29日、日本上空を通過した「火星12」の発射では、ミサイルを移動式発射車両で運んだ後、地上に降ろ

して打ち上げていた。

直接発射する場面を公開することで、ミサイルをいつでも迅速に発射できる能力を持つたとアピールした

可能性がある。

(ソウル・・・武田肇)
 

21世紀への選択 「宗教的精神」の蘇生をめざして P189

 投稿者:赤胴鈴之助
 投稿日:2017年 9月21日(木)03時16分33秒
第六章「宗教的精神」の蘇生━━価値を創造する魂

「宗教的精神」の蘇生をめざして P189

池田
 現代は「宗教的精神」が衰退しつつある時代だと思います。

とくに若い世代に、そうした傾向が顕著であるといわれますが、イスラム諸国では、

どうでしょうか。

テヘラニアン
 そうですね。「宗教的精神」についていえば、むしろ青年たちのほうが、

熱心にイスラムの教えを学んだり、イスラムの伝統的習慣を重んじていると思います。

その一方、イランでは、聖職者が権力を保持し、自らの足場を固めようとすることへ

の懸念もあります。

池田
 欧米に留学したイスラム諸国の青年が、そこで体験した現代文明の弊害に失望し

て、帰国後、イスラムの伝統に回帰するという例も少なくないそうですね。

欧米や日本では、明確に「宗教的精神」は枯渇してきています。

それとは裏腹に、非常に即物的に、オカルト的(神秘的、超自然的)、迷信的なものにひかれる

青年が多くなっているという指摘もあります。

テヘラニアン
 そう思います。皮肉にも、科学技術の進歩に歩調を合わせるかのように、

呪術や迷信を信じる風潮が広まっているのです。

宗教的制度への確信が薄らいでいる一方で、精神性そのものへの希求が大きくなっているよう

にも思われます。

池田
 科学技術によって、人類は「無知の暗闇」を駆逐し、光にあふれた未来を手に入れ

るはずであった。

しかし、その行き着いたところは、ナパーム弾(焼夷弾の一種)の光であり、原爆の閃光だった

のです。

また、駆逐されたのは暗闇ではなく、数限りない無辜(むこ)の民衆でした。

 すべてを照らす希望の光ではなく、すべてを消滅させる悪魔の閃光それは、暴力の暗闇の

極みにほかなりません。

テヘラニアン
 そのとおりです。二十世紀の歴史の悲劇です。

暴力が増大しているなか、人間精神が行き場を失っているといってよいでしょう。

池田
 技術とは、何らかの価値を生むための「道具」です。

それが、悪魔の閃光を生み、現在では情報すらも消費する、巨大な消費社会をつくりだ

してしまった。

テヘラニアン
 情報を「消費」する技術といえば、例えばテレビのようなものですね。

テレビやコンピュータなどによって、私たちは多くの情報を得ています。

しかし、その情報によって、本当に賢明になり、価値ある生き方が創造されているか

どうかは、疑問です。

ただ断片的な情報を消費するために道具や技術を使っている場合が、少なからずあります。

池田
 現代は、何かを「つくり出すため」ではなく、何かを「消費するため」に技術を

使う時代になっている。

さらに、技術自体をも消費する時代になってしまったのではないでしょうか。

テヘラニアン
 道具や技術が日々新しくなるような状況では、われわれは、それを使うというより、それを

次々と購入すること、すなわち消費することに没頭するようになっていきます。

技術社会は、技術それ自体を消費する動物のように見えます。

池田
 そうです。「消費する」とは、「価値を減らす」ということでしょう。

買ったばかりの商品はその値段の分だけ、さらにはまだ皆がもっていない珍しいものな

らば、所有する優越感の分だけ、価値があると感じる。

しかし、それが古くなったり、皆がもち始めると価値がなくなり、新しい「価値あるもの」

を買いたくなる。

そこには、価値を創造する喜びはありません。

「宗教的精神」とは、その逆ではないでしょうか。

 それは「価値を創造する魂」と言い換えてもいいでしょう。

 「宗教的精神」とは、路傍の草花にも、ときには何の変哲もない石にも、ともにいまを

生きているものとしての連帯感をもてる心です。

また、決して出会うことのない地球の反対側の人の幸福をも、真剣に願える心です。

テヘラニアン
 ご指摘のとおりです。人間の精神はその働きとして、より大きな価値を生み出しますが、

物を消費することは、価値を減退させることです。

池田
