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日本独占 マイルス・デイヴィス 1985年の伝説的インタビュー「メロディと即興の関係、俺がプレイするときに考えていること」│前編

From NME(UK)ニュー・ミュージカル・エクスプレス(英国)
Text by Richard Cook, courtesy of Rock's Backpages

PHOTO: JAZZ ARCHIV HAMBURG / ULLSTEIN BILD VIA GETTY IMAGES

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復活後のマイルスが、1985年、評論家リチャード・クックから受けたインタビューは、いまでも伝説になっている。専門誌「NME(ニュー・ミュージカル・エクスプレス)」に掲載された後、「ガーディアン」紙などに幾度も転載されているこのインタビューは、「帝王」の肉声をあますことなく記録した貴重な記録だ。

空白期を経て、マイケル・ジャクソンの曲をもカバーし、メロディに回帰しはじめていたインタビューの前編は、復活後のマイルスの音楽への考え方が、問わず語りに証言されており、天才ならではの話の跳躍はあるものの、見事な「マイルス入門」となっている。

伝説のかすれ声を聞きながら

「ちくしょう」マイルス・デイビスは言う。

「長いあいだ絵を描いていないんだ。たぶん2〜3週間になる。たいていスケッチできるときは、それにのめりこんでしまってトランペットを練習しなくなるんだ。それでいて仕事があるときは、絵の道具に触れることができない。おい、デービッド!」

マイルスは、穏やかなマネージャーに呼びかける。

「あの部屋からトランペットケースを持ってきてくれ! 近くにないと……」

革ズボンをはいた片膝にはスケッチパットが載せられていた。弧と黒い線を、そっと紙の上に引きはじめる。長い足に膨らんだ腹部、広がった太ももに鳥のくちばし。その頭はブラックベリーのように見える。ただ数本の線だったり、複雑な物体であったりする1枚目が終わると、ページをめくり、新しい絵を描きはじめた。

ペンを動かしながら、マイルスは話す。伝説のかすれ声だ。喉から出る長いせきに混じって言葉が出てくる。笑うと喉でうがいをしているようだ。めったにないものの、微笑むときは同時に眉をひそめる。目は温厚だが、耐えられないほど鋭い。

スケッチパッドから目を離しゆっくりと見上げるときは、質問を凍りつかせるタイミングだ。だから私は彼に話をさせ続けることに気を使った。マイルスはモントリオールのホテルの部屋で、私のインタビューを受けてくれていた。

マイルスが笑うのは、本当に陽気なときだけだ。

パーカーと共演して40年、変化し続けるマイルスの音楽

マイルス・デイヴィスは、混乱のすえに砕け散ったジャズの歴史において、最後の、最も偉大な「帝王」とされる人物だ。暗黒のプリンスにして、孤高の男とは? すべての人間が、たった1つの名前で記憶している──「マイルス」だ。

1959年のマイルスPHOTO: HULTON ARCHIVE / GETTY IMAGES

1959年のマイルス
PHOTO: HULTON ARCHIVE / GETTY IMAGES


マイルスの音楽は、40年のあいだ幾度となく変化した。だが彼の傑出した独特な音が持つ、突き刺さるような印象は常に変わらなかった。モダンな響きで、洗練され、最新の音。それは、たったいま作られ、初めて奏でられたかのような音である。

1945年、サヴォイでレコーディングされたチャーリー・パーカーの「ビリーズ・バウンス/ナウズ・ザ・タイム」にサイドメンとして参加したマイルスの演奏を聴くと、まだ躊躇が見えるが、これは4年後に発表する「クールの誕生」の原点ともいえる。

その後、麻薬に手をつけては離れ、ジョン・コルトレーンを擁する伝説のマイルス・クインテットを率い、「スケッチ・オブ・スペイン」「カインド・オブ・ブルー」といった数多くの名盤も生み出した。


コルトレーンと共演するマイルス

すべてはトランペットのシルバーの管を通して繰り広げられた。その音は、ビリー・ホリデイ、ルイ・アームストロング、ジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソンといった歌手が歌う声と同じくらい印象深い。小さく、ファンキーで、粋で、余裕があって、罪深い音だ。

1960年代のハービー・ハンコックらとのアコースティック・クインテットを、巨大な真空の暗闇のなかで宙づりにしたまま過去のものとし、マイルスは電子楽器をとりいれた「ビッチェズ・ブリュー」の世界に踏み入れた。

マイルスのグループはさらに強度に満ちたものになり、より暗く、より熱狂的なものとなり、ライブ盤として「アガルタ」「パンゲア」に収録された日本でのライブで、それは爆発した。それでもマイルスのトランペットは、嵐のなかにもかかわらず、からからの小さな音を奏でていた。



病気と疲労により、活動を休止せざるを得なくなった後、マイルスは「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」で、痛々しいカムバックを果たす。

この復帰作と、次作「スター・ピープル」、さらに「ウィ・ウォント・マイルス」を出す過程で、マイルスは変化に満ちたライブ公演をおこなった。マイルスは幅広い電子楽器を、より強固でファンキーな音と組み合わせ、自分の道を再び見出したのだ。

さらに、1984年に発表したアルバム「デコイ」により、マイルスはさらなる変化を遂げる。簡潔だが、とげを刺すように音楽だ。

一方で、最近のマイルス・バンドの音楽は、暖かく社交的なものに聞こえる。管楽器とギターはピンと張ってこわばったリズムのなかでアドリブを重ねているのだ。

1985年の「ユア・アンダー・アレスト」に収録されたシンディー・ローパーの「タイム・アフター・タイム」では、マイルスのトランペットはいままでにないほどほろ苦い音を醸し出している。

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