『男の産後うつ』になったようだけど女装したら治ったみたい

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【今週のお題】満州・北朝鮮に住んでいた私のおじいちゃん、おばあちゃん

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北朝鮮関係のニュースが喧しい今日このごろですが、折しもはてなブログの”今週のお題”が「おじいちゃん、おばあちゃんのこと」。

うちのおじいちゃんとおばあちゃんは、若い頃、北朝鮮・旧満州に住んでいました。 

 

 

うちのおじいちゃんは経理マン

私にはおじいちゃんの記憶がない。父方は私が2歳の頃に、そして母方は私が生まれる前に亡くなっていたからだ。

私の父方のおじいちゃんは農家の七男坊。九州の貧しい農家の生まれである。1911年生まれということなので、存命ならば106歳かな。

ちなみに私の家系で、判明している最古の祖先は元右衛門さんである。元右衛門さんは、私の5代前の祖先であり、1873年頃に亡くなったらしいので、生まれたのは1800年代の前半だろうか。だいたい、井伊直弼と同世代くらいかな。

 

元右衛門さんの話はともかく、うちのおじいちゃんは七男坊ということもあり、農家を継ぐことは難しかったのだろう。なぜだかは知らないが、若い頃に朝鮮(平壌)へ渡り、経理学校で講師をしていたらしい。

その後、薬品を製造する企業に就職。当然、経理職だったと思われる。

 

満州への異動

平壌経験があったからなのか、会社に入って満州へ異動。おじいちゃんが20代後半の頃ではないかと思う。

私が結婚するとき、戸籍謄本を取り寄せて初めて知ったことではあるけど、私のパパは満州国生まれ。現在の吉林省集安市に社宅があったようで、1942年の時点で、私のおじいちゃんとおばあちゃんはそこにいたようだ。

集安市は、鴨緑江沿いの国境の街。現存する「集安鴨緑江国境鉄道大橋」は、1939年の完成らしいので、私のおじいちゃん、おばあちゃんは、できたばかりのこの橋を見たことでしょう。

 

(写真は百度百科より引用)

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それにしてもおばあちゃん。おじいちゃんが、満州に異動となったと聴いた時は、どんな顔をしたのだろう❓

 

徴兵されて済州島へ

そんなおじいちゃんに忍び寄る戦争の影。徴兵されて、家族はバラバラに。残された家族(おばあちゃんと叔母とパパの3人)は、平壌にいたのだそうだ。家長を兵隊に取られた家族が住む場所を、会社が提供してくれたのだろうか。

おじいちゃんは、済州島で終戦を迎えている。

最近のネットは便利なもので、満州・朝鮮で編成されて、済州島で終戦を迎えたのは、第111師団か第121師団というところまでわかる。

経理マンだったので、軍では主計科だったのかもしれない。厚労省に問い合わせれば軍歴を調べることはできるのだろうけど、そこまでするモチベーションもない私。

 

済州島で終戦を迎えた部隊は、ソ連ではなくアメリカによって武装解除された。そして日本へ帰国。このあたりは、資料的な裏付けと、パパの証言が一致しているところ。

 

ちなみに、平壌で終戦を迎えたおばあちゃんと叔母とパパは、38度線越えをして、日本に帰国をしている。そうとう辛い逃避行だったようだ。おばあちゃんは70歳を超えた時、その時の記憶を残すべく、手記をまとめようと思い立った直後、脳梗塞で倒れてしまった。逃避行の詳細は、ぜひ聞いておきたかったと今思う。

 

そして帰国

ネットの資料によると、済州島で終戦を迎えた部隊は、アメリカの船で比較的すみやかに帰国しているみたい。おそらくおじいちゃんも、終戦まもなく、九州へ戻ったのではないかと思う。

帰国後、叔父(パパの弟)が誕生。その後は本社だか工場だかの勤務で、私が生まれる直前に定年退職。

パパの記憶によれば、とても厳しく、鉄拳がすぐに飛んでくるおじいちゃんだったそうだ。来客があると、酒を飲んで、詩吟を楽しんでいたというので、昔の人は風流だなあとも思う。

 

時代に翻弄された人生

こうやっておじいちゃんの若い頃の話をまとめていると、時代に翻弄されているなあと感じる。

おじいちゃん、おばあちゃん。あなたの孫は女装を趣味にしちゃってますよ😅

ふたりともいろんな苦労や経験をしてきただろうから「それもいいじゃないか」と笑い飛ばしてくれそうな気もするけれどもね😉

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