オニテンの読書会

文化・民俗や、オススメ本の紹介、思ったことも書きます。

勉強禁止の家に生まれて。

 わたしは、勉強をしていると妨害される家に生まれました。理解しにくいとは、思いますが、中学生や高校生の頃は、家で勉強していると「勉強なんかするな」と親に、とくに父に言われたのです。定期テストも、勉強していれば、「勉強なんかしなくていい」と父親に言われ、受験勉強していれば、「そんなことより、お父さんとテレビを見よう」と言われたものでした。

 大学受験の時は、「勉強しないで、浪人してほしい」と言われました。

 ですから、わたしが勉強したのは、全て、自発的、自律的な学習でしかない、と言い切れます。親の眼を盗むように、隠れ、勉強をしたこともあります。人生、両親に勉強を強制されたことは、一度もなく、「勉強はしなくていい。スポーツをしてほしい。」と言われ続けていました。

 今回の記事では、わたしの人生を振り返りたいと思います。それぞれの学歴を言いますと、父は慶應卒、わたしと兄は旧帝大大学院卒です。

 

小学生時代、九九は全くできない。

 わたしは、小さい頃から、「勉強なんかしなくていい」と言われてきました。理由は、「意味がない」というものでした。幼い頃のわたしは、勉強も嫌い、ゲームが好き、といった具合で、宿題も放棄して、ゲームや釣りをし続けるワンパク少年でした。

 親は、最新のゲーム機は買ってくれるし、門限もなし。遊び放題の、小学生時代でした。友人からは、よく「タカギ君の家に行くと、視力が落ちる」と言われていました。これは、好き放題ゲームができることから言われたものです。

 そんな環境で、ワンパクなわたしは、ひたすらに遊びます。小学生でしたが、夜12時くらいに起きていても何にも言われず、ただテレビをみたり、ゲームをしていました。そんな環境ですから、成績は最悪です。

 まず、小学生の頃は、九九はわからない。授業では、ノートなんかとることはない(これは、大学まで続きます)。宿題は、絶対にしない(高校でも、これは貫きます)

 ただ、わたしが好きな分野については、父が本を買ってきてくれました。釣りの本や、歴史の本でした。しかし、勉強については、まったくもって、無関心であったと思います。

 父が買ってくれた本で、わたしの人生に大きく影響を与えた本が、これです。

目からうろこ NHK週刊こどもニュース・スペシャル小学生の大疑問100

目からうろこ NHK週刊こどもニュース・スペシャル小学生の大疑問100

 

  この頃、いまは、全国的な知名度を誇る池上彰さんが、お父さん役で、柴田理恵さんがお母さんを役をしていた、画期的なニュース番組、『週間こどもニュース』に、ハマっていたのですが、父がこの番組の本を買ってきてくれました。

 わたしは、この本を、ひたすらに、時間があれば、読み続けました。あくることなく。

 この頃、学歴というものに気づき始めました。

 

中学生、反抗期に勉強を始める。

 まったく勉強をしなかった小学生時代から、中学生になると思春期をむかえ、親の言っていることに不信感を感じるようになりました。わたしの場合、「勉強って、必要なのでは?」というものでした。この頃、九九はできませんでした。

 というのも、テレビで見るクイズ番組では、慶應卒とか、早稲田卒とかいうタレントさんやアナウンサーさんが、ひっきりなしに「インテリ」として、登場していたのです。

 父は、「慶應はバカが行くところ」とわたしや兄に、言っていたのですが(これに関しては今でも言い続けています)、「お父さんて、いわゆるインテリなのでは?」と、思っていました。この頃、「勉強した方が、良いのではないか」と、反抗期を迎えるとともに、考え始めます。

 わたしは、反抗期に、勉強を始めることになります。

 この頃、剣道を初めたわたしに、この本を買ってきてくれました。

新・剣道上達講座

新・剣道上達講座

 

 わたしの住んでいた地区では、剣道の強豪校は、進学校でした。この本から、剣道に目覚めたわたしは、進学校に進むことを決めます。 

 

 それでは、父は、何故にわたしに勉強をしてほしくないと思っていたのでしょうか。

 

 

祖父の銀時計と、スパルタ教育

 後から知ったことですが、わたしの父方の祖父は、早稲田大卒で銀時計を授与された人物でした。戦後間もない頃ですが、早大大学院を出て、法曹界に進みました。

 しかし、祖父は、そこで学閥に苦しみます。そうです。東京大学卒ではなかったのです。私大卒だったのです。そのことから、祖父は、父や叔母に「東大に進むように」と、教育を始めました。

 スパルタ教育のうまくいかず、叔母は東大を落ち他の旧帝大へ、父は一族の「落ちこぼれ」として慶應に進むこととなります。父が慶應を選んだ理由は、早稲田に進んだ祖父への小さな反抗でした。

 父は、少年時代祖父の仕事から、引越しを繰り返し、部活動を続けることが難しい状況にあったといいます。その経験から、子どもたちには、勉強よりもスポーツをしてほしい、と思ったようです。

 

中高、禁止されるとしたくなる。

 わたしと兄は、両親の制止を振り切り、勉強をすることになります。ただ、父のスポーツを頑張ってほしい、との願いは、わたしと兄は忠実に守り、結果として、二人とも各スポーツで全国大会に出場することになります。父は、このことをとても喜んでいました。受験の結果よりも。

 今でも、鮮明に覚えていますが、父が、わたしの大学受験中に「お願いだから、浪人してほしい。勉強は、いつでもできるから、一年くらい遊んだらどうだろうか。」と、言われ、「お願いだから、勉強させてください」と泣きながら、言ったことを覚えています。今から、考えれば異常ですが、その頃は、勉強は、両親に説明しなければ、できないこと、必要だから、するんだと、説明することでできるものであると、思っていました。

 親の眼を盗み、説得し続けた大学受験の結果は、志望の国立大学への合格でした。

  (正直、親の妨害がなければ、もっといい大学にいけたのでは、とも思いますが、、、ゲームやり放題だったし、遊びまくったし、良いか!!と思っています。)

 

 勉強禁止の家に生まれて、わかったことは、勉強は自発的にやることが、良いということです。勉強禁止にされると、反抗期になると、「勉強しよう!!」と思います。

 ですので、あまり、「勉強しろ!!」というのではなく、「お前がやりたいようにやれよ」と、言うのもいいかもしれません。

 それで、勉強しないのであれば、その子は、そういう子のなのですから。

 

 母の本棚にあった本です。未読ですが、「ああ。俺とお兄ちゃんて、危険なほど素直だったんだ」と思いました。「勉強しなくても良い」と鵜呑みにしていたくらいなのですから。

素直な子にひそむ危険

素直な子にひそむ危険

 

  一体、どんな内容なのか、気になりますね。

 

 

 

 

 

 

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