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zoom RSS くたばれ建築家 景観の破壊者たち

<<   作成日時 : 2011/01/17 13:12   >>

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明治維新以後、日本の都市に怒涛のように西欧建築が押し寄せてきました。それらは文明開化の象徴であり、お手本でもありました。建築家は現在にいたるまで、近代文明のチャンピオンとしてモダニズムの主役となっています。しかしその周囲に政治家、資本家、高級官僚らが実権をにぎり建築を支配してきました。挙句の果てに、現代の都市や田園景観は醜悪きわまる惨状を呈しています。まさにくたばってしまえ、と叫びたいところです。

明治時代以降、知識人やエリートたちが進めた文明開化は、西欧をそのまま持ち込むことにありました。その結果、日本の伝統的な文化や習慣とともに、世界一美しかった景観を破壊したのです。日本人の多くは丁髷を切って洋服を着た瞬間から、文明開化に抵抗することはやめ、むしろ積極的に受け入れ、大切な宝が次々と失われていくのを歓迎するか、無関心になっていました。

西欧化の大波は、戦後の経済成長期とともに一気に加速しました。経済大国による巨額の資本が、都市はもとより山河に海浜の押し寄せ、凄まじい勢いで美しい国土をすり潰し始めました。それは今の今でも止むことなく続いています。その元凶は建設利権にむらがる政治家、官僚、御用学者、建築家、土建業者たちの強固なスクラムです。その片棒を担いだのは、麻痺状態に陥り価値判断不能のまま、権力とポピュリズムに迎合するマスメディアなのです。

美しい山が削られ、海が埋められるたびに、それから大いなる利益を貪る多くの人々は喝采したのです。明治以来、主要メディアは日本人の美意識や判断力に麻酔をかけ、眠らせてしまいました。ひとつは西欧崇拝、もうひとつは無機的なモダニズム崇拝の呪縛でした。さらに天文学的な巨費による公共事業という麻薬でした。その調合を担ったの主役が官僚と建築家や土建学者らなのです。

もちろん、地域経済にプラスだとして歓迎する住民の存在もありました。しかし、公共事業はまさに麻薬のように人々の判断力を麻痺させ、地域が経済的に自立する力を奪いました。投下された莫大な資本は回収還元おろか、その大部分は地域の発展とは無関係の無駄金なのです。さらに巨費を貪る金喰い虫となっています。減少しつづける住民数百人のために、数百億円の巨費をかけてトンネルなそ巨大施設を「住民が必要としているから」との言辞で平然と建設強行している例は枚挙のいとまもありません。それらの莫大な建設費に加え、維持管理費で潤っているのは地元から遠く離れた建設業者であり、それに寄生する官僚、そして彼らが地方と国家の政治を牛耳ってきたのです。

全国にばら撒かれた空港、港湾、ダム、文化運動観光など施設のほとんどは、投下された資金の回収おろか、更なる赤字の出費を撒き散らしています。それらの建設計画からして、その収益性は、はじめから曖昧かつ不確かな予測と希望的皮算用しかなかったのです。東海新幹線に並行して、リニア新幹線も,その好例です。最初から建設ありきで計画され、強行されようとしています。それはまるで、日米開戦への突き進んだ日本陸軍の歴史を再現しているようです。

多くの専門学者の主張と裏腹に、洪水や山すべり、地震など自然災害は正確にその発生場所、時間、規模を予測することは不可能なのです。まして全国土をまるで全身鎧のように公共事業で固めて予測不能の災害に備えることもできません。住民らの安全を確保するには、迅速な情報収集とその分析、伝達による組織的な初期避難が最善最良の決め手なのです。

