株式会社gumiを退職して2年が経った

株式会社gumiを辞めてから2年が経った。
なので、あの頃のことを少しずつ書ける範囲で書いていくとみんなの役に立つんじゃないかなということで、書き始めてみる。

私がgumiに入社したのは社員数40人くらいのときで、正直よく考えてgumiに入った訳ではない。
ソーシャルアプリ開発現場の今」というイベントで見かけた國光さんが夢を語るのが面白そうだったり、Pythonを使っていることが面白そうだったり、gumiというSNSは800万人もユーザーがいるというのを見て面白そうだと思ったからだ。

800万人もユーザーがいるなら、面白いことができるだろうという漠然とした期待もあった。
しかし、登録数とDAUは決して一致しないという悲しい現実がそこにはあるのだった。

そういえば、面接の時に國光さんがアバター(映画)がメチャ凄いという話をしていたのを今でも憶えている。
アバターのような世界を変える凄いものが創りたいという夢を語っていたことを非常に魅力的に感じたわけだ。
gumiをピクサーのような会社にしたいと。
gumiは「打倒!Zynga」「世界を獲る!」を掲げる夢があふれる会社であったのだが、果たして、中に入ってみればgumiは全く儲かっていなかったのであった。
(Zyngaはそのうち勝手に死んだ)

もちろん幾つかのゲームを出してはいたものの、どれもまともに売れているとは言いがたく、どう計算しても社員の給料がまかなえるはずもない規模の売上であった。
それでも拡大を続けていたgumiはベンチャーの必殺技である「資金調達」で運転資金をまかなっていたのだった。(ベンチャーが資金調達でビジネスをするのは当然の話で悪い事ではない)

入社してみれば

入社した初日もどこにアサインされるか決まっておらず、マシンもなかったので午前中は自分で持ち込んだマシンを触って過ごした。
当時のCTOがその日にアサイン先を探すような状況であったので、そもそもアサインも任せたいことも何も決まっていなかったのだ。
午後になってアサインされたプロジェクトは、言葉は悪いが素人を寄せ集めたような、ゲーム作りの経験もないチームだった。
(特定個人をdisっているわけでなく、単に経験値がないという話)

プログラマ3人、プランナー2人、フラッシャー1人、デザイナー1人というありきたりの構成でガラケーのカードゲームをつくるというプロジェクト。
一ヶ月後にリリースというわりには中身は何もできていないプロジェクトなのだった。
(そもそも、肝心のカードバトルの要件定義が終わっていない)

決まってはいないものの、決まっているところから開発は着手されており、マップ名とか敵とかカードの絵柄とか、それぞれのパーツと呼べるものは転がっている状況だった。

しかしながら、プランナーはデータを管理画面から打ち込み、DBの構成が変わるとデータは消えてしまう。
そこにはマスターデータの概念も、マイグレーションの概念も存在してはいなかったのだ。

ということで、まずはExcelからマスターデータを作成するツールを作り始めたのである。
DjangoというWebフレームワークを使っていたのでSouth(マイグレーションツール)を導入したのもそのときだった。

ガラケーのゲームなんで、(完成は)なんとかなるだろうという気持ちでやっていたプロジェクトではあったが、納期を順調に超過しつつ完成した「僕の考えたさいきょうのカードゲーム」は初日からあっけなく散った。

そもそも他にも売れているアプリなど一つもなかったのだけれども。