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自殺は「遺伝」するのか? 行動遺伝学者が導き出した答えは…

家庭環境の影響はほとんど、ない

なぜあの人は命を絶ったのか

東京に電車通勤していると、毎日といっていいほど、どこかの路線で起こった人身事故による鉄道遅延のアナウンスが掲示板に流れる。そのために私を含めた大勢の人たちが足止めをくらい、仕事や約束に何がしかの支障が生ずる。

この街のどこかで、自らの命を絶った見ず知らずのひとりの人がこの世に残した最後の恨みを、引き受けねばならない儀式だ。一人の命を自ら絶ったことの重みが、その影響と損失の総体として、この世界に何がしかの「歪み」を投げ込む。

こんなとき、その見ず知らずの人が命を絶つ瞬間の思い、そしてそれに至るまでの経緯を、貧しい頭で想像してみる。きっと最初から死を選ぼうとしていたはずはあるまい。

あるときまでは家庭も仕事も順風満帆、将来の明るい希望に満ちていただろう。しかしあるとき、取引先の倒産か仕事上のちょっとしたミスかがきっかけで、その歯車に狂いが生ずる。

もちろん、はじめは狂い始めた歯車を元通りにしようと努めただろう。しかしその努力が別の狂いを引き起こし、失敗の連鎖を生んで、気がついたときには、築き上げてきた仕事の評価を失っていた。

「役立たず」の烙印を押され、家族の仲もずたずたになり、一握りの自尊感情も、将来に対する一条の希望の光も一切失われる。そして生きていること自体が他人に迷惑をかけるだけの罪な存在だと思い始め、「死」を思い描くようになる。

何度か衝動的に死のうとしたことはある。それでも死の恐怖が踏みとどまらせてくれた。しかしその日は何かがあったのだろう、駅のホームに立ったとき突然差した魔が、彼の最期を宣告した、と。

 

この話にどれほどリアリティがあるのかは分からない。現実はもっと複雑だろう。ただこの空想物語の中に、行動遺伝学者として、ある程度リアリティのある「偶然」と「必然」の両方の要素を織り込もうとした。

偶然のほうは、転落のきっかけになった最初のできごと、そのあとに続く負のスパイラルへと導いたいくつかのできごと。

一方、必然のほうは、やはり陥りかけた負のスパイラルを回復でなく加速させる方向に加担してしまったであろう、この人の判断能力や人のよさ、新しもの好き、落ち込みやすさなどの性格、そして低くなりがちな自尊感情や衝動性などである。

人間が社会の中で織り成す行動は、このように偶然と必然の網の目に浮かび上がる絵柄のようなものだ。

自殺は遺伝するか

自殺に至る「必然」などという言い方は不謹慎だとお叱りを受けそうだ。確かに生まれながらにして自死に導かれる宿命など考えるのもごめんだろう。

だが気分を害するから、不愉快だから考えないというのは科学的態度ではない。人間の行動の説明要因を科学的に探求する学問のひとつが心理学である。また一般に「必然」とか「運命」とかと呼ばれがちな説明要因が「遺伝」であろう。

その遺伝が、体や病気だけでなく、行動や心理――そのなかに自殺も含まれるわけだが――に及ぼす影響を明らかにしようとするのが「行動遺伝学」である。