マイケルと阿修羅 ~心の中に住む「童子の神」の武器は武力ではなく慈悲(愛)

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童子は無垢であり、忘却である。
新しい発端である、遊びである。
みずから回りいずる車輪である。
第一の運動である、聖なる肯定である。
そうではないか、わが同胞よ。
創造の遊びには聖なる肯定を必要とする。
かくして精神は、
いま、みずからの意志を意志するようになる。
世界を喪失していた者よ、
いま、みずから の世界を獲得する。

―- 『ツァラストラはかく語りき』


先頃公開された
グレッグ・ゴーマンが撮影した
1987当時の
マイケルジャクソンの写真。
これは、プロショットとしては、おそらく他にないヌード写真として
ファンの間で話題騒然となりました。

もちろん、その野性の若鹿のような肢体、
また、胸元に見られる水飛沫か、炎のフレアのような
白斑症の症状は、衝撃的でしたが、
もっとも私の目を奪い、深い印象を与えたのは、
今まで見たこともない、
マイケルの顔の、この表情でした。

そして、すぐさま連想してしまったのが、
阿修羅でした。
顔の表情、細く長い手足のイメージ、
マイケルジャクソンと興福寺の阿修羅像が、
私の中で二重写しになったのです。

阿修羅・・・
少年のようなお姿の
3つの顔と6本の腕をもつ興福寺の阿修羅は、
なぜ、このように悩ましいお顔をしているのでしょう?

そして、なぜ、人々の心を惹きつけて止まないのでしょう?

最初の最初に、
半遊牧民の原インド・イラン語族ともいうべき
母集団が南ロシアのステップ地帯に住んでいたと言う。

その母集団は、しだいにカスピ海や黒海のほうへ降りてきて、
さらに南下して紀元前3000年前後には
イラン系とインド系に分かれた。

言語上、イラン系はアヴェスタ語に、
インド系はサンスクリット語になっていく。
問題はここからである。  
イラン系とインド系は激しい分派を生み出すにあたって、
宗教儀式とコンセプトを相互に対立分化して分け持った。



イランの宗教すなわちゾロアスター教は
アフラを「光輝神アフラ・マズダ」として最高神にしたのに対し、
インドの宗教すなわちバラモン型の初期ヒンドゥイ ズムは、
アスラを地下に貶めて、新しくインドラを最高神として掲げたのである。
このアスラがいわゆる阿修羅になっていく。

いったい何がおこったのでしょう。
同じ祖をもつ兄弟とも言えるイランとインドは、
互いに張り合い、神と神判の権利を競い合ったのですね。
イランがアスラを絶対化したので、
これに対抗してインドはアンチ・アスラ、
ヘイト・アスラの立場を取りアスラを悪魔化してしまったのです。

asuraは、
元々
サンスクリットで「asu」が「命 息」、
「ra」が「与える」という意味であったのに、

「a」が否定の接頭語「sura」が「天」を意味すると、
尤もらしい屁理屈をこねるなどして、
古代インドでは善神だった
asuraを悪神に変えてしまい、
人々にそれを信じさせたのです。

阿修羅像の解釈については、
スタンダードなものがあるでしょうが、
ここは、ひとつ私の解釈で。

この3面の悩ましいお顔で佇む
阿修羅の姿は、
煩悩にまみれた愚かな大人たちの争いに、
憤り、悲しみ、苦悩しながら、
それをじっと見つめている
私たちの世界の子供の姿そのものなのではないでしょうか。

阿修羅の3組6本の腕には、
合掌している手、左に日輪、右に月輪を掲げる手、
そして、左に弓、右に矢を持っていたと言われます。
この細く長く伸びた手で人々を救うために
衆生に降りた天使なのです。
これは、弓矢を持つ童子の姿をした
エロス(クピド=キューピット)に似ています。

マイケルジャクソンは、
子供に神を見ていました。

興福寺の阿修羅像をつくった仏師も
同じ考えではなかったでしょうか。


興福寺の阿修羅像は、
釈迦如来の周囲を守るように立つ

すなわち、

五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、
鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、
阿修羅(あしゅら)、 迦楼羅(かるら)、
緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)の
八部衆像のうちのひとつです。

八部衆像は、
洲浜座(すはまざ)の上に直立し、
守護神としての性格上、固い鎧を身にまとい、
阿修羅像を除いて武装します。

これらの像をつくったのは、

奈良時代の仏師・万福(まんぷく)と
画師・秦牛養(うしかい)であるということが、
正倉院の文書の
西金堂造営記録『造仏所作物帳』に記されているそうですが、
彼らは、阿修羅に鎧を着せることはしませんでした。


阿修羅の衣装は、
むしろ菩薩と如来の中間のようなもので
菩薩ほど華美ではなく、如来ほど質素 ではない、
菩薩、如来どちらとも言えない
ユニークな服飾が施されています。

軽やかに上半身には条帛(じょうはく)のみを、
下半身には裙(くん)を纏わせ、
装身具も身につけていますが、冠はかぶっていません。
彼らは、阿修羅に貼られた闘争的なレッテルを解除し、
阿修羅に武装させなかったばかりでなく、
悟りが完成されるクライマックスの姿を
動的に描き出したのかもしれません。

私たちの心の中に住む
童子の神の武器は、
武力ではなく、慈悲、あるいは愛。
そして、阿修羅像のような表情で
私たち自身の行い、この世界を、
見つめているのではないでしょうか。



























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