結論から言うと、アニメ評論家なんか要らない。
ネット以上に優れた言説が出ないからだ。
若い頃は「大人の事情」で出せないもんだと思っていたが、そうではなかったみたい。
能力が「その程度」なのだ。
所詮は「オタクのなれの果て」だったということだ。
じゃあ岡田さんは?と言われると、うーんとなってしまう。
彼は去年のクリスマスのイベントで「自分は(『アメトーーク!』的な意味の)芸人でいいんだ」と言い切った。
敢えてプライドを捨てた素晴らしい英断、素晴らしい発言だと思うが、その分彼は「評論」から片足出してしまったようにも思える。
それ以外にも廣田さんとか、骨のある論者はいる。
しかし、それでも、うーんとなってしまう。
僕が評論家に一気に幻滅した「事件」がある。
『かんなぎ』を終えた直後だ。
評論家として名高い「彼」は、長年の自分の連載である監督・クリエイターのインタビューをしに、僕の所へやってきた。
こちらとしては名誉の限り、喜んで受けた。
A-1のスタジオ内で、『かんなぎ』プロデューサーS氏立会いの下行われた。
最初は和気藹々のムードだった。
しかし『かんなぎ』の最終話をめぐって、「彼」の態度が一変した。
「あれは、どうしてああなったのかね?」
ああなったもこうなったも、ほぼ原作のままだ。
尺を埋めるための演出は多少したが、オリジナル要素はほぼない。
それをそのまま説明すると、信じられないひとことが飛び出した。
「君は普段大口叩いておいて、この程度かね?」
そりゃもうカチンと来たが、まだ敬意を払っておこうと思って、冷静に反論した。
普段大口叩くのと作品の出来はリンクしません。確かに作品の出来不出来はあるかも知れない、しかし「普段大口叩いているから」と言う理由で作品批評をリンクさせ、ハードルを上げるのは、評論家としてどうなのよ?
という内容を、できるだけ冷静に、穏やかに話した。
すると「彼」は、やにわに怒り出し、
「もういい!不愉快だ!帰る!」
と、何一つ議論や批判をすることもなく、一方的にキレて帰ってしまった。
残された僕とS氏、しばらくポカーンとなった。
S氏、さすがに気を遣ってくれたのか、
「メシでも行きましょう」
と、A-1の別のプロデューサーO氏も誘って、昼食に行った。
そこでS氏は、僕を慰めるように、
「えーとさっき、キチガイが来ましてね・・・」
と、O氏に一連を話した。
「うわー、そりゃ災難だったね」
と、まぁそんな形で取り繕ってくれたのだ。
未だにあれが、今の「アニメ評論家」を象徴するに相応しい「事件」だと思っている。
要は、知識ばかりのオタク的な頭でっかちで、理論がないのだ。
これが蓮実重彦先生ならば、本職真っ青の演出論、ショット分析を展開し、僕を打ち負かしたことだろう。
淀川長治先生なら、「偉そうに映画語っているが、どんだけ知ってるのか言ってみなさい」と、圧倒的な知識量で捻じ伏せただろう。
「彼」は、そのどちらもできず、ただ支離滅裂に感情的になって、帰ってしまった。
「アニメ評論家」の限界だ。
理論化・理論武装ができない。知識の有益な活用方法を知らない。
そもそも、議論に慣れていない。
好きなものにただしがみついていたい、その一心で、業界と馴れ合う。
ちょっと生意気な小僧が出てきたら、「生意気な」とムカつくだけで、その鼻をへし折ることも、苦言を呈することもできない。
ただ、結託して「ムラ」から排除する。
こうして「アニメムラ」に固執して、ただひたすら排他的になる。
いや、オブラートにくるむのやめよう、要は「バカ」なのだ。
アニメが好きなだけでやっていて、業界をどうすればいいか、とか、学術的にどう定義すればいいか、とか、どう巷を啓蒙すべきか、とか、そんなのには全くの関心がないのだ。
単に年老いた「アニメオタク」というだけなのだ。
それは岡田氏の言う「貴族世代」でも「エリート世代」でもない、そこからドロップアウトしてしまった残党、「ポタク」なのだとも言える。
その他の事案でも、彼らの排他性と理論的根拠のなさ、「ムラ意識」の強さを目の当たりにして、辟易した。
ここで再度言おう。「アニメ評論家」など要らない。
アニメに何の役にも立ってないからだ。
もちろん、岡田氏や廣田氏など、問題意識を持ってなんとかしよう、あるいは呼びかけようとしている人も、中にはいる。
しかし、すっかり硬直して融通の利かなくなった「アニメムラ」を、一旦解体でもしないかぎり、そんな働きかけが業界内に浸透するとは思えない。
僕が評論活動を辞めたのもそのせいだ。こういうやり方では、業界にまったく響かない。
言葉遣いを変えるしかない。そのためには「アニメ評論家」など名乗ってはいけない。
彼らと同族だと思われてはいけない。
最後にもう一回言っておく。「アニメ評論家」など要らない。
