試験・彼女・夏休み!

 

みなさん、どうも。

久しぶりの更新です。

一か月くらいですかね。

近況をごたごた書いていきます

まず、資格試験を受けました。

まぁ、とりあえず今年もこれはダメっぽいので、深く言及しません。

完全に言い訳ですが、引っ越して慣れない環境で院の勉強をしつつってのが難しかったです。

次に、なんか僕についに彼女的な存在ができたようです(祝

というかモテ期?が到来したようです、はい。

しかし、念願の彼女ができた割にはあんまり嬉しくありません。

それは贅沢な悩みかもしれませんが、あんまり好きって気持ちがないからでしょうか。

こんなんでいいのかなぁっていう感じで付き合いが始まってしまいました。

そして、夏休みが到来しました。

学生の夏休みは長いので、この期間にゆっくりしつつ、勉強を進めておきたいです。

勝てば官軍なんだ。

今はダメでも、合格さえしてしまえば、周囲の見る目も変わるし、自分も変わる。

そう自分に言い聞かせて、頑張ります。

今回はあんまり内容がありませんが、近況報告でした。

精神病になって10年


17歳の頃、高校不登校になった。

おそらくそのころから、統合失調症を発症していたのだろう。

すぐに精神科に連れていかれたが、やぶ医者だったのか僕の初期症状が解りにくかったのか、うつ病と言われた。

抗うつ剤を飲んで、ご飯食べて寝る。そんな毎日。

ほとんど寝てばかりいた。

一番つらいのが、ご飯を食べることだった。

はっきり言って引きこもってて食欲がなかった。

食欲がないのに、無理やりご飯を掻き込んでいた。

それは、自分が元気であることと、頭がおかしくなったんじゃないっていう叫びの表示でもあったし、学校に行かない負い目もあった。

まぁ、このころの日記はもうないし、僕にとってトラウマだし、記憶も曖昧だから、ここらへんにしておく。

あのころから10年が経過した。

病気と闘いながら、抗いながら、そして共に歩みながら、10年間過ごした。

色々なことがあった。

病気があって失敗したこと、できなかったこと。

病気があっても達成できたことも確かにあった。

絶えず病気を抱えている自分の可能性を模索してきたつもりだ。

絶望的な病気の狭間に微かに零れてくる光を辿って、ここまで歩んできた。

振り返ってみると、病気になった後踏みしめてきた道には、大雨に降られてぐちゃぐちゃになった泥にも確かに足跡が残っている。

僕はまだ道の途上にいる。

でもね、そろそろ限界に近いのかもしれない。

10年間苦しんだし、もう10年間か、20年間か生きるのかもしれないけど、とてもじゃないけど耐えれそうもない。

騙し騙し今まで綱渡りしたけど、もうよろけて落下しそうだよ。

なんか疲れちゃったな。

 