しかし国家や地方自治体の巨額の予算が、これらの建設へほとんどブレーキも検証も統制もなく注ぎ込まれてきました。挙句の果てが、日本全体の地盤沈下なのです。将来の世代に向けて教育、科学技術、基礎科学、さまざまな研究開発にこそ、巨額の投資が不可欠だったのです。世界の中で、日本ほど豊かで美しい国はありません。それでありながら、政治も経済も社会全体が虚脱状態に陥ったままなのです。かつての巨大組織、日本帝国陸軍が日米戦争に突き進んで大崩壊した前例と、余りにも似通った状況に背筋が寒くなるばかりです。

国土崩壊の状況を知りたければ、新幹線に乗って、列島縦断して左右の景観を観察することを勧めます。そこには醜悪で無秩序な開発と建設により、気品も優雅さも繊細さも美しさもない、無残に荒廃したこの国の実像が目撃されるでしょう。わずかばかりの救いは、まだそうした人の手が及んでいない、急峻な山岳地帯など一部の地域がかろうじて残されているという悲しい現実です。

日本全土に、美術館も芸能センターも郷土館もスポーツ村も完全に飽和状態の分布です。それもほとんどが利用者減による赤字を垂れ流し、大きな財政負担ともなっています。それらの多くは事実上、廃墟と化しています。建築家たちは、その名声と評判を高めるため、営々とそうした箱物や施設の設計施工に努めています。なかには非常に素晴らしい優れた作品があることは事実です。しかしいかに優れた建造物であっても、利用者がなければ巨大ゴミでしかありません。

昨年の坂本龍馬ブームで、高知の桂浜にある県立坂本龍馬記念館を訪れた人なら、この粗悪かつ醜悪な建造物を見た瞬間に、吐き気を催したでしょう。途方もない人物にあやかって途方もない記念館を建てるつもりだったにしても、これはひどすぎます。設計者とこれを支持した担当者は、この建物が立ち続ける限り、最悪の景観破壊者の名を残すことになります。ちなみに、同じ県立の牧野植物園、牧野冨太郎記念館と比べれば、その差は明らかです。しかし、これも「牧野」という色よりも設計者「内藤廣」色が強い、優れていても独善を感じさせる建築です。

▼景観再生へ建築家の役割

西欧近代の到来とともに、あらゆる芸術は個別の作者による「作品」となりました。そうした作品により「芸術」が成立したといえます。それ以前の古典時代にあっては、いかなる天才もその作品は独立して成立していたわけではありません。それを享受する支援者と支持者らとのあいだに、文化的な価値や意識を共有する文化的コミュニティーが成立していました。例えばクラシック音楽は、作曲家と演奏者そして聴衆とがそれぞれ創造的な役割を担っていわば合作していました。

近代のロマン主義音楽はこうしたコミュニティーを破壊してしまったのです。日本の俳諧でいえば、それまでの活動の中心は座にありました。そこでは宗匠を中心とした連句が参加者すべてにより合作されていました。しかし、近代の到来により、俳人がばらばらになってそれぞれ独立していきます。俳諧コミュニティーは崩壊し連句はまったく廃れていったのです。正岡子規の俳句復興は同時に連句の衰退だったのです。同様の現象は、近代日本の建築にもあらわれています。

伝統的な建築様式の研究者なら当然わかっていることですが、あらゆる伝統的な建造物は現代の建築家のように、自由に発想し独自の美意識に基づいて完全に自分自身の「作品」として仕上げることはできません。施工主と建設職人、それを束ねる棟梁らが、価値観や美意識を共有するコミュニティーを形成しており、建造物のスタイルはそのコンセンサスに基づいて、相互に了解され建てられていったのです。

近代以前の建築家は時代の文化コミュニティーによる暗黙のコンセンサスに規定され、ほとんどの建造物はその時代に特有の様式に従ったのです。そうした様式重視の意識は、西欧では近代の到来以降も根強く維持されていました。西欧では伝統的な価値・美意識を持続するコミュニティーが根強く残り、都市や田園における建造物が作り出す集合的な景観は、そうした伝統文化によるコンセンサスに従っていたのです。そこには、文化的な断続はありません。あらゆる様式は非常に緩やかに変遷していました。

