「私がこんなに我慢しているのに、なぜあなたは我慢をしないの?」
「私と同じように、あなたも我慢しなさいよ」
という思考は、私の特徴的な性格の一つ。
これが非常にやっかいなのよね😅
今日は、こういった私の性格との付き合い方について話します。
繁忙期が苦痛でしかたない私
私の仕事では、年に一度、繁忙期がやってくる。
もう少し正確に言うと、全体的に忙しくなるのではなく、ある特定の仕事が極度に集中する時期があって、その特定の仕事に追われるのだ。
この仕事は、死ぬほど忙しくなって、会社としては損益を左右するほどの重要な仕事であり、そして私だけがその仕事の担当であり、誰も手伝ってくれないという仕事だ。
というわけで、私はこの仕事が苦痛でしかたない😫
我慢が積もってくると
「なぜ私だけが会社のためにここまでやらなければならないのか」
「私がこんなに我慢しているのだから、他の人達も我慢して同じ仕事をやるべき」
という被害者意識がもたげてくるんだよね。
頭にきたので、一度会社でキレた
昔なら黙って我慢し続けていたところ、最近は会社で怒りをぶつけることを厭わないので、一度キレたことがあった😎
「会社の損益を左右するくらいの仕事なのに、なんで私だけがやらされてるんですか?これをやってもやらなくても、私の給料が変わらないなんてふざけてません?会社の理念に『互いに協力する』なんて書いてるのは飾り物ですか?💢」
私がキレると、「お前の言い方が気に入らない」などとトーンポリシングされながらも、なんとか社内で分担しようということになった。
あーよかった❤メデタシメデタシ……じゃなーい!
この分担にも納得できない私。分担するといっても、明らかに私の負担が過重である。(私が9割の負担で、他の人全員で1割みたいな感じ💦)
しかもその1割の仕事っぷりが雑すぎて、話にならない😫
ちゃんと作業の標準化をして、社内勉強会までも開いたのにもかかわらず、なのよ。
私は余計に「あなたたちも、私と同じくらい努力しなさいよ!」というイライラを募らせるわけですよ。
我慢にまつわる私の特徴
他人に対しても同じように我慢を強いる時、要するに私は義務に対してキャパがいっぱいいっぱいなのだ。
私の中で赤信号が灯っていると考えてもいい。
分担割合やクオリティの問題は確かにあるにせよ、私はキレて、物理的に(多少は)楽になったことには違いない。しかし新たな不公平感や不満が湧き上がる。どうも私としては、分散させて楽になることが目的という他に、私の苦労を理解し、尊重してほしいという気持ちも大いにあるようだ。
他人が同じ我慢をしてくれなければ、どうするか
しかし、他人にもキャパがある。私とはスキルも経験値も異なるので、私と同じように負担もできないし、私と同じようなクオリティで仕事をすることは、そんな簡単にはできない。
では、私はどうすべきか。
残る手段は、果たすべき義務についてハードルを下げることではないかと思う。
会社が赤字になってもいいのか?お客さんの期待に応えなくてもいいのか?勝手に義務のハードルを下げるなんてありえない!
という声が、自分の中から聴こえてくるような思い。
いやもちろん、分担したり、何かの解決策があって(例えばAIやIoTなんかで大幅に効率化するとかで)負担軽減できるんだったら、それがいいに決まっている。
しかし何事にも現実的な水準というものがある。どうしても解決策がないのであれば、
「もう私はこれ以上の仕事は受けられません。あしからず」
と、自分の限界点に線を引き、限界点を越える仕事については受けないと宣言をするしかないのではないかと思う。
私の場合は、物理的に負担を軽減するということのほか、心理的にも私の苦しみを理解し、尊重してほしいという気持ちが大いにある。残念ながら、他人が私の心の中を覗き込み、私の苦しみを理解し、尊重することは、難しいと思う。
となれば、他ならぬ私自身が、私の苦しみを理解し、尊重してあげるほかはない。それなしに我慢を続けることは、自分で自分を裏切り続けていることと同じこと。
唯一無二の私以外のだれが、私を理解し、尊重できるというのか。
心に赤信号が灯ったとき、私の限界点を超えるほどの義務は「抱えきれない」と認めてしまい、抱えきれるぶんだけを負担するように、自らのハードルを下げるのが最善だと思う。
というわけで、本件について私は
「○件以上の案件は受けられない。会社がこれを飲めないならば、俺をクビにしろ」
と開き直っている😅
もちろん宣言した以上、相応のリスクを負うのは当然だろう。
でもそれでいい。
リスクを負ってでも、私は私自身を全力で守ると決めたのだから。
えっ?そんな無責任なことはできないって?
その気持ちは大いにわかる。
でも、自分自身に対して無責任であることを放っておく道理もないのよ😉