外に見せてる面の通りの人って珍しいし、意図的に隠しているわけでなく本人も自覚してない面を持っている場合だってある。
なんだっけ、あれよあれ、たしか「ジョハリの窓」。
あの理論の結論はなんだっけ。
こういうものがあるよと、ただ提示しただけだっけ。
それともこうした方が生きやすい、みたいな結論があるんだっけか。
自分から見て「知っている面」、「知らない面」、
他者から見て「知っている面」、「知らない面」。
この4つを縦横の軸にして自分を表す。
結論があるものだったかどうだかは忘れたから、体感での話でもぐだぐだと書いてみる。
視点は「生きやすいと感じれるかどうか」に置いて。
いつもこんなことばっかり考えているのはわたしの人生目標が「精神的安定」だから。
心穏やかに、それでいて充実して生きていきたいのよ。
わかってきたつもりだったけど、自分に関してまだまだ知らない面があった。
いろんな新しい経験や刺激を通してそれに気づく。
最近あったのは「教えること、説明することが好きだったんだ…」ってやつ。
たとえば業務であれば誰かに教え込んで覚えてもらった方が結果的に効率がいいことはわかっていたけど、避けていた。
単純にめんどくさがりだったから。教えるよりも自分でやった方が早かったから。自分の手でやりこみたかったから。
「任せる」ということも「頼る」ということも嫌いだった。
自分がプレイヤーでいたい、マネージャーにはなりたくなかった。
だから自分は人に何かを教えることは嫌いだと思っていた。
でもそんなこと言ってられないようになった。
人事異動の関係でいきなり後輩を3人持つことになってしまった。
やるしかないからやってたら、予想に反して上司に教え方が上手いと褒められた。
理由を考えてみたら思い当たることがあった。
自分が「1を聞いて10を知る」タイプではないから。
全体像を示してもらって、その中でどこの話をしているのか、すべてを整頓された上でしか理解するのが苦手。
部分的に言われても頭が追いつかない。
それがあるから、他者に説明するときはすべてを話す。
整頓した全体を示したあとに、順番に。
絵や図、表を多用するし、ジェスチャーも多い。
それは他の人が説明するよりも丁寧だってことに気づいた。
後輩たちの反応や理解度にも興味を持つようになった。
段々と面白くなった。
教えて見守るということが出来るようになった。
今まで知らなかった、教えることを楽しめるという面。
そこを自覚してから業務以外でも人に物を説明するということを積極的にやるようになった。
最近多いのはカメラ。
特別深い知識があるわけではないけど、カメラを始めたばかりでこれから上手くなりたいって人になら話ができる。
やってみるとやっぱり面白い。
説明の仕方を工夫すること、それによっての反応を見ること、喜ばれること。
楽しめることがひとつ増えた。
充実度が上がった。
自分の知らなかった面を知って、そこを上手く使えるようになると日々の充実度は上がる。
自分から見て「知っている面」、「知らない面」、
他者から見て「知っている面」、「知らない面」。
さっきのは自分から見て「知らない面」が「知っている面」になったって話。
「知らない面」が減って「知っている面」が増えると楽しくなるね。生きやすくなるね。
どうやったらそこをもっと増やせるかな、って考えたら、次に狙うは自分から見て「知らない面」で他者から見て「知っている面」を知る機会を増やすこと。
それには他者と考え方や価値観について話をすることで得られるものがあるなーと近頃よく思う。
もっと話をしよう。
自分を知るために、相手を知るために、お互い知ることでもっと生きやすくなるために。
それともうひとつ。
自分から見て「知っている面」、そして他者から見て「知らない面」、ここの部分を減らすことで他者とのコミュニケーションは円滑なものになる。
自己開示ってことだね。
単純に知ってもらうというだけでなくて、自分の中だけで持っていたものを他者に見てもらうことで新たな気付きになることもある。
自分で「知っている面」だと思っていたところに、「知らない面」が隠れているかもしれない。
だからね、やっぱりもっと話そう。