多分転機となったのは、天才的な建築家あるいは芸術家の出現です。その天才の名をかぶせられた建造物の出現が、建築における現代化なのです。名人による建築は現代の「芸術作品」として、受け入れられるようになりました。その背景にあるのは、文化的コミュニティーの崩壊がりました。それまで、ほとんどの大建築といえども、作者の名が表に出ることはほとんどありませんでした。それらは「作品」ではなく、コミュニティー内の景観として共有されていたからです。

しかし、そうしたコミュニティーの本来的な保守性が、現代アートを抑圧し、個人の独立と自由な表現を阻害してきたと非難する論調が現代社会で主流となりました。ゴッホやモジリアニらの現代絵画が保守的な文化コミュニティーにより圧殺された経緯もあるでしょう。また近代の新たな伝統を模索して文化コミュニティーを編成する試みもありました。たとえば文壇などがそうです。しかし、それも前世紀末には衰退し力を失っています。

日本の近代は、西欧文明を急速に導入したため、深刻な断絶を招きました。明治以降、西欧の建築様式を学び普及させた建築家や建築学者らも、そうした断絶をもたらしたのです。その結果は、伝統的な和風建築群に割って入って、異質の洋風建築を「文明開化」の象徴として建てることでした。多くの庶民はこれに驚愕し狂喜します。ごく一部の神がかり的な保守主義者らが反発したにすぎません。彼らも物笑いの標的とされていたのです。

時代の勢いとか時流に極めて弱く、すぐに迎合してしまうという日本民族の特性も、文明開化の断絶への無関心と、西欧近代文明への崇拝を加速していました。ほとんどの知識人たちは、古びた封建遺制を捨て去り、新しい西欧文物の導入に狂奔したのです。建築家もその例に漏れません。19世紀西欧の急激な発展と成長に追いつくため、わき目も振らず次々と西欧風モニュメントを設計し施工し、完成させていきました。この動きは、実は現在も引き継がれているのです。

現代建築家は保守的な文化コミュニティーの束縛から解放され、自由にあるいは勝手気儘に振舞うことが許され、逆にそうした個性や独自性を要求されるようになったのです。高名で天才的な建築家が続々と登場し、それらを模倣した「作品」が都市や山野に新たな景観を作り出すようになりました。そこで失われてしまったのは、伝統的な様式がもたらした品位であり優雅さであり調和と落ち着きと統一でした。さらに文化コミュニティー再生への運動にも大きな打撃でした。

伝統社会にあっては、あらゆる建造物はその地域のコミュニティーの共有資産でした。それは、コミュニティーのコンセンサスに従って建設され運営されていたからです。現代アートと同様に、現代建築の作品には文化的コミュニティーのコンセンサスはありません。ばらばらの個人がばらばらに表現した芸術作品が出現し、それが一部の愛好の支持により商業的な価値を持っていたからにすぎないのです。

現代建築のほとんどは、伝統的価値を共有する文化コミュニティーからみれば、大いなる景観破壊にほかなりません。景観そのものは今も、共有資産だからです。共有資産を保護する運動こそ、あらたな文化コミュニティーの再生を基礎としなければなりません。そうしたコミュニティーは、人と人との日常的な接触と交流などの関係性のなかから再生されるはずです。

優れた建築家ほど、そうした地域コミュニティーの代りとなる住民らとの接触や交流により、その地域特有の文化的伝統的な価値観や美意識を取り入れ、その暗黙のコンセンサスを模索しながら自作の建造物が公共の資産となるよう、きわめて真剣に努力しております。そうした動きこそ、現代建築の再生、文化コミュニティー復活の契機ともなるはずです。




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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
本当にその通りだと思います。
日本の建築家は周囲の景観などは気にせず、自らの作品がいかに目立つかしか考えていないので益々景観が悪化していくのだと思います。
あかさ
2015/07/02 11:28

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