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【格闘技】

<月刊ドラゲー>イケてる巨漢 ビッグR清水 きょうツインゲート王座に挑戦

2017年9月18日 紙面から

試合中、気合のこもった表情を見せるビッグR清水=後楽園ホールで(北田美和子撮影)

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 首都圏最大のビッグマッチ、東京・大田区総合体育館大会を18日に迎えたドラゴンゲート。注目カードがめじろ押しだが、仲田の注目は、オープン・ザ・ツインゲート戦。中でも挑戦者チームのビッグR清水(24)に期待している。軽量級の選手が多い中でひときわ体の大きさとパワフルな技、ハイテンションで存在感を放つ選手だ。ビッグは一日にして成らず…そのわけを掘り下げてみた。 (聞き手・仲田美歩)

 -プロレスラーになろうと思ったきっかけから

 清水「父親がプロレス好きで、小学校に入る前ぐらいから一緒に見るようになったんです。保育所の卒園式では『大きくなったらプロレスラーになる』と宣言しましたよ」

 -好きだったのはどの団体?

 「父は新日本、米国のWCW…。あと、ハルク・ホーガンのヒールユニットのnWoですね。僕自身は一番好きだったレスラーがWCWのスティング。当時は白塗りのメイクが印象的でハマりました」

 -スポーツ歴は

 「小学4~6年は少林寺拳法を習い、初段までいきました。中学では部活がバスケ、テニス、陸上の3つしかなかった。その学校は砲丸投げが強かったんで、陸上を選択。中1で体重が70キロありました。砲丸投げは中学で全国3位、高校ではインターハイで13位。あと一つ順位が上なら決勝に残れたんですけど…。もうそこで砲丸投げは終わりかなと思いました。大学から推薦の話もきていたんですけど…」

 -そこから道はドラゴンゲート入門へと

 「当時の顧問の先生の知り合いにドラゴンゲートの後援会をしている人がいて、話を聞いてこいと進言してくれたんです。ドラゲーは元々好きで観戦してました。入門を申し込んだところ、『やせろ』と言われ、当時は6月で113キロあったんですが、翌春の入寮までに85キロに絞りましたよ」(今が115キロということなので、昔に戻ったってこと? 風船のような肉体ですね)

 -入門が決まった時、周りの反応は

 「父は『ホンマにいくんか!』と半信半疑でした」

 -デビュー時は「こち亀」の両津勘吉キャラクターでしたよね

 「リングネームはリョーツ清水でした。大阪出身なので東京の葛飾区は全然関係ありません。でも『こち亀』はテレビで見ていて知ってはいましたよ。きっかけは練習生の時、丸刈りだったんですが髪の毛にクセがあり、角刈りのようになってしまって、おまえ両津みたいだな、と言われたこと」

 -今の髪形はオシャレなモヒカン。美容院は決めていますか

 「神戸市の道場近くの理髪店。顔そりとシャンプー込みで2000円です」(意外とリーズナブル!)

 -読者からの質問で多かったのが、いつから体が大きくなったのか

 「2歳までは普通。母親いわく『パッチリした二重まぶたで、これは絶対にジャニーズに入れる!』と思っていたらしいですよ(笑)。ところが3歳でマイコプラズマ肺炎にかかり、運動を制限されたんです。そこから動かずに食べてばかりいたら大きくなってしまいました。初めての子どもで甘やかされたせいもありますね。小学校入学前の体重は35キロありました。ずっと幼児体形で、自分のあばら骨を確認したことがありません」

 -続いて読者から。どのような食事をとっていますか

 「食べたいものを食べる。好物は肉、魚、そば。嫌いな物はラーメン、パスタ、カレーやシチュー。大食い記録は手羽先100本」

 -もしプロレスラーになっていなかったら

 「2つあって、ひとつはラジオのDJ。もうひとつはバーテンダー。実は北方謙三の小説が好きで、主人公がワイルドターキーを飲んでいる世界に憧れているんです」(外見からは想像もつきませんが)

 -10月26日は25回目のお誕生日

 「マツコ・デラックスも一緒です。他にもヒラリー・クリントン、岩倉具視、小村寿太郎。ビッグネームがそろってます(笑)」

 -自分の体で自慢できる部分と、反対にどうにかしたい部分は

 「自慢は足が太いところかな~。不満は、なかなか胸に筋肉が付いてくれないこと」

 -プロレスラーになってよかったなと思うことは

 「自分の試合を見て『元気が出ました』と言ってもらえたこと。自分も同じようにプロレスで元気づけられたので」

 

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