ネット以上に優れた言説が出ないからだ。
若い頃は「大人の事情」で出せないもんだと思っていたが、そうではなかったみたい。
能力が「その程度」なのだ。
所詮は「オタクのなれの果て」だったということだ。
じゃあ岡田さんは?と言われると、うーんとなってしまう。
彼は去年のクリスマスのイベントで「自分は(『アメトーーク!』的な意味の)芸人でいいんだ」と言い切った。
敢えてプライドを捨てた素晴らしい英断、素晴らしい発言だと思うが、その分彼は「評論」から片足出してしまったようにも思える。
それ以外にも廣田さんとか、骨のある論者はいる。
しかし、それでも、うーんとなってしまう。
僕が評論家に一気に幻滅した「事件」がある。
『かんなぎ』を終えた直後だ。
評論家として名高い「彼」は、長年の自分の連載である監督・クリエイターのインタビューをしに、僕の所へやってきた。
こちらとしては名誉の限り、喜んで受けた。
A-1のスタジオ内で、『かんなぎ』プロデューサーS氏立会いの下行われた。
最初は和気藹々のムードだった。
しかし『かんなぎ』の最終話をめぐって、「彼」の態度が一変した。
「あれは、どうしてああなったのかね?」
ああなったもこうなったも、ほぼ原作のままだ。
尺を埋めるための演出は多少したが、オリジナル要素はほぼない。
それをそのまま説明すると、信じられないひとことが飛び出した。
「君は普段大口叩いておいて、この程度かね?」
そりゃもうカチンと来たが、まだ敬意を払っておこうと思って、冷静に反論した。
普段大口叩くのと作品の出来はリンクしません。確かに作品の出来不出来はあるかも知れない、しかし「普段大口叩いているから」と言う理由で作品批評をリンクさせ、ハードルを上げるのは、評論家としてどうなのよ?
という内容を、できるだけ冷静に、穏やかに話した。
すると「彼」は、やにわに怒り出し、
「もういい!不愉快だ!帰る!」
と、何一つ議論や批判をすることもなく、一方的にキレて帰ってしまった。
残された僕とS氏、しばらくポカーンとなった。
S氏、さすがに気を遣ってくれたのか、
「メシでも行きましょう」
と、A-1の別のプロデューサーO氏も誘って、昼食に行った。
そこでS氏は、僕を慰めるように、
「えーとさっき、キチガイが来ましてね・・・」
と、O氏に一連を話した。
「うわー、そりゃ災難だったね」
と、まぁそんな形で取り繕ってくれたのだ。
未だにあれが、今の「アニメ評論家」を象徴するに相応しい「事件」だと思っている。
要は、知識ばかりのオタク的な頭でっかちで、理論がないのだ。
これが蓮実重彦先生ならば、本職真っ青の演出論、ショット分析を展開し、僕を打ち負かしたことだろう。
淀川長治先生なら、「偉そうに映画語っているが、どんだけ知ってるのか言ってみなさい」と、圧倒的な知識量で捻じ伏せただろう。
「彼」は、そのどちらもできず、ただ支離滅裂に感情的になって、帰ってしまった。
「アニメ評論家」の限界だ。
理論化・理論武装ができない。知識の有益な活用方法を知らない。
そもそも、議論に慣れていない。
好きなものにただしがみついていたい、その一心で、業界と馴れ合う。
ちょっと生意気な小僧が出てきたら、「生意気な」とムカつくだけで、その鼻をへし折ることも、苦言を呈することもできない。
ただ、結託して「ムラ」から排除する。
こうして「アニメムラ」に固執して、ただひたすら排他的になる。
いや、オブラートにくるむのやめよう、要は「バカ」なのだ。
アニメが好きなだけでやっていて、業界をどうすればいいか、とか、学術的にどう定義すればいいか、とか、どう巷を啓蒙すべきか、とか、そんなのには全くの関心がないのだ。
単に年老いた「アニメオタク」というだけなのだ。
それは岡田氏の言う「貴族世代」でも「エリート世代」でもない、そこからドロップアウトしてしまった残党、「ポタク」なのだとも言える。
その他の事案でも、彼らの排他性と理論的根拠のなさ、「ムラ意識」の強さを目の当たりにして、辟易した。
ここで再度言おう。「アニメ評論家」など要らない。
アニメに何の役にも立ってないからだ。
もちろん、岡田氏や廣田氏など、問題意識を持ってなんとかしよう、あるいは呼びかけようとしている人も、中にはいる。
しかし、すっかり硬直して融通の利かなくなった「アニメムラ」を、一旦解体でもしないかぎり、そんな働きかけが業界内に浸透するとは思えない。
僕が評論活動を辞めたのもそのせいだ。こういうやり方では、業界にまったく響かない。
言葉遣いを変えるしかない。そのためには「アニメ評論家」など名乗ってはいけない。
彼らと同族だと思われてはいけない。
最後にもう一回言っておく。「アニメ評論家」など要らない。