うつで動けない

どうもです。

あれですね、前回のエントリがすっごくポエムってて超恥ずかしいです。

なんか、黒歴史を振り返って、「あああああ」ってなる感じですね。

で、最近は、ネガティブ思考がぐるぐるループして、動けないほど鬱っぽかったです。

体調が悪いの一言で済まないほど悪い。

これは、何が原因なのかわからない。

将来の不安や性の問題、また病気や薬など色々絡み合っているのだと思います。

まぁ、でも1日の8割は動けませんが、2割くらいは動けるので、その間に何とかするべきことをちょこちょこやってなんとかしのいでます。

思考の悪い癖みたいなのが、よくないのだと思います。

ネガティブ回路に入ると、どんどんドツボにはまっていってしまう。

抜け出すためには、①視点を変える、②視野を広げる、の2つが大事だなと思いました。

なんとなく、ネガティブな感じだし、マイナスだけど負のエネルギーはすごいから、陰性症状というより鬱な気がするんですけど、どうなんでしょう。

陰性症状と鬱って似てる気がするけど、違いがよくわからないです。

自責の念と希死念慮が激しいから、気分障害の方の鬱っぽいのですかねぇ。

しかし、ほんの数カ月前までは院に入って一人暮らしできたら幸福度がかなり上がると考えていたのですが、全然ですね。

慣れとは恐ろしいものです。

でも、少しずつ進んでいっている気はするので、これで良いのでしょう。

あと、こんなにきついのに、バイトの求人に応募して履歴書を提出して面接の日程が決まってしまいました。

どうしようかな・・・と思うのですが、とりあえず、受けるだけ受けて、自分に出来ないことなら落とされるし、できるってことなら受かるだろうと思うことにします。

リスクとか考えると結局何にも行動ができませんから、せっかく自由なんだし、自分がしたいと思うことはできるだけ行動に移したいと思います。

終わり。

星に願いを

どうもです。

どうやら、僕は気になるあの子のことが本当に大好きみたいです。

あの子の為っていうのは嘘くさいし、押しつけがましい感じだからあんまり言いたくはないですが、あの子の為になるようなことがあれば何だってしたい。

そういう純な気持ちです。

でも、たぶん、一番は自分のため、なんでしょうね。

自分の為にあの子を手に入れたい。

そういう自己中心的な想いもあります。

なんで好きになったのでしょうか。

たぶん、救われたから、なのでしょう。

最初に会った日からずっと、僕の心は君に奪われてしまいました。

「人を好きになる」という人として一番大切な感情を思い出させてくれました。

僕の話をいつも笑って聞いてくれる君は、本当に可愛くて愛おしいです。

君が近くにいてくれるだけで、もう夏なのに僕の心は桜で満開です。

きっと君が隣にいてくれるのなら、もっと綺麗な世界が見えるのでしょう。

君はキラキラしていて、その笑顔は真っ暗な闇夜に朝を告げる太陽のよう。

君の言葉一つ一つが、星の煌きのように輝いて、僕の心を照らしてくれたから。

僕の存在理由は君でありたい。

例え君が僕を選ばないとしても。

僕の性依存と人生の方向性について


久々の更新になります。

えっと、まず、性依存症の話から。

僕は自分の性依存症をどうにかしなければ、この人生にっちもさっちもいかないとやっとのことで思い、これを治すために何とかしようと足掻き始めました。

まぁ、要するに僕の場合は、風俗通いがなくなればなくなればオッケーなのですが、とりあえずメンクリ自助グループに相談にいったりしました。

しかし、精神医学的にも決定打に欠けるところがあり、また田舎なので、相談に行ったグループは、そういうデリケートな分野の依存症治療する目的のグループではなかったです。

ゆえに、やはり自分で何とかしなければならないということになりました。

自分で何とかしようと思い、色々調べたところ、簡単にいうと主に2つの点に気を付けるといいことがわかりました。

1つは、依存症はちょっとずつやめるのは難しいから、一気にガッとやめるべきだということです。

もう1つは、(依存の対象の)替わりのものを見つけることです。

この2点を心がけて、とりあえず、脱性依存を頑張って行こうと思います。

そして、話は少し変わるのですが、僕のこれからの人生について、少し書こうと思います。

僕は、今まで、風俗通いが自分にとって人生唯一の楽しみだと思っていました。

だから、働いてお金を稼いで、自分の稼いだ範囲内で風俗に通えれば僕の人生それでいいやって思っていました。

でも、それが依存的になり、苦しみの原因に徐々になっていき、このような状態になってしまいました。

僕にとって、結論的に、風俗は楽しみではなくなってしまったのです。

僕は何を目指せばいいのかわからなくなりました。

好きな女性と付き合って結婚できれば最高だと思うのですが、精神病を持っているし、そもそも男としての魅力に乏しいので、難しいと思うのです。

そして、万一それができたとしても結婚した先に幸せはないと自分で思ってしまうのです。

僕は、女性と交わる手段が基本的に風俗通いしかなかったので、脱風俗通いが成功すれば、もう2度と関わることがないのかもしれません。

それはそれで少し寂しい気もします。

でも、仕方がありません。

以前は、風俗通いする前提で、そこそこ稼げそうな職業を選んで、それを目指していました。

しかし、今は、その前提がなくなってしまい、やる気やモチベーションがほぼ完全になくなってしまいました。

僕は特に物欲などもなく、風俗通い以外の浪費癖もないし、結婚もしない(できない)。

そうであれば、風俗通いするために稼ぐ必要はもはやないので、もうそこら辺のバイトとかで一生食いつないでいい気がしてきたのです。

自分で食べていけるだけ、アルバイトで稼いだらもうそれで十分だと思うのです。

目指すべき方向が、間違っていたのかもしれません。

そんなにしたくもないがそこそこ稼げる職業を目指そうとして、なんかバカみたいな結果になってしまいました。

こんな状態であれば、いっそ自分のしたい職業を目指したらいいのかもしれません。

それはそれで茨の道なのですが、一生アルバイトで終えることを思うと、別にどう生きてもいいし、好きに生きた方が得な気がしました。

終わり。

 

非モテから見たレディ・ファースト


周りの女の子たちが、やたら「レディ・ファーストができる男の人っていいよね」って言ってくるけども、僕は絶対にしないつもりだ。

だって、僕にメリットがないからだ。

ブサメンがレディ・ファーストしてもキモいだけだからだ。

イケメンがレディ・ファーストするから「いいよね」になるんだと思う。

結局のところ、何をしたか(レディ・ファーストするかしないか)?ではなくて、誰が(イケメンorブサメン)したかが着目されるのだ。

ブサメンは女の子にどんなに優しくしてもキモいだけだし、イケメンは女の子にどんな酷いことをしてもカッコいいし許される。

「何をしたか」ではなく、「誰がしたか」で見られる。

世の中って結局そういうことだよなと思った。

 

何の為に生まれてきたのだろう


幸せって何だろう。

僕が得ることができる幸せは、きっと普通の人から見えれば不幸の範疇なのだろう。

僕には、どうしてもやりたい仕事があった。そして、自分の家族、妻子を持ちたかった。

でも、もはやどちらも叶わぬ夢だ。

今となってはバイトでも何でもいいから、最低限自分一人で食べていければ、それで御の字っていう状態だ。

なんでこうなってしまったのだろう。

必死に頑張っても、普通どころか生きていくだけでもやっとだ。

なんでこんなに頑張らなきゃいけないんだろう。

自分で勝手に頑張っているはずなんだけど、頑張ることが義務化してるよ。

しかも頑張っても得られるものは、良くて劣化版普通だ。

せめて、やりたい仕事か、妻子を持つことのどちらか一方でも叶えることができるのであれば、希望を持つことができる気がする。

でも、もうどちらも叶うことはないのだから、生きている意味、頑張っている意味がよくわからない。

生きていても意味がない命なら、死んだ方がいいのかもしれない。

うつ的な時、よくこのような思考になるから、危ないんだろうな、今の状態。

僕は何の為に生まれてきたのだろう。