Buddhism Navi

人は、どのようにしたら、よりよい生き方ができるでしょうか。お釈迦さまの教え(仏教=Buddhism)は、いつでも、どこでも、誰にでも当てはまるものであり、教えを日常生活に生かしていけば、毎日を前向きに生きることができ、私たちをより幸せな人生へと導いてくれます。

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「日常生活を正しくする道」 八正道

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■八正道とは

前回は『十二因縁』を学びました。世の中の成り立ちを正しく見つめ、正しい生き方が身につくと、悩み苦しみのない毎日を送ることができます。

正しい生き方とは、以前学んだ『三法印』の真理を生活にいかすということです。その実践の一つが『八正道』で、「正見」「正思」「正語」「正行」「正命」「正精進」「正念」「正定」の八つの道です。

すべての頭に「正」の字がついているのは、『三法印』で学んだ真理(諸行無常=すべての物事は必ず変化する、諸法無我=すべては関係しあって存在している)に沿ったという意味がこめられています。物事を自分本位に、あるいは固定観念によって見たり考えたりせず、すべてを平等にいかすということです。

人生は長い道のりです。迷いや不安、恐れを感じることもあります。しかし、真理を生活にいかしていけば、もう迷うことはありません。これから学ぶ『八正道』は、人生に安心を与え、輝いて生きていくための道しるべなのです。それでは、その内容を一つ一つ学んでいきましょう。


正見
自分中心の見方や偏った見方をせず、物事を正しく見ること。

正思
むさぼる心や怒りの心、我を押し通す心を捨て、すべてを正しく、大きな心で考えること。

正語
うそ、二枚舌、悪口、でまかせな言葉のない正しいものの言い方をすること。

正行
意味なく動植物の生命を絶つ、盗みを働く、道ならぬ男女の過ちのない正しい行ないをすること。

正命
人のため、社会のための正しい仕事で得た収入で、衣食住の生活必需品を正しく求めること。

正精進
「精進」の「精」は「まじり気のないピュアなこと」という意味で、自分がめざす正しい目的や目標に対して、一途に努力しつづけること。

正念
常に正しい心をもち、正しい方向に心を向けつづけること。

正定
心をいつも正しくおいて、周囲の変化によってグラグラ動かされないようにすること。

でも、これだけの説明じゃ、なかなかわからないよね。そこで、『八正道』を具体的な事例に当てはめて考えてみましょう。

■事例研究

ぼくは、いま卓球部のキャプテンを務めています。卓球部は伝統があり、とても厳しい部として学校でも評判です。顧問のT先生がいるときは、みんな一生懸命に練習するのですが、先生がいなくなると、とたんにさぼる部員が出てきます。ぼくが注意すると、同級生のB男は「そんなに一人で張り切るなよ。適当に楽しくやろうぜ」と言って、いつもみんなとふざけるために練習にも身が入りません。
最初は、キャプテンに選ばれた喜びと責任感から毎日が充実して楽しかったのですが、いまは「B男がいるから、みんながさぼるんだ。キャプテンなんか辞めたい!」という気持ちでいっぱいです。(神奈川/A夫)

【答え:すこぶ~る仮面】
きみは、「伝統ある卓球部をなんとかまとめていきたい」「練習をちゃんとやりたい」という責任感がとても強い人なのだと思います。それはキャプテンとして当然です。ただ、その責任感が強すぎるあまり、物事のありのままが見えなくなっているのではないでしょうか。

私たちは、ふだん、物事を先入観や固定観念という“色眼鏡”で見ているために、ありのままの相を見ることができないのです。また、視野もどんどん狭くなります。違った角度からの見方もあるということを忘れ、自分で自分を苦しめているのです。

洋服のボタンは、第一ボタンを掛け違うと、あとのボタンはすべてずれてしまいますね。それと同じように、最初の「正見」が自己中心の見方になってしまったら、あとの七正道もすべてずれてしまいます。

きみは「B男がいるから、みんながさぼるんだ」と言っていますが、それはキャプテンという立場での見方です。部員の立場でB男を見ると「楽しい人」となります。つまり、「困ったヤツ」という“色眼鏡”で見るのではなく、「正見」で見ることによって、「B男がいるから、みんながまとまる」と受けとめることができます。

ですから、まず自分中心の見方を捨てて、相手の立場に立って物事を見ることが「正見」に立てる最大の条件になります。そういっても実際はなかなか難しいことですね。そうしたときは、人生経験の豊かな学生部の先輩や、教会の幹部さんに正しいものの見方を教えてもらうことも一つの方法です。

■八正道のまとめ

「正見」とは、「すべては変化する」「すべては関係しあっている」という真理で物事を見つめることです。そのことに気づけば、すべての存在に対して感謝と思いやりの気持ちがわいてきます。

すべてのものに感謝して生きる心、すべてのものを思いやる心、それこそが“仏さまの思い”である「正思」といえます。

感謝の思いがわくことで自分のことばかりに目を向けていた心が、自然とまわりの人たちに向くようになり、思いやりの心がより強くなります。すると、いままで当たり前に思えていたことに対しても「ありがとう」という感謝の言葉や、「大丈夫?」といった相手を思いやる言葉、「正語」が自然と出てくるようになります。

そして、その気持ちは言葉にとどまることなく、困っている人に手を差し伸べたり、弱者をいたわったりといった、相手をきづかう行動である「正行」をいつのまにか実践している自分になれるのです。

人のために尽くせる自分に気づいた喜びは、他に代えがたいものです。その喜びに気づくことは、自分が生きている喜びに気づくことともいえます。

自分のいのちに感謝できた人は、人をだましたり、無駄な浪費をしたりという生き方はできないはずです。いつしか真理にもとづく生き方である「正命」へと導かれていくのです。

けれども、私たちは正しい生き方をしたいと思ってはいるものの、その反面、つい怠け心が出たり、自分の感情に流されてしまいがちです。

そのためにも、常に正しい行ないを心がける「正精進」や、正しい心でいることを念ずる「正念」、ぐらつきかけた心を仏さまの教えへと決定していく「正定」といった気持ちを持ちつづけることが大切になってくるのです。

『八正道』をひと言でいうと、真理にもとづくものの見方、考え方、生き方に目覚めるための八つの道といえます。だから実践すれば、私たちの人生が一瞬にして輝き出し、幸せの道へとナビゲイトしてくれます。『八正道』はすべてを実践することが理想ですが、その一つだけでもできるようになれば、他の行ないも自然とできていきます。まず一つから、真心こめて楽しくなるまでくり返しましょう。



『すこぶーる』Vol.6 2004年(立正佼成会)


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