私が妊娠をしたのは、2000年の秋頃だったと思います。いくら思い出そうとしても思い出せないのですが、断片的な視覚的な記憶をかき集めて判断すると、夏の終わりか秋頃だった気がしてます。
その頃の私は、新卒で入社したばかりの会社で、週刊誌の記者として働いておりました。
多分まだ、試用期間中だったと思います。
正社員で入社しても、6ヶ月の間はトライアル雇用で働き、その後本採用になる、みたいなそういう契約だったと思います。
ただ、就職した会社が超ホワイトで、私の先輩などは、単位が足りずに大学が卒業できずに入社した人もおりました。その先輩は高卒扱いで入社させてもらって、特定の曜日だけ休ませてもらい、一年かけて単位を取り直して大学を卒業し、翌年から大卒社員として採用し直してもらっていたのですが、今思えば超優しい会社でした。なので、試用期間中に犯罪でも犯さない限り、採用取り消しにはならなかったんじゃないかと思います。
お腹の子供の父親となる男性は、不倫でも彼女持ちでもなく、普通に付き合っている恋人でした。ただ、年上のバツイチで、奥さんの方がお子さんを引き取っておられました。
妊娠した、とメールで告げた時も、逃げるとかでもなく、「仕事が終わったら話そう」と言ってくれました。で、あった時に、「エリはどうしたい?」と聞かれ、私は「おろしたい」と即答しました。
その後、四谷にあった産婦人科に彼と一緒に行き、手術をしました。
麻酔から覚めると全部終わっていて、ベッド脇の椅子に座っていた彼は、ぼーっと私の顔を見ていました。テーブルには紅茶とクッキーが置いてありました。
中絶を決めた時何を考えていたのかというとことを今回書こうと思っているのですが、一言で言うと、
もし子供を産んだら「せっかく得た仕事がなくなってしまう」っていうことだったような気がしています。
いわゆる一流私大に入学して、就職氷河期のため周りは就活全敗している中、自分はさっさと就職を決めた、という自負心のあった当時23歳ぐらいの私が何を考えて居たかというと、
「子供を産むと損する」
ってことだったのかなと思います。
で、実は最近までずっと「子供を産むと損する」って思ってました。
あまりにもその考えが強すぎて、自分の中であまりに自然になりすぎていたので、自分で「子供を産むと損する」って思っていることすら意識できないぐらいでした。
ある時なぜ、「あ、私、子供を産むと損するって思ってるんだ、思っていたんだ」っていうことに気がついたかというと、これも友達と話していてのことなのですが、
「親って自分が生まれたことでだいぶいろんなやりたいことを我慢してきたと思う」
ってその友達が言ったことがきっかけなんですよね。
私はその時に、
「いや、親はいろんな選択肢がある中で産むことと育てることを選んでるんだよ。なんなら中絶だってできたわけじゃない。やりたいことと子育てと天秤にかけた時、いろんな社会の風潮や、世間の縛りを差っ引いても、それでも子供を選んでるんだから、その選択をしている時点で幸せなんだよお母さんは。人って幸せを選ぶ生き物だと思わないと悲しすぎるでしょ」
みたいなことを言いました。
その話をしている最中に、「ああ、そう言えば、私は中絶したことあるなあ」って思い出したんです。
つまり、中絶を決断することで、自分の「やりたいこと」を選んだつもりになっていた、ということだったんだなと思いました。
そのやりたいこととは、出版社で働く、っていうことでした(書いてて笑っちゃう)。
こう書くと、「妊娠とキャリアを両立できないなんて、社会は妊娠した女性に厳しい」みたいな思考につながっていっちゃうような気がするんです。
当時の私も、そういう風に考えていたと思います。
でも、実はそういうことではないんじゃないかなって思うんですよ。
まず先に「産みたくない」があるから、「社会の障壁」「相手の男性のせい」とか建前を持ってくる。
そしたら自分のせいじゃなくなるし、罪悪感を感じずに済むから。
今の自分なら、「出版社」と「自分の子供」を天秤にかけるまでもなく、瞬速で「自分の子供」を選びます。比べるまでもない、と思います。
ちなみに、当時のその彼氏との関係は不安定すぎてすぐに別れる予感でいたので、その人に食わせてもらう気は当時からなかったです。
じゃあなんで、「会社」を選んじゃったのか。「子供っているだけ損する」って思っちゃったのか。
それは、
私の母親が「子供がいなければこんなことができていた」
みたいなことをたくさん私に言ったからです。
「エリがいなければ、中学受験にかかる費用で車を買えた」とかですね。
私にそんなことを言われても困るわけなんですけども、そういうことをことあるごとに言われてきました。
結局親のせいかよ
って言われるかもしれませんが、
「お母さんは私を産んで人生を犠牲にしてるんだ」
っていうのもまた、最近まで気がつかないぐらい強固な信念としてあったのは事実です。
だからこそ、
「子供を産むなんて、損するばっかりのことしたくない。やっと自分で稼げるターンになったのに。やっと自分が主役の人生が始まるはずだったのに。なんで子供にそれを奪われないとならないのだろう」
っていう気持ちになっていたのだと思います。
そしてこれは女性性の否定にも繋がって行った気がしていて、実際私は母が自殺した後2年間生理が来ませんでしたし、その後ずっと生理不順だったのですが、
今回、
自分は自分が妊娠すること、子供を産むことを拒絶しているのと同時に、
自分の女性性も拒絶して来たんだな。
と気がついてから私は自分に謝りました。
どこに謝ったらいいのかよくわからなかったので、とりあえず自分のお腹に手を当てて、ごめん。って何度も謝りました。
私はどう頑張っても男にはなれません。
私はどうせ女なんです。
だったら、女であることを受け入れて生きていけばいい。
そう考えてから、1ヶ月で生理不順が治りました。
もう、10年以上生理不順に苦しんで居たので、これには驚きました。
今、自分が思うのは、社会が妊娠した女性に厳しくても厳しくなくても、私には関係ないということです。
私は今後妊娠したら、今度はどんな障壁があっても子供を産みます。
妊娠したら居づらい場所もあるのでしょうが、それならそこから離れて、妊娠を歓迎してくれる所に行けばいいと思っています。
自分は子供を産むこともできます。子供を産まずに会社に居続けることも、もちろんできます。
でも、子供ができたのに産まないその理由をよく考えてみた時、キャリアパスが絶たれるから、とか、今の彼氏が頼りないから、とか、結婚できない相手だから、とか、それって本当に心から感じている「理由」ですか?
ちょっと話がずれるのですが、私自身、その後結婚しましたが、「もう堂々と子供を産んでも大丈夫」となった時に、今度はどうがんばっても妊娠することはありませんでした。
それで思うのですが、子供ができない、と悩んでいる人の中には、「本当は子供が欲しくない」って意識の底で強固に子供を拒絶しているっていうことがあるような気がしています。
もう一度自分の中の女性性に問いかけてみるといいのかもしれません。