<link href='https://www.blogger.com/dyn-css/authorization.css?targetBlogID=4239452533582505588&amp;zx=438e58ad-7bac-4e69-a506-3dc60924fbc3' rel='stylesheet'/>

外資系より残酷な日本の大企業

なんかものすごいタイトルですが、最近、日本の、いわゆる大企業に勤めている同年代の人たちの表情がどんどん険しくなっていくのを見ていて、あらためて考えてみたところ、どうもこういうことなんじゃないかと。

これは先日もFBで指摘したことなんだけれども、日本の大企業の残酷なところは、40代の後半になるまで、自分の昇進ポテンシャルがはっきりしない、ということです。

しかし、40代の後半で「この会社では上に上がれない」ということがはっきりしても、その時点で取れるキャリアオプションはほとんどありません。なぜなら、日本の大企業でなんとなく二十年頑張ってきましたという人は、よほど専門性のある人でないと労働市場でほとんど値段がつかないからです。

ここは本当に勘違いされていて、半ば痛々しいんですけれども、日本を代表すると言われているような企業でそれなりに活躍している人の多くは、自信過剰に自分の労働市場での価値を見積もる傾向がある。そういう人が転職活動をすると、自分の今もらっている給料の半分以下の値段しかつかないわけで、そこでキャリアの袋小路に入ってしまうわけです。
x
一方で会社側は、被雇用者に対して様々な選択肢を持つわけで、経済学的に言えば、雇用者と被雇用者のあいだで極端なオプションバリューの非対称性が生まれてしまう。

よく「厳しい、厳しい」と言われるコンサルティング会社や投資銀行などの外資系プロフェッショナルファームについて考えてみれば、確かに短期的には厳しいかもしれませんがが、中長期的に考えてみると違う風景も見えてくる。というのも、キャリアの若い段階で仕事の向き・不向きがはっきりするわけですから、結果的には自分のオプションバリューが増えるんですよね。これはシリコンバレーの経済システムと同じで、要するに全体・長期の反脆弱性の高さは、早めにたくさん失敗するという部分・短期の脆弱性によっているわけです。

もちろん、その時は辛いですよ。同僚がイキイキと仕事をしている中で、自分はどうも活躍できていないな・・・と感じている時に、「明日から来なくていい」と言われるわけですから。

「ほぼ日」のCFOとして上場をリードした篠田さんは、もともとマッキンゼーのコンサルタントですが、青天の霹靂のように「退職勧告」を受けて家でワンワン泣いた、とインタビューで答えられていますね・・・よくわかるなあ。


日本の大企業の人からすると、こういうのは耐えられない・・・と言われることが多いんですけど、なんか勘違いしていませんか、と。だって「あなたはここまで」と言われる年齢が早いか遅いかだけの問題であって、であれば、まだ他の道を選択できる若い時に言ってもらった方が本人のためだと思うんですよ。

これを嫌がっている人って、要するにダメ出しの判断を先延ばししているだけで、そうこうしてるうちに、ダメ出しされたらもうどうしようもない、という年齢になっちゃうわけです。それは本当に「人に優しい」ってことなんでしょうかねえ。

結局のところ、キャリアのどの段階で「あなたはこれ以上見込みがないですよ」と言われるかという問題で、日本の大企業にいる人っていうのは、キャリア選択についてのオプションが取れない状況になってはじめて「あなたはこれ以上見込みがありません」と言われるわけです。

しかも、その比率は大企業の方がずっと高い。当たり前のことですが、どんなに大きな会社であっても社長は基本的に一人です。エグゼクティブの総数もせいぜい二十人程度でしょうか。つまり、その組織の中にいて人の羨望を得られるようなポジションにつける確率というのは、組織が大きくなればなるほど低くなるわけです。

仮に

A:百人の会社でエグゼクティブは五人
B:千人の会社でエグゼクティブは十人
C:一万人の会社でエグゼクティブは二十人

という、まあ比較的ありがちな構成を比較してみれば、それぞれで組織人員に閉める上級職の比率は

A:5%
B:1%
C:0.2%

ということになります。

日本の大企業は全てマックス・ヴェーバーが定義するところの「官僚型組織」になっていますから、上層部のポジションは等比級数的に少なくなる。つまり、組織が大きくなればなるほど「あなたはここまで」と言われてホゾを噛むことになる確率も高まる、ということです。

外資系プロフェッショナルファームの場合、ほとんどの人はキャリアのどこかで「あなたはここまで」と言われるわけですが、そうなると当然ながら会社を移ることになります。先述した通り、これは大きなストレスになるわけですが、それは一時的なもので、友人・知人をみる限りは、ほんの二、三年もすれば新天地を見つけてのびのびと仕事をするようになる・・・恋愛と同じですね。

一方で、日本の大企業の場合、「あなたはここまで」と、暗に言われながらも、そこに残ったまま、華々しく活躍してどんどん昇進していく人を、同じ組織の中にいて眺め続けなければならないわけです。自分を拒否する組織に残って、拒否されない人の活躍を見続けなければいけないわけです。

しかも、序列の階差は内部者にははっきりと共有されているので、「ああ、あの人、あそこで止まっちゃったんだな」というのが明確にわかる。周囲も気を使うだろうしね・・・。評論家の見田宗介は、現代社会を評して「眼差しの地獄」と言いましたけど、まさにこれを地獄と言わずして、なんと言おうかと思っちゃうのは僕だけなのかなあ。

冒頭に、最近会った大企業に務める同年代の人たちの表情が、どんどん険しくなっているという話をしましたけれども、「これからもっと上にいく人」と「ここで終わる人」とが峻別される時期に来ているのだということになれば、そういう表情にもなるわなあ、と。

あらためて、自分には無理な組織だったんだなあ、と思いますね。