「江戸始図」は、松江市の松江歴史館が所蔵する、全国各地の城の絵図を集めた「極秘諸国城図」の中から見つかり、城郭考古学が専門の奈良大学の千田嘉博教授の調査で、現存する絵図の中では最も古い時期の江戸城を描いたものとわかりました。
この絵図で描かれている江戸城は、関ヶ原の合戦のあと、大坂の陣までの間の、1607年から1609年ごろのもので、これまで詳しくわかっていなかった石垣や堀、それに、出入り口などの構造が把握できるということです。
千代田区文化振興課の後藤宏樹さんによりますと、この絵図では城の石垣が黒く色分けされ、本丸が幾重もの石垣によって構築されていたことがはっきりわかるということです。
注目されているのがその本丸の構造です。本丸の南側の出入り口は城を攻める兵が直進できないように「外升形」と呼ばれる複雑な造りになっています。この構造は熊本城でも使われ、家康が西日本の城造りの技術を積極的に取り込んでいたことがわかるということです。
「江戸始図」からは、江戸幕府を開いたとはいえ、まだ大阪に豊臣家が存在する中で、江戸城をより堅固な城として築こうとした家康の強い意志がうかがえるということです。
築城当時の江戸城の貴重な絵図を公開
江戸時代初期に徳川家康が築城した江戸城の当時の構造を詳しく描いた貴重な絵図が19日から東京・千代田区で公開されています。
公開が始まった「江戸始図」は、所蔵する松江市が専門家に調べてもらったところ、絵図の大名屋敷に記された名前などから、徳川家康が築城した江戸時代初期の江戸城を描いた貴重な絵図とわかったということです。
江戸城は改修が繰り返され、築城当時の詳細な姿はわかっていませんでしたが、この絵図には本丸の石垣などが詳しく描かれ、出入り口を複雑な構造にして、守りを堅くしていることがうかがえるということです。
千代田区文化振興課の後藤宏樹さんは「関ヶ原の戦いのあと、まだ大阪に豊臣家が存在しているころに、家康が石垣といった西日本の築城技術を取り込んで堅い守りで築いたことがわかる。今の東京の繁栄にもつながる貴重な絵図で多くの人に見てもらいたいです」と話していました。
会場にはこのほか、絵図が見つかった松江市にあり、おととし、国宝に指定された松江城天守のひな形模型などの資料も展示されています。
この展示会は11月19日まで東京・千代田区の日比谷図書文化館で公開されています。
江戸城は改修が繰り返され、築城当時の詳細な姿はわかっていませんでしたが、この絵図には本丸の石垣などが詳しく描かれ、出入り口を複雑な構造にして、守りを堅くしていることがうかがえるということです。
千代田区文化振興課の後藤宏樹さんは「関ヶ原の戦いのあと、まだ大阪に豊臣家が存在しているころに、家康が石垣といった西日本の築城技術を取り込んで堅い守りで築いたことがわかる。今の東京の繁栄にもつながる貴重な絵図で多くの人に見てもらいたいです」と話していました。
会場にはこのほか、絵図が見つかった松江市にあり、おととし、国宝に指定された松江城天守のひな形模型などの資料も展示されています。
この展示会は11月19日まで東京・千代田区の日比谷図書文化館で公開されています。
「江戸始図」から見えるもの
「江戸始図」は、松江市の松江歴史館が所蔵する、全国各地の城の絵図を集めた「極秘諸国城図」の中から見つかり、城郭考古学が専門の奈良大学の千田嘉博教授の調査で、現存する絵図の中では最も古い時期の江戸城を描いたものとわかりました。
この絵図で描かれている江戸城は、関ヶ原の合戦のあと、大坂の陣までの間の、1607年から1609年ごろのもので、これまで詳しくわかっていなかった石垣や堀、それに、出入り口などの構造が把握できるということです。
千代田区文化振興課の後藤宏樹さんによりますと、この絵図では城の石垣が黒く色分けされ、本丸が幾重もの石垣によって構築されていたことがはっきりわかるということです。
注目されているのがその本丸の構造です。本丸の南側の出入り口は城を攻める兵が直進できないように「外升形」と呼ばれる複雑な造りになっています。この構造は熊本城でも使われ、家康が西日本の城造りの技術を積極的に取り込んでいたことがわかるということです。
「江戸始図」からは、江戸幕府を開いたとはいえ、まだ大阪に豊臣家が存在する中で、江戸城をより堅固な城として築こうとした家康の強い意志がうかがえるということです。
この絵図で描かれている江戸城は、関ヶ原の合戦のあと、大坂の陣までの間の、1607年から1609年ごろのもので、これまで詳しくわかっていなかった石垣や堀、それに、出入り口などの構造が把握できるということです。
千代田区文化振興課の後藤宏樹さんによりますと、この絵図では城の石垣が黒く色分けされ、本丸が幾重もの石垣によって構築されていたことがはっきりわかるということです。
注目されているのがその本丸の構造です。本丸の南側の出入り口は城を攻める兵が直進できないように「外升形」と呼ばれる複雑な造りになっています。この構造は熊本城でも使われ、家康が西日本の城造りの技術を積極的に取り込んでいたことがわかるということです。
「江戸始図」からは、江戸幕府を開いたとはいえ、まだ大阪に豊臣家が存在する中で、江戸城をより堅固な城として築こうとした家康の強い意志がうかがえるということです。
築城当時の江戸城の貴重な絵図を公開
江戸時代初期に徳川家康が築城した江戸城の当時の構造を詳しく描いた貴重な絵図が19日から東京・千代田区で公開されています。
公開が始まった「江戸始図」は、所蔵する松江市が専門家に調べてもらったところ、絵図の大名屋敷に記された名前などから、徳川家康が築城した江戸時代初期の江戸城を描いた貴重な絵図とわかったということです。
江戸城は改修が繰り返され、築城当時の詳細な姿はわかっていませんでしたが、この絵図には本丸の石垣などが詳しく描かれ、出入り口を複雑な構造にして、守りを堅くしていることがうかがえるということです。
千代田区文化振興課の後藤宏樹さんは「関ヶ原の戦いのあと、まだ大阪に豊臣家が存在しているころに、家康が石垣といった西日本の築城技術を取り込んで堅い守りで築いたことがわかる。今の東京の繁栄にもつながる貴重な絵図で多くの人に見てもらいたいです」と話していました。
会場にはこのほか、絵図が見つかった松江市にあり、おととし、国宝に指定された松江城天守のひな形模型などの資料も展示されています。
この展示会は11月19日まで東京・千代田区の日比谷図書文化館で公開されています。