敬老の日も過ぎ、今更ですがね。今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」に乗っかりますよ。
初めましての方も、また来てくださった方も、こんにちは!
私、おばあちゃん子なんです。
両親は共働きでしたので、学校帰りは弟とおばあちゃんちに帰ってました。
おばあちゃんは几帳面な人で、何十年も細かく家計簿をつけていました。
これなんですけどね。
創刊したのは1950年らしいですよ。
今もきっと変わらないと思うのですが。
1週間が見開きになっていて、下にちょっとしたメモが書けるようになっています。
毎日、かかしたことがないので書かないと気持ち悪いそうで。
1度だけ、見せてもらったんですけどね。
メモのところには、一言日記のようなことが書かれていました。
その日そこには「美恵さんの誕生日」と書いてありました。
恵美さん、というのは自分の長男の元嫁です。
どうやら何か贈り物をしたようでした。
当時のおばあちゃんは、百均で買った毛糸でアクリルタワシを鬼生産していたので、きっとそれをプレゼントしたのではないかと、にらんでます。
色使いも綺麗で可愛いんですよ。
その時は何も疑問に思わなかったのですが、今思うと、なんで元嫁の誕生日を祝うんでしょうね。
「縁」を大切にする人だったので、そういうことなのかなと思います。
息子と離婚することになる前も、その後も、息子の事は悪くいっても、お嫁さんの事は絶対悪く言いませんでした。
他人の悪口を言うことは、天井にツバを吐くこと、と。
顔を天井に向けて、口から吐いたものが自分に戻るしぐさを指でジェスチャーしてみせました。
とにかく掃除が好きで、古い家でしたがいつもピカピカに磨き上げていました。
玄関とトイレの掃除は特に念入りに。
玄関が散らかっている家は、中もだいたい散らかっている。
玄関から、いつも気持ちのいい風が入るようにしておきなさい、と。
トイレが家に無いと大変なことになる、家の中で最も大切な場所。
掃除するときには感謝の気持ちを込めなさい、と言っていました。
その後で「トイレの神様」が流行ったので、そのテがあったか!と思ったんですけどね。
おばあちゃんには、ふたりの娘がいました。
私の母と、母のお姉さん。
母のお姉さんは小学2年生で亡くなったそうです。
小学校が増築中で、遊んでいたボールが材木の間に入ってしまい、それを取ろうとして材木の下敷きになったのだそうです。
今なら、学校側の責任を問われ大問題になるような事故ですが。
当時は何があっても学校は正義だったようです。
ちょっと意味わかりませんけど。
時代なのでしょうね。
8歳の子供を亡くす親の気持ち。
想像できません、きっと私なら病んでしまう。
そして、私の母もおばあちゃんより先に亡くなりました。
蘇生の甲斐もなく、医師からご臨終ですと告げられた時。
だんだん冷たくなっていく、母の足をさすりながら、おばあちゃんはポロポロと涙を流していました。
冷たくなってほしくない、まだ逝ってほしくない。
その想いだけでひたすら足をさすり続け、泣いていました。
自分より先に子供が逝ってしまう絶望感に、その細い身体は震えていました。
集まった親戚も、おばあちゃんにかける言葉もなく。
しばらくして足をさするのをやめ、おばあちゃんはとうとう泣き崩れ、娘の遺体にすがりついて言いました。
り、梨子ぉぉ!!
アンタまで先に逝ってしまうなんてぇぇ・・・
周りにいる全員が、え?という顔になりました。
もちろん、おばあちゃんはボケてません。
たまたま私と私の母の名を間違っただけです。
それだけ気が動転していたんでしょう。
おばあちゃんは間違いに気が付かず、遺体にすがりついたまま、もう一発!
梨子ぉぉぉ!!
お、お姉ちゃんに会ったら、私ももうすぐそこにぃぃぃぃ・・・号泣
親戚全員が、私の顔をみるわけです。
おい、婆さんが呼び間違ってるぞ!
心の声が聞こえます。
ついに私は、泣き崩れるおばあちゃんの肩を叩いて言いました。
おいおい、梨子は私だから、まだ生きてっから。
すると、やっと間違いに気が付いたおばあちゃん。
あれ?・・・苦笑
張り詰めた空気が少しだけ和らいで。
お母さんも天国に上がる途中、振り返って笑ってるような気がしました。
最後まで、読んでくださりありがとうございました。
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