 それに対して「宗教的精神」とは、虚無から未来を、絶望から希望を創造する精神

の力です。

 冷笑主義者には、価値を紡ぎ出す魂がない。

その目には、すべてが無や無価値としか見えないからです。

科学は人間の外の世界を明るくしましたが、内の世界=人間の心は、暗闇のなかにあります。

 むしろ、人間の心を明るくするのは、哲学であり、「宗教的精神」なのではないでしょ

うか。

テヘラニアン
 同感です。その「宗教的精神」とは、ある特定の宗教や宗教制度に対する信仰心というより

、むしろもっと普遍的な、精神の在り方、生きる姿勢といえるでしょうか。

池田
 そのとおりです。残念ながら、そうした「宗教的精神」の衰退はますます進行しています。

 この危ぶむべき進行にどう対処すればよいのか。

 幸いにも、私たちは歴史にその処方箋をもっています。








 

同盟題目

 投稿者:
 投稿日:2017年 9月20日(水)23時57分4秒
今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

同調圧力に屈しない誇り高き創価学会員は現れるか?

 投稿者:珍説 谷川革命 (笑笑
 投稿日:2017年 9月20日(水)23時37分40秒
聖教啓蒙と言われれば、『聖教~聖教~聖教~』と内外問わずに歩き回り、唱題会と言われれば『題目~題目~題目~』と何を祈るかも分からずに集まり、財務だと言われれば、申込書を持参して『心からのご供養~』と述べながら、何に使われているかも考えずに、選挙と言われたら、信心活動を全部中断して『公明党~公明党~公明党~』と支援で動き回る。

次から次と、こんな指示ばかりする組織に同調していたら、自らの宿命転換・境涯革命の信仰が無くなってしまいます。同調圧力には屈しない是々非々の自立した創価学会会員になりましょう!!

そうしないと、精神疾患患ったり、鬱になりますよ~。
 

今こそ戸田先生の有名な「寸鉄」を。

 投稿者:連絡の局
 投稿日:2017年 9月20日(水)23時32分31秒
主任副会長だか事務総長だか知りませんが、そろそろ「肩書き」や、先入観でみていると「あの大幹部が」坊主か御僧侶かは、こちらの「信心のはかり」ではかる時期に来ています。

一、寸鉄居士よ御僧侶を坊主などと呼ぶと地獄へ堕ちるぞ!!

一、寸鉄居士答えて曰く「御僧侶を坊主と言った覚えなく、坊主を僧侶と呼んだおぼえはない」。

一、坊主が御僧侶の衣をつけたのと御僧侶が坊主の姿に見えるのとは皆信心のはかりではかるんだよ」

今や日蓮系の単なる在家坊主に陥った信濃町職員並び党関係者各位にに謹んで贈ります。
 

同盟題目23時より開始です。

 投稿者:信濃町の人びと
 投稿日:2017年 9月20日(水)22時58分25秒
よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康を祈ります。
 

教学試験受験会場変更

 投稿者:二限の亀
 投稿日:2017年 9月20日(水)22時47分8秒
それがですねココは一応大きな都市ですので常時使う会館は数カ所ありますので
会館のたらい回しです。最終的にはS54年に辞任後,先生が過ごされたところです。
 

52年の詫び状の原点はイケイケ原田、竹岡。北条、空き家は?

 投稿者:連絡の局
 投稿日:2017年 9月20日(水)22時35分32秒
連絡の局界隈において平成22年の報告事項から始まり近年に至るまでその数、凄まじいものがあった。だ原会長様、お得意の「詫び状」は今でも全国、方面から続々と届いてますでしょうかw。


M師弾圧の当事者、竹入義勝の埼玉弟(初代第1警備)の央。何処の施設で世話になってるらしい。あとは所詮、小者扱いではあるがトクダやら芝○、儀典の和○にいたっては牙城会元全国委員長だな。

時が来たので近々公開する。

悪いのは「北条」「野崎」「和泉」「辻」「山崎2人」「小泉」「空き家」「中西」「…コブ」「八矢弓」「原島」

党関係者「竹入」「矢野」。

大田原もいい気になって。カヨとの問題、いい加減にしろ!なんだ?党も実はろくでなしばかりではないか。

藤原行、竜、セルシオ市川、砂利田代も、カブ克也も。

全員、水滸会出身ではないか!




 

以上は、新着順1番目から50番目までの記事です。

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