世界首都ゲルマニア~ベルリン改造~
世界首都ゲルマニアとは、ドイツ第三帝国の総統アドルフ・ヒトラーがグランド・デザインを行い、建築家シュペーアによって総合建設計画としてまとめられた、ベルリンを大帝国の首都に相応しい外観と規模に改造しようとした計画である。ドイツの敗戦によりゲルマニア計画は幻に終わったものの、1936年のベルリン・オリンピックのメイン会場となったオリンピュアシュタディオン、旧テンペルホーフ空港、ライヒスバンク、航空省庁、新総統官邸など多数の建物が実際に完成している。凱旋門、フォルクスハレ、記念塔など、ヒトラーのスケッチ(画像:上)を元に設計された建築物も多い。
ヒトラーはこの壮大なゲルマニア計画に強い思い入れがあり、計画の実現を、ベルリン陥落の迫る最期の時まで気にかけていたという。
世界首都ゲルマニア
南端:ベルリン中央駅
南北縦貫メインストリートの南端には、巨大なベルリン中央駅が配置される。プラットホームは上下4層あり、エレベーターとエスカレータで行き来可能とした。ベルリン中央駅はメインストリートの南端であったが、復数車線の道路がここからさらに南に約40kmに渡り伸び、衛星都市が作られる予定であった。国家中枢区画
総統宮殿、11の政庁ビルなどが立ち並ぶ、国の中枢部である。2万人収容の巨大映画館、1500のベッド数を持つ21階建てのホテルの建設が計画された。大理石で作られた高さ120mの巨大な凱旋門には、北端:フォルクスハレ(国民会議場)
メインストリートの端には、ヒトラー自身のデザインをもとにした、高さ290mのドーム型集会場フォルクスハレ(国民会議場、別名:聖杯神殿)が威容を誇る。1,200人の議席がある国会議事堂(当時の国会は議員席は580席で足りるが、ドイツとは異なる国籍を持ちドイツ国外に居住しているゲルマン系諸民族代表議員達も参加する事を展望していた)なども予定された。
ヒトラーの「総統都市」
ハンブルクでは、高さ250mのナチス党地方本部が計画された。頂部にはハーケン・クロイツ(鉤十字)のネオンが設置され、燈台としての機能も想定された。
プローラ~労働者のリゾート~
ドイツのバルト海に面したリューゲン島には、ドイツの全ての労働者のための巨大保養所・海水浴場「プローラ」の建設が計画された。計画では、6階建てで一棟500mの長さのビルが8つ連なる長さ4.5kmにおよぶ巨大な宿泊所、二つの造波プール、劇場、映画館、2万人の宿泊客全員分の座席があるフェスティバル・ホール、大型客船のための埠頭の建設が予定された。
帝国アウトバーン~高速道路網構想~
これら第三帝国内の諸都市を効率的・敏速に結ぶために、ヒトラーが建設を推進したのが、全長7000kmの高速道路網「帝国アウトバーン」である。自動車専用道路の構想自体はドイツ帝国時代から存在していたが、1933年にヒトラーがドイツ全土を覆う「帝国アウトバーン」の建設計画を発表、翌年1934年のベルリンモーターショウにて「国民車(フォルクス・ワーゲン)計画」を提唱して国策企業「フォルクス・ワーゲン」社が設立され、自動車専用の高速道路の建設が推進された。
国民車演説
「これからの国家の評価は鉄道ではなく、高速道路の長さで決まる。自動車が金持ち階級のものである限り、それは国民を貧富の二階級に分ける道具にしかならない。国家を真に支えている多くの国民大衆のための自動車であってこそ、文明の利器であり、素晴らしい生活を約束してくれるのだ。我々は今こそ『国民のための車』を持つべきである。」
(1934年ベルリンモーターショウ、アドルフ・ヒトラー)
ブライトシュプールバーン~超高速巨大鉄道網構想~
バルバロッサ作戦によって獲得した東方新領土とドイツ本国を結ぶため、ヒトラーによって立案されたのが、「ブライトシュプールバーン(広軌鉄道)」計画(1942年5月頃~1945年)である。列車は、全長70m、幅6m、2万4000馬力の機関車を8両連結し、その後に全長50m、2階建ての客車を15両連結し、1編成に付き1728人が乗車できるよう設計されていた。
ヒトラーの最終目標
ヒューマンスケールを超えた壮大な建築群の建設。
労働者の楽園、高速自動車道路網や広軌高速鉄道計画といった当時夢のような計画の数々。
悪名高き「ホロコースト」や、絶滅戦争の様相を呈した「独ソ戦」。
これらはそれ単独で行われたものではなく、全てはヒトラーの抱いていたある政治構想を実現するために計画・実行されたものであった。
それが、ヒトラーが『わが闘争』以来持ち続けた、
「東方ゲルマン帝国」構想である。
ソ連との絶滅戦に勝利した後、東欧からユダヤ人・スラブ人を駆逐しドイツ人を入植させ、ヨーロッパの政治・社会秩序に革命と再編成を引き起こすゲルマン民族による大帝国を建設する。
この東方ゲルマン帝国(=千年帝国)建設こそ、ヒトラーの最終目標であった。
「我がドイツ民族は植民地ではなく、ヨーロッパのふるさとの大地にその力の源を求める」アドルフ・ヒトラー