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我が師.池田先生との思い出.
No.8.
「 偉大なる.
母あり.僧あり.
久遠かな. 合掌.
五月 二十四日.
大 作 印. 」
平成 五 年 五月 二十四 日.
午後一時二十分.
九州池田講堂にて。
五月二十二日、
本部幹部会、九州総会に出席させて頂く。
二十四日、早朝、連絡を頂き、先生が本日、福岡ご出発との事 。
私と母、九州池田講堂の先生がお休みになられている御部屋の窓から見下ろせる、福岡の尊い同志が造って下さった秋月庭園を見学。
途中、上方から、何とも言えない暖かな、柔らかな、慈悲の光が注がれるのを、かんじる。
一瞬、我が三世の永遠の師の慈悲の光であると確信した。
中に入ると、警備の方が、
「 宮川先生ですか、少しお待ち下さい 」と、
階段を上がった所で、止められる。
再び、柔らかな慈悲の風と光を感じると同時に、
先生が扉を開けて出てこられた。
先生は右手を差し出して下さりながら、
「 なぁんだ、来てたのか、
今、上から見てて、
よーっく、似てるなぁと思っていたら、
やっぱり、そうだったんだ。」
と、握手をして下さりながら言葉を、かけて下さる。
そして、母に、
「 お母さんの事、全部分かってます。
立派なお母さんです。
素晴らしいお母さんです。
全部、知ってます 」
と、言葉を掛けて下さった。
そして、側近の方に、
さっきのアレを持って来なさい、と。
そして、先生は母に、私の事を、
「 お母さん、偉くなるよ。
何も心配いらない。
本当に偉くなるからね。
偉い人になるから、安心して、長生きして下さい 」
と、言って下さった。
そして、私に、厳父の眼差しで、
「 外国には、行ったのか?」
と、聞いて下さり、未だ行っておりません。と、お答えすると、
「 そうか、じゃぁ、連れて行ってあげる 」と、厳しく言って下さり、
今度は、母に対して、優しく、
「 今度、アメリカに行くんです。
アメリカのハーバードで、講演するんです。
お母さん、いいでしょう。
( 私を連れて行って )。
お母さんは、しっかりお題目を送ってあげて下さい。
すごい事なんです 」と。
庶務の人が、揮毫をお持ちすると、
先生は、「 今、書いたばかりです 」と。
御奥様が、印鑑が押されてない事にお気付きになり、
「 印鑑が、まだですよ 」と。
先生は、
「 ああ、そうか、じゃあ、
一応、今、あげといて、後で押して、もらって 」と。
涙を目にいっぱい溜めた母には、優しく、
「 分かってる、分かってるよ 」と、優しく、語られ。
同じく涙を溜めた弟子の私に対しては、
幹部らが座る邪悪な空間を指差されて、強い口調で、
「 行きなさい!」と。
私は涙を拭うと直立不動で
「 ハイ!」とお答えした。
師弟の阿吽の呼吸が解らない、側近の幹部は、
先生の行きなさい!との意味がわからず、
あたふたと、宮川先生、此方へ、と、会場に案内した。
弟子を思う、師匠の思い。
先生は、かつて、
「 親は、どんな親であろうと、必ず、子供を守るんだ 」
逆に、
「 どんな親であろうと、子どもが、その親を守っていくんだ 」との話を通して、師弟の絆の深さ、強さを語って下さった。
今、我が師匠の偉大なる世界平和への功績を、
破壊している存在が信濃町原田喪価学会である。
先生の御意志を無視し、創価学会創立八十七周年に、
原田は、先生を無視してSGIの会長に収まり、
秋谷は名誉会長に。
谷川はSGI管理局長か?
( 谷川の会長は今世では、あり得ない ).
金喰い虫や、サト犬は、屠殺場へ。
外郭も四割が閉鎖。
職員の早期退職には色つける。
悲壮感を漂わせながら、四人組が協議していることは、
何とか、何とか、あと50年喪価学会を存続させたいと。
無理でしょう。
池田先生の創価学会であれば、価値を創造する学会ですから、
千年先までも、万年先までも、存続するでしょうが、
原田喪価学会は、価値を喪失して無くすのですから、五十年存続は無理。
愚かな師敵対の輩が、来たる選挙と日蓮世界宗の旗揚げの為に、
不穏分子一掃と、トチ狂っている模様。
先日も、私の尊敬する大人( だいにん )の元に、
新宿のデッカい法律事務所の、
おえら~い弁護士のセンセーが、お二人もお見えになって、
お決まりの始めは、脅し。
法律のプロが時効を知らぬのか、と、たしなめられると、
今度は、懐柔。
そして、私の悪口を言って、宮川に会うな、と。
大人が、宮川師と会うから、同席なさればよかろう、と、切り返されると、
宮川は、揚げ足取って利用するから、会わぬと。
筆頭弁護士で、本幹でも何度か、見かけたNo.1かNo.2?
八◯とどっちが上?
事務所紹介では、八◯が、No2になってるけど。
それと成◯山、、、?
成◯と、言えば、
戦時中に、牧口先生が逮捕されるや、官憲を、おじ恐れて信徒の本尊集めて燃やし、
特攻に焼却本尊のカズまで報告した、そんなトンデモ無い坊主が、
第一次の宗門問題の時は、工藤元代表や、尊敬する大橋氏と共に、偉そうに、
学会擁護の御僧侶として、高級料亭萬月で、先生の御招待を受けてた。
早々に、身体を壊し、地獄に、赴かれたが、子息2人は、まだ、原田学会に月に百万で、飼われているとか?
先生のスピーチから、ベートーベンの言葉を拝したい。
生き抜く、究極の力は、精神の力である。
少年時代から、他人の為に働く事の出来る事は、私の最大の幸福であり満足でした。
少年時代から苦しんでいる可哀想な人々に、奉仕しようという私の熱意は、少しも弱まっていない。
私は人間が、人間に対して、
より優れているものとしては、より一層、善良だと言う点の他には認めない。
悪人とは、死ぬ事を知らぬ者の事です。
死を見つめないから、目先の利害にとらわれて、後世の為を考えず、悪い事をするのだ。
アブが刺したくらいでは、疾駆している馬を停められはしない!
( ベートーベン )
ベートーベンは、
歓喜の歌を作った時、体も、至る所、病気だらけでした。
家族もなく、可愛がった甥の非行に苦しめられ、
環境的には、「 歓喜 」など、どこにもない境遇でした。
彼は、歓喜を、自分自身の胸中から、取り出したのです。
( 先生のスピーチ )
先生の若き日の日記より拝したい。
昭和25年6月15日( 木 )
「 たのしくして若干( そこばく )の財を布施すとも、信心よはくば仏に成らん事叶い難し。
縦( たと )ひ貧なりとも信心強くして、志深からんは仏に成らん事、疑い有る可からず 」
一歩前進、努力だ。
吾が大道に、一歩一歩、山を越え、谷を越え、進む事だ。
忍耐だ。
衆人の、批判の嵐、怒涛を、莞爾として、耐え、時を待ち、時を築け。一段、一段と。
確信だ。
いかなる闘いにも、確信に、しくはなしだ。
一念三千の大波動を、常に、つくりゆけ。
信念だ。
苦闘の連続、その中に、生き、勝ち、証明してこそ、偉大なことなのだ。
本の歴史は、間違いだらけだ。
自己の歴史には、自己の胸中の歴史だけは、一分の、嘘も、飾りも書けぬことを知れ。
( 以 上